囚われし赫焔
部屋に漂う影を見る。審神者と名乗るその影は男か女か分からない声をして、淡々と告げる。
「池田屋までの道のりは遠い様だ。此度は三条大橋を戦場とするらしい」
「やはり夜戦であるのか」
「おまえは夜目が効かぬからねぇ、しかしおまえにしか頼めないのだよ、山伏。やれるね?」
「……承知した」
審神者に喚ばれて、近侍や内番、戦場に赴く以外の任を受ける様になったのは、大層前であったと思う。
人目を憚り、本丸の誰も彼も寝静まった夜半時に、静かに異次元への扉が開く。目元以外は漆黒の装束に身を包み、本体を隠し、山伏は小さく息を吐く。
政府から通達のある、いつの時代、どこで歴史改変主義者達が潜むのか。新たに見つかった戦場に、どの刀剣の気配を感じるか、刀種で得手不得手はあるか、いわゆる敵情視察という類の事を、山伏は請け負っていた。審神者へと報告をすれば、編成作戦とを組み、刀剣を送り出す、と、そんな仕組みになっていた。他の刀剣は誰一人として、山伏の裏の任務を知らない。彼の兄弟であってもだ。
霧のかかった、不安定な空間を足早に駆ける。人の身に刻まれた焔を、青空を混ぜ込んだ髪を黒で覆い、闇に紛れ、影となる。口元を覆う面頬越しに、夜の匂いを吸い込み、跳び上がる。地下足袋を履いた脚は地面を間近に感じさせ、山伏は音も無く京の町屋の屋根へと降り立った。兄弟達が誉を掲げ帰還した際の笑顔を思い出し、隠した口元を綻ばせた。己は夜目が効かないが、兄弟や短刀達はこの常夜の戦場で活き活きとしていたので、太刀の長兄仲間などは感激していたが。
「……随分と密集しておるな」
京の町に紛れる異形の影を、山伏は見下ろす。時を越え場所を変え、いくら倒せど敵の猛攻が止まることは無く、機動の恐ろしく高い槍が居るとか、人伝に聞いてはいたが。生憎と刀種までは分かりかね、影の色濃く匂い立つ殺気の根源を探しながら、山伏は屋根を伝い、月光を背後に情報を集めた。
行き止まりも多く、入り組んだ奥は罠の如く手練れが潜むのであろう。堀を民家伝いに飛び越え、ふと山伏は俄かに立ち止まる。道行く何者かの気配を感じた。異形の影ではない。
山伏を見上げる視線に、眼下を見下ろす。月明かりに躍り出たのは、見慣れぬ男。纏う雰囲気は、己のそれに酷似していた。まだ見ぬ刀剣であろうか。敵であれ何であれ、正体を知られてはならない。
「どーもこんばんは! あんさん、そないなとこで一体何してはるん?」
「!」
はんなりとした間延びするような声は、まるで道端で友人とばったり出くわした時の声色に似ていた。すぐさま踵を返し、あ、とか聞こえる声が届かない距離まで離れる。見つかった。今まで一度も見つかった事などないというのに。気が動転しており、山伏は気付けば本丸へ帰還していた。見取り図は途中で終わっていたし、どのような刀剣が落ちるのかも全ては判明していない。しくじった。
「何、おまえにしては珍しいね? 任務を遂行できなかったなんて」
「げに面目無い……拙僧、修行不足である」
「怪我はないのだろう? 今夜も頼めるかな。頼りにしているんだ」
「相、分かった。任されよ」
逡巡。呼吸を止めた山伏に気付かないふりをして、審神者は「おまえは今日は休みでよいからね」と告げた。休みというのは表向き、他の刀剣と同じ任務の事である。こうべを深く垂れ、山伏は昨晩、声を掛けてきた男を思い出した。闇に紛れ朧げだったが、目元には眼鏡を掛けていたように思う。審神者にも告げるのを拒んだのは、細やかな反抗だろうか。襖を隔てた向こうでは、しとしとと雨が降っていた。
その日の晩。山伏は再び黒装束に身を包み、京へ飛んだ。昨夜と同じ、立派な橋の上に蠢く影を見下ろし、山伏は空を仰いだ。満月であった昨日より齢を重ねた十六夜が、屋根に立つ山伏の影を色濃く映し出す。音も無く気配を消し、屋根伝いに再び橋を越え奥へと進む。本丸と時空を繋げられる力場は限られており、それ故に毎度同じ地点から進軍を強いられる。異形の者の力の及ばない、遠方から。
怖気が際立つ、空気の淀み視界の悪い地点を見下ろす。恐らく敵の根城だ。貌の半分を隠す面頬の奥で、滴る冷や汗を舐めとる。同時に、背後から声を聞き山伏は躰を凍り付かせた。
「おいでなすったなぁ、あんさん足が早うて、苦労したわ」
「ッ……?!」
地を蹴り飛び退る。胸元からクナイを取り出し投擲するも、易々と弾かれてしまう。
「奴等とは違うてお強そうですなぁ……自分、久しぶりにやる気やわ」
月光に翻る白銀は太刀だろうか。細身ですらりとした刃がこちらを向く。
「あんさんも"同類"でっしゃろ? 見せてぇな」
随分とまぁ口数の多い男だと、山伏は一定の距離のまま相手を見据え、クナイを逆手に構える。
「黙っとったままなんて、つれないですやん?」
暗い色の髪を掻き上げ、眼鏡の奥の双眸が隠れる。次の瞬間一気に距離を詰められ、愉しげに歪む端正な顔立ちを、翠とも緋とも見える不思議な光彩を捉えた。
「クッ……!」
咄嗟に懐に飛び込み、一瞬の隙を突きはばきに狙いをつけクナイを突き出す。共に戦場を駆けた脇差の真似事だったが、相手は怯んだようで、火花を散らし打ち合った後、再び距離を取る。指先が痺れ、それを悟られぬ様、さも面頬がずれたとばかりにクナイを持ち替えた。
「……おぬし、何者だ?」
斬撃は直接は躱した筈が、黒の頭巾からぬめる液体が顔を伝うのに気付き、山伏は小さく舌打ちする。調査は既に終え帰還するのみであったが、この見知らぬ男はただで通してくれるつもりは無いらしい。躰に力を入れぬ風変わりな構えをしていたが、中々の強敵だ。
「答える義理はあらへん」
食えぬ奴よ。山伏は久方ぶりに気分の高揚するのを感じ、微かに笑った。クナイを握り込み、眼前で構える。深く腰を落とし、闇に在りなお鋭く輝く紅い瞳で射る。
「その眼、赫焔みたいやわぁ、綺麗やね」
笑みを崩さない男はゆらりと躰を傾け、屋根瓦を蹴り上げ距離を縮めてくる。ともすれば脇差の様に刃を突き出して、山伏は躰を捻り後ろへ流した。動きが読めない。同じ太刀であるならば、夜目は利かない筈である。眼を眇め、闇に溶け易い男の白銀を追う。構えたものとは別のクナイを投擲するも、弾かれる音だけが聞こえ次第に焦りを覚えた。間違いなく相手には己が見えている。夜に紛れるための漆黒の装束の端が、ハラリと切れた。
「それ以上下がってどうするつもりですのん?」
堅い木の感触を背後に感じ、追い詰められていた事に漸く気付き絶望に眼を見開いた山伏へと、男の手が伸びる。金属製の面頬が外され頭巾が天色の髪ごと引っ張られ、呻き声をあげる。
「ぅぐッ……」
「やっぱあんさん、えろぉ別嬪サンやなぁ」
「返せッ……!」
伸ばした手を捕えられ、歪んだ相貌が近付いた。吐息が、晒された唇へ掛かる。纏わり付く視線に身震いし、息の詰まる心地がした。
「あんさんええ声やし、ぎょうさん聞かしておくんなまし?」
「……ッ断る!」
手段など選んでいる場合では無い。山伏は男の腕に噛み付いた。ぎょっと驚愕し、力の抜けた隙を狙い鳩尾を蹴り上げる。面頬を奪い返し、勢いのまま屋根を飛び越え、山伏は追っ手を振り切った。
「……なんや、つれないなぁ」
ますます興味出てきたわ、と、男は喉奥で笑った。月光に浮かぶ美しい影に刹那窺えた蒼空の髪を、燃え上がる赫焔を閉じ込めた双眸の歪む様を思い浮かべ、眼鏡の奥の瞳が弧を描く。
審神者には新たな太刀を見たとだけ告げた後、山伏は黒装束を脱ぎ、頭から水を被った。熱の籠った躰を鎮めるために。蒼空色の髪を伝い眼に入り込む液体を拭い、脳裏に焼付く翠と緋ごと頭を振りうちはらう。
「……山伏?」
空の白んできた本丸で、明け方近くに起床する者は数が限られている。弾かれた様に振り返った山伏は、訝しげにこちらを見る太刀を捉えた。
「同田貫殿、早いな」
「あぁ、眠れねぇからちょっくら走ってきたが、もう朝だしますます眼が冴えちまった」
「うむ、然もあろうな。しかれば、拙僧と手合わせを願おうか」
おっ、いいねぇと、情人である男の顔が綻ぶ。小豆色のジャージを羽織り、肌に張り付く感触に不快感を催したが、背を向け歩き出した男の背を負う。忘れてしまった方が良い。不思議な輝きを放つ瞳に魅入られただけなのだ、直に記憶も薄れるだろうと、半ば無理やり納得させた。
そんな山伏を知ってかしらずか、審神者は三条大橋へ数回部隊を出陣させただけで、来派太刀の明石国行を本丸へ連れ帰ってきたのだった。
「どーも、自分、明石国行言います。よろしゅうに」
はんなりと笑う新たな太刀を、山伏は呆然と見た。藍色の髪に、胸元を大きく肌蹴させたくだけた格好をし、間延びしたあまりやる気の感じられない声。しかしその眼鏡の奥の不可思議な双眸は山伏を油断なく観察している。
「あんさんが自分の世話役って言うてはりましたわ」
「……如何にも。拙僧は山伏国広と申す」
「山伏サンかぁ」
纏わり付く視線が、細くしなやかな指が這う。ぞわりと背筋を這うのは、嫌悪感であろうか。
「何であるか」
「隠し通せると思とったんか……別嬪サン?」
宝冠を剥ぎ取られ、陽光の下蒼空色が曝される。
「何をッ……んむ、ぐ、!」
口を覆う掌を、喉へひたりと当てられた指の感触に、近付く怪しげに光る瞳から眼を反らせない。
「ホォラ、その眼ェ……忘れる筈あらへんやろ? あきまへんで、あんさん。二度も逃げられちゃ、自分も、ちぃとばかし本気出さざるをえませんやんか……」
あの晩噛み付いた歯型の遺る腕を見せ付け、貌の輪郭を撫でる指が、山伏の目元の傷痕を、眼弾きをなぞる。
「そない怯えんでええんよ、山伏サン」
「ッん゛……!」
「壊すなんて勿体無い……」
形の良い耳朶を赤い舌が這う。直接鼓膜を震わす水音に、次第に下半身へ否応無しに熱が移動する。光を照り返す眼鏡を睨み上げれば、明石は奇妙に貌を歪めた。
「堪らんわぁ、その眼ェ……」
「ん゛、うぐ、んぅ!」
「そのお上品な貌が乱れるんを見たいんや」
「……! んんっ……」
鼻に抜けるような声を出し力の抜けた躰が明石にしな垂れ掛り、反応に良くしたのか口元を覆っていた手が退いた瞬間を見計らい、思い切り突き飛ばした。
「っつ……!」
「は、っ……戯れは止められよ、明石殿」
尻餅を付いた明石を見下ろし、冷たい瞳で山伏は言い放った。
「付け上がり召されるな、拙僧は誰の所有物でも無い」
飾り紐で佩く己が本体を握り、踵を返す。常より大分荒い足音が廊下に響いた。山伏を見上げる、歪んだ双眸は酷く愉しげな色をしていた。明石が己にあれ程までに執着する意味を理解できず、中途半端に昂められた熱は処理する事も儘ならず、半日近く苦く燻り続けた。
「あ、っ……!」
だから。山伏は同田貫と目合いながら、獣の様に射る琥珀色に見られながら。いつもより感度を増した躰を震わせ、同田貫は未だ一度も達していないにも関わらず、三度目の絶頂を迎えていた。
疲弊した吐精後の、気怠い体を構わず揺さぶられ、全身から玉の様に汗を迸らせ、掠れた嬌声を上げた。あられもない痴態は普段の必死に快楽に抗う様より更に煽情的で、同田貫は腰を揺すりながら無意識に唾を飲んだ。
「ん、ん! あふ、あ゛っ……はげ、し……んアァッ!」
「ック、ハ、なんだ、きょう、は……随分、積極的じゃねぇ、か!」
「ひイ゛ッ……お゛ぉ、ア゛ッ!」
ぎゅうぎゅうと締め付けてくる内壁は溶ける様に熱く、全身が紅く染まった躰を擦り寄せ、縋り付いてくる山伏へ口吸いをする。すぐさまぬめる舌が絡み付き、淫猥な音を響かせる。その間も注挿を止めず、最奥に叩きつける様に、痼りを押し潰す様に抉れば、甲高くくぐもった声が漏れ、腕の中の男が痙攣した。透明な先走りがしとどに濡れた結合部へ垂れ、濡れそぼったそこを、今度は抜く直前まで引き、入り口付近を刺激するに止めてみる。
「んあ、っ……ど、たぬき、どのっ」
足りぬと、口を離し耳元で山伏が囁く。瞳は潤み、欲情に濡れ揺れていた。返事をせず、一気に根元まで剛直を挿し入れれば、見開いた赤からは瞬く度に涙が溢れ、意味を成さない喘ぎがひっきりなしに上がり同田貫の鼓膜を揺さぶった。
「山伏……ッ!」
「や、はっ、あ、あ! あっだめ、だ、クる、やぁッ!」
腰へ回された山伏の脚が締まり、肉壁も同時に収縮した。肉の刃ごと搾り取られ持っていかれそうなのを食い縛り耐える。
「んアァッ……!!」
「く、ッ!」
息が止まる。躰の中心から、熱が一気に移動し、狭い腸壁内へ放出される。激しく痙攣をする山伏をキツく抱き締めれば、気絶したのか瞳を閉じ、とろとろと魔羅の先から白濁を流していた。
「山伏……」
吐精感と、心地良い気怠さに身を任せ、抱き合ったまま瞼を閉じる。孔から引き抜いた同田貫自身を適当に拭い、ここまで顔を寄せてなお寝息すら殆ど聞こえない同衾相手に、一度だけ口を寄せ、満ち足りた心を睡魔に誘われ、眠りについた。
だから。薄く開いた襖の向こうから、二振りの目合いの一部始終を見ていた者に、同田貫が気付くことはなかった。月光を帯びた眼鏡の奥、翠と緋の瞳が、昏く輝いていた。
審神者からの呼び出しはいつも唐突である。今回はたまたま近侍を仰せ遣った際であり、部屋には山伏と、揺らめく影のみがあった。
「新たに、粟田口の短刀の気配があるらしい。大阪城の地下に広がる謎の巨大空間。埋蔵金もざっくざっくだそうだよ、楽しみだね」
「……主殿、物欲は」
「もう、冗談だよ。おまえは頭が固いねぇ」
影がゆらりと笑う。纏う空気が和らいだ刹那、また元の冷ややかな声が部屋に響く。
「何やら、偶然見つかった穴を奴らが無理に拡げ、地下全体が迷路の様に歪んでしまったのだという。いつ閉じるか分からないそうだから、今まで以上に慎重に部隊を選びたい」
「左様であるか。しかと承ろうぞ」
力強く山伏は頷いた。自信に満ちた深い赤色を見、審神者も頼むよと返した。
裏の任へ赴く前に行う禊を済ませ、自室へ向かう山伏へ、同田貫が背後から声を投げ掛ける。肩を揺らせた様にも見えたが、振り返った笑顔に翳りは見えなかった。如何した、と問われ、口を開く。
「今夜、部屋に行っていいか」
「今宵……は、都合が悪いな」
「先約か?」
同田貫の眼が顰められ、山伏は慌てて弁明する。
「主がな、酒を酌み交わす相手をして欲しいと……」
「そうか、なら仕方ねぇな」
「すまぬな」
もう興味の失せたのか、おうまたな、と言い残し同田貫が背を向けた。普段より幾分か足音が乱暴で、怒らせただろうか、と首を竦めた。後で埋め合わせをせねばと、湯気の立つ濡れた髪を拭いながら考える。己の分の甘味でも持って行ってやれば良いだろうか。その後打ち合いをすれば、機嫌も戻るだろう。
夜の静寂に佇む、長身の影があった。闇に潜り、巨大な城の周りを駆ける。辺りに気配はなく、直ぐに入り口は見つかった。石垣に空いた穴を、少し離れた場所から観察する。風に揺れ、はためく様に空間の乱れがある。
山伏はそっと時空の歪みに近付くと、闇を覗き込んだ。一見しただけでは暗い空間が広がっているが、至る所に歪みが存在し、空間を捻じ曲げていた。居心地の悪さに、足早に離れ、大木の枝の上に跳躍する。間一髪、見回りの影が向こうから現れ、山伏のいた辺りをうろつき始めた。
筆と巻物を取り出し、すらすらと近辺の見取り図を書き込んでゆく。近付くほど瘴気がしたから、あの入り口を入った地下空間はかなりの数の敵が跋扈していると思われる。練度の低い者達では些か不安である。検非違使の気配は未だ感じられないが、あそこまで時空を歪められたのでは、何が襲ってきてもおかしくない。
ふいに声が聞こえた気がして、山伏は地面を見下ろす。対の琥珀が、じいとこちらを見上げていた。心底驚愕した太刀は身を強張らせ、口を噤んだ。同田貫だった。何故ここに。
「ッ……!」
「お前、何モンだ? ここはどこだよ、何してる?」
政府の人間を除くと、審神者以外で本丸と時空を繋ぐ事の出来るのは歴史改変主義者だけである。咄嗟に木々へ飛び移ろうとし、おぞましい呻き声が二振りを貫いた。
「奴らこんなとこにまで……って、おい! 待てよ!」
見張りの影が蠢いていた。聞き取れない、彼らにとっては言語で意味のあるかもしれない雑音が、更に影を呼び寄せ、瘴気で辺りの空気が濁る。また、しくじるとは。そろそろ審神者からお叱りを受けそうだと、足を動かし続けながら山伏は考えた。風上から同田貫の声が聞こえる。振り返るわけにはいかない、捕まるわけにはいかない。秘密裏に与えられる、己への任務の事を本丸の誰にも知られてはならなかった。
「お前も刀なのかよ、おい、答えろよ!」
幾度も睦み合い、情を交わした背後の男は、山伏を怒るであろうか、軽蔑するだろうか。それとも、共に付いて行くと言うのだろうか。一瞬だけ振り向いた山伏には、同田貫の表情はわからない。思考に迷い鈍る足を叱咤し、山伏は走り続け、やがて同田貫の声も聞こえなくなり、荒い息のまま暗い森を彷徨った。
水の音を捉え、やがて川へと辿り着いた。清流に、汗ばむ躰に纏わり付く黒装束を僅かに寛げ、外した頭巾を濡らし汗を拭う。月光を受ける水を手で掬い、冷たい流水で喉を潤した。同田貫もどこかで川を見つけ、下流にあった本丸への扉へ辿り着く事を願うと、僅かに瞳を閉じた。清浄な空気が、走り回り疲弊した躰に染み渡る。
砂利を踏み締める、微かな音を聞いた。笑い声が、鼓膜を震わせた。月明かりに照らされ、躍り出た影が、ゆっくりと山伏へ近付く。
「ええ夜やなぁ、別嬪サン」
「ッな、!?」
腰掛けた平たい岩に躰を押し付けられ、囁く男を、山伏は混乱し見上げた。明らかな色を持ち見下ろす硝子越しの視線から逃れる様に、身を捩る。明石国行。慣れた手付きで、己の濡れたままの頭巾で腕を括られ、あっという間に身動きを封じられ、ただ視線を泳がせた。混乱のあまり抵抗も出来なかった山伏の面頬の外された顎を捕え、赤い舌を覗かせ、明石が嗤う。
「ここなら自分らを邪魔するモンもおらへんよ」
「どうして、おぬしがここに……」
「付いて来たんよ、自分、あんさんのそのカッコ好きやねん。その赫焔と蒼がよう映えるやろ?」
装束の上から自身を撫でられ、躰を硬直させる。これからこの男が何をする気なのか、己が何をされるのか、山伏は漸く理解した。喉がひりついて、蚊の鳴く様な声が漏れ出る。
「ひ、やめろ、ッ」
「そないな事言われて、止めるわけないでっしゃろ? 煽るのが巧いんやなぁ、あんさんは」
「はな、せ……ッ!」
「気持ちようさせたるさかい、声、ぎょうさん聞かせてや……」
逃れられない。明石は眼鏡の奥で、うっそりと嗤っていた。翠と緋の双眸が、月の様に細められていた。露わになった喉仏に舌が這わせられるのを、山伏はただ受け入れた。月に魅入られたのだと思いたかった。与えられる刺激に耐え、口を強く引き結び、血を滲ませ声を耐えた。
「ふ、っぅ……」
俯せに体勢を変えられ、固く結わえられた両腕では躰を支えきれず、尻のみを高く掲げた格好になる。
「ホホゥ、えろぅそそられますなぁ」
「ッ明石、どの……戯れは、」
黒の装束の局部のみを引き裂く音に、顔を青ざめる。外気に触れ、引き締まった尻たぶを嬲られ、褌をずらし山伏自身に直に触れる指から逃れようと、腰をくねらせる様は、明石にとっては煽情以外のなにものでもない。触れてもいない、薄く色付いた窄まりが、まるでそこからも呼吸している様に、はくはくと蠢いている。躰を許した男以外の手が粟立つ肌をまさぐる不快感は失せ、次第に快感を拾い跳ねる浅ましい躰を呪った。
「ふう゛っ……ぐ、ぅ」
山伏がくぐもった声を上げる。明石の細く、しかし刀を持つ筋張った指が、菊門へ差し込まれる。濡らされてはいたが、割り開いてくる異物感に内腿が小刻みに震えていた。
「キッツ……力、抜いてくれませんと」
「ッ……!」
「口から血出とるよ、痛いやろ?」
偶然か、山伏の口角へ触れたと同時に、内壁を擦る指先が痼りへ当たり、ひゅ、と咽頭から息が抜けた。
「ぁ、!」
「ここがええのん?」
「ひ、ぃあ……っやめ、あ゛ッ!」
無遠慮に同じ箇所を重点的に攻められ、それに合わせて自身も刺激されてしまえば、容易く追い詰められる。微かに開いた口から涎を滴らせ、一際大きく背を仰け反らせ、山伏は達した。
「――ッは、ぁ」
大きく震え、脱力した。ちらりと窺えば、己の白濁で汚れた指を、明石の舌が舐めていた。
「気持ちええでっしゃろ?」
「……もう、満足したであろうっ……離れらっれ、い」
肩で息をする山伏を、明石は笑いながら見下ろした。僅かに汗ばんではいたが、青白い肌は月光に照らされ、よく出来た人形か絵画のような非現実的な美しさを醸し出していた。
「まァだまだ、夜はこれからやもん。あんさん思った通り、ええ声で啼きはるんですなぁ」
「んっ……、ぁ、よせっ」
体内を蠢く指が増やされる。自身にも自らの吐き出したものを塗りたくられ、内からも外からも嬲られ、山伏の腰がしなった。大分解れてきたのか、三本を軽々と呑み込み、淫猥に水音を立て始めた赤く熟れた窄まりの、挿れていない親指で皺を伸ばすよう緩く圧す。ぬるついた手で竿を擦られ、時折当たる爪が亀頭を刺激し、全身に電流が奔る様な快感が、山伏へと襲い掛かる。
「ひんっ……」
「ん、ほな……挿れるで……?」
内を抉る指が唐突に抜けた。思わず出た鼻から抜ける様なか細い声に山伏は顔を赤らめる。微かに笑みを浮かべる明石を見上げるが、落ち着いた声と逆に、あまり余裕そうに見えなかった。解れ濡れそぼつ其処は妖しく光り、誘われるままに勃ち上がった一物を当てがう。
「力抜き……」
存外にゆっくりと躰を割り開かれ、内壁を擦る圧迫感を、形を覚えさせる様に、殊更じわじわと押し進む。小刻みに抜き挿しし、躰は熱いのに、思った以上の刺激を与えられず、焦らされている。局部のみを露出させ、両手を縛られていると言う状況が、恥辱を煽り快感を高めていた。
「ッぅ……う、ぁ」
「あんさんのここ、自分のを、うまそうに食うてはるなぁ……」
「ん、んっ……」
「放しとうないって……く、吸い付いとるよ」
「ひがっ……ぅ、うぅ!」
根元まで食い込んだ菊座を、尻たぶごと掴み拡げてみせた。山伏には見えないが、明石の言葉を否定する。違う。感じてなどない。
「違わへん、嘘はあきまへんで、そないな顔で言われた所で、意味ないでっしゃろ」
「ちがぅ、っちが、んぁあっ!」
入口近くまで引き、斜めに抉りながら奥を強く叩く。前立腺を擦られ、突然の強烈な快感に全身がしなる。
「ひ、あ! あ゛ーっあっ、んン゛……!」
手探りで玉袋を揉み、張りの固さに射精が近いのに気付き、明石は奥ではなく、痼りを攻め立てる。徐々に打ち付ける速さを増し、頃合いを見計らって山伏の耳元で囁く。
「なぁ、あんさんは、どないな顔であいつに抱かれとるん?」
「!?」
組み敷いた男が躰を凍り付かせ、絶望に見開かれた赤い目が明石を見た。なぜ、と濡れた唇が形作る。動きを止めず、揺さぶられるまま、もう一度何故と、微かに音を紡いだ。
「っあ、っぅ、ッ、ひ」
「同田貫、とか言ったやろか? 自分、あんさんらのこと見てもうてん……」
情人の名を囁かれた瞬間、肉壁がきゅう、と収縮した。一物の大きさを感じさせられ、内腿が痙攣し始めた。
「! ぬ、けっ、抜け! ぃますぐっ……! あか、し どの!」
「言葉で否定しとっても、躰は素直やんな……観念せえ。早よぅ、自分のモンになりぃや、山伏サン」
「ぁ、あっ……アァッ!?」
息が止まる。火花が爆ぜる錯覚がした。内から湧き上がる波を、熱い迸りが明石から放たれるのを感じた。
しかし喉元まで出掛かった高ぶりが、山伏の自身から噴き出るには至らなかった。脳裏が真っ白になるほどの快感は止まらず、足先から脳天まで突き刺さる絶頂時の強烈な快感が短時間に連続で襲い、戸惑いながら山伏は躰を限界まで仰け反らせた。
「っあ゛……!? あ゛、っひ、イ゛ィッ! な゛っ!?」
「ハハッ、あんさん今、おなごと同じ絶頂を感じとるんやで……っ」
「っお゛、な……い゛、ぐぅ……ッ!!」
「おかしくなりそうやろ? えろぉっ、助平ェな顔してはるよ、山伏サン!」
「はぁっ、あ゛、ぁ……お゛が、な゛っあ゛!?」
限界まで昂められたまま、止まらぬ刺激の波に、続け様に数度絶頂し、尋常ではない快楽は最早暴力であった。山伏はもう何も考えられず、蕩け切った横貌はなんともふしだらで、なんとも淫らであった。こうなっては己で止めようとしても無駄であると知る明石は、直腸越しに痙攣する前立腺に狙いを定め、激しく収縮し絞り出そうとする肉壁に合わせ腰を動かした。汗と唾液と涙に塗れた山伏はがくがくと揺さ振られ、明石の下で半狂乱に嬌声を上げていた。
「ック、……!」
「ひぃあ、っぁ、……ん、んんッ」
数分間襲われ続けた連続的な絶頂に、山伏の声は枯れ、明石に竿を扱かれやっと吐精し、それでも亀頭からぴゅ、ぴゅと断続的に透明な液体が出続ける。潮吹きというやつだろうか。激しく達し続け筋肉が疲弊尽くされたのか、全身が弛緩し指先一つ動かせぬまま、虚ろな眼をし浅い呼吸を繰り返す山伏を、明石は後ろから抱き締めた。悲痛に歪められた双眸は硝子を隔て、山伏が見ることはなかった。
「出会った時期が遅いだけで、諦めろ言われて、ハイそうですかって納得できひんのや……これでも自分、本気なんやで……?」
呟きが、虚しく月夜の虚空へ響いた。
数週間後。情人と床を共にした山伏は、同衾相手に名を呼ばれ、首をもたげる。
「なぁ。山伏……お前最近、何か俺に隠し事してねぇ?」
「ッ!」
心臓が縮こまる気がした。薄闇の中、煌めく金の双眸が、静かに山伏を見ていた。同田貫は抱き締める腕を緩めぬまま、口を開く。
「口淫、なんて前はしなかったよな……? まぁ、気持ち良かったけどよ」
まっすぐと見据える対の琥珀から瞳を逸らす。腹の奥底に蠢く罪悪感が山伏の首筋に刃を突き立てる。先程、早急に攻め立てる同田貫に何度も自分だけ達してしまったと、山伏は同田貫の魔羅を口で慰めた。あの晩以降、審神者からの裏の任務の際は必ずと言って良いほど、明石は山伏の前に現れ、二振りは目合い続けていた。あの瞳を硝子越しであろうと見たが最後、抗えない。誘われるままに局部だけを曝し、躰を重ねていた。
「山伏? 大丈夫か、顔真っ青だぞ」
「あ、……」
同田貫は鼻が鋭い。刻み込まれた明石の匂いに気付かれてしまったら。
「それ、は」
己以外に躰を許したと、捨てられたら。女々しい、暗い感情が鎌首を擡げる。しかし山伏は明石の手を拒む術を持たず、己を抱く腕に縋り、静かに泣いた。
月灯りの下。男が一振り、悠然と立っていた。眼鏡の奥の瞳がどういった感情をしたか窺う事は出来ず、形の良い唇が、朔に近付いた月の如く弧を描いた。
「自分はあんさんを拒まへんよ」
せやからほら、早う堕ちてこい。狂気を孕んだ声は、喜悦の色をして上擦っていた。