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人間×人外/年齢操作有/※死?ネタ

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忌み子と咎龍のとある伝説

 昔、龍は人と共に在った。
 神は人と在った。世界は一続きであった。
 ある時、神は争いごとを繰り返す人を地へと墜とした。
 咎人と呼ばれ、定命を生き、病がはびこる塵界へと。
 神に仕えし古の龍は罪を犯し、人の身に堕とされた。

 

 

 

 山鳥の囀りが聴こえる。鬱蒼と茂る森は静かで、時折木々のざわめきが聞こえ、遠くで水の音が聞こえる以外は、前を歩く司祭と、己の息遣いだけが聴こえていた。
 少年の名を正国と言った。数年に一度、村では贄を一人出す。ある年は年若い娘が、ある年は盲いた老婆が。今年はこの、年端も行かぬ童が選ばれた。誇り高いことなのだと、両親は泣いて喜んだ。引き離されるまで泣いていた。喜んでいたと正国には見えた。
「龍神様の目を、決して見るでないぞ」
 父親の言葉を思い出し、正国は金色の眼を伏せる。神に魅入られ、隠されてしまうのだという。村に帰ってきた贄はいない。
 門の様な柱が見えた。手入れのされていない、くすんだ赤色を、少年は一人通される。渡された弁当は一日分。
「進めば祠がある。祝詞は覚えたね、間違えるでないよ」
「分かった」
 正国は振り返ることなく、真っ直ぐと奥へ進んだ。お世辞にも身なりは良いと言えず、みすぼらしく襤褸を纏い、ひょろりと長い手足が手持ち無沙汰に揺れ、子供とは思えぬ荒んだ金の眼光だけが、爛々と輝いていた。
「龍神様、龍神様、我らへ導きを与え給え」
 雑草が生い茂る、壊れた祠の前で、少年の呟く声は揺れる木々を縫い、空へ響く。水を司り、纏う炎は命を焼き尽くすという龍の神は、昔荒れ果てた地を耕す人々に水の力を与え、火を与えたのだという。
「……」
 祝詞を唱え終え、正国はその場に項垂れて居た。見れば弁当には虫が集っており、払えば食えぬ訳ではないが、元々食うつもりはなかったので、ぼんやりと眼前の枯葉を見つめていた。形式化した儀式に何があろうか。龍神などいるのだろうか。帰り道の井戸か川に身投げでもするか。空腹で頭がぼうっとしてきた頃、微かな音に、首をもたげた。辺りは夕暮れで、赤く染まっていた。
 だから正国には、相手の顔が見えなかった。己と同じくらいの背格好の少年が、目の前に立っていた。藍の絣は上等なものだった。
「腹が空いておろう、これを食え」
 澄んだ声が、鼓膜を振動させる。その声は童にしては低く落ち着いており、差し出された団子を、口元へ運ばれたそれを、正国は無言で受け取り食べる。
「おぬし、名は?」
 膝をついた少年は頭に布を巻き、目元は朱色の布で覆っていた。
「正国」
 物の怪や妖は人間の名前を巧みに聞き、操ってしまうという。しかし正国は自然と口を開き名乗っていた。彼自身の意思でもって、人間ではないであろうそれに、名乗っていた。
「還りたいか?」
「いいや」
 棄てられたひとりぼっちの身は、山で獣に食われると思っていた。幼い瞳は何も映さず、全てを諦めた心はがらんどうであった。
「国広と」
「……?」
「拙僧の名だ。この先に洞穴がある、付いて参られよ、正国」
 目隠しをしたまま悠々と歩く、国広と名乗った少年に続き、小さな洞へ入る。
「龍神というのだから、人の姿だとは思わなかった」
「……カカ、おぬしが見えている拙僧は、おぬしがそう望んでいるからである」
「よくわからねぇ」
 分からずともよいと、国広は笑った。
「国広、その目隠しは外さねぇのか?」
「おぬしは見てはならぬ、戻れなくなる故」
 国広の言葉の意味を正国は分からなかったし、どうでもよかった。自分がここにいても良いという事実だけが、正国の心を占めた。
「国広」
 振り返る少年の、頬へ手を伸ばした。白い頬は暖かく、その手を覆ったそれも、暖かかった。


 数年の時を経て、正国は立派な青年となっていた。望んだ姿となるという言葉の通り、国広は共に成長したが、その目元を覆い隠す朱色だけはそのままで、釣り竿を片手に快活に笑う男の目元だけが異質であった。
「やまめが釣れたぞ」
「俺も山菜が大量だ」
「カカカ、今夜は御馳走であるな!」
 高下駄で器用に岩場を駆け下り、正国の背負う籠を覗き込んで男は笑った。茸や木の実、野草の毒の有る無しはすべて、国広の教えてくれたものだ。反対に釣りや狩り、仕掛けの類は正国が教えた。
「もう直ぐ冬が来る。備えねばなるまい」
 紅葉も深まる木々を見上げ、国広が呟く。つられ空を仰ぎ、同意の声を上げるのと、鼓膜を揺らぐけたたましい轟音が鳴るのは、ほぼ同時だった。
 火薬の匂い。鳥達の羽ばたく音、咆哮。隣を見れば国広が走り出していた。籠を放り、後に続く。
「人間よ、去れ。無益な殺生はするな」
 風のように駆ける国広は、実際風であった。深くよく通る声がこだまし、猟銃を背負う男達は怯えた顔で互いの顔を見合わせた。漁師の足元に、立派な体躯をした牡鹿が斃れていた。動かない鹿から漁師が後ずさる。滅多に人の入り込まない山であったが、狩りの途中、どこからか迷い込んだのだろうか。
「去れ、人間よ」
 一目散に人間が駆けて行く。立ち尽くす項垂れた背に、正国は手を伸ばした。
「国広」
 振り払われた手を、歪む相貌を、眼の見えぬ男の顔を見た。
「すまぬ」
 震える声を聞いた。咄嗟に掴んだ手は震えていた。気付けば正国は、男を抱いていた。腕の中で、己より背も高く逞しい躰を、ただ、拒絶を恐れ抱いていた。腕の中の男が拒むことはなかった。
 小さな洞穴の奥、二人分の寝床になってどれほどの時を此処で過ごしただろうか、焚き火の炎に照らされ、色濃く影を作る整った横顔を、ただ見つめる。
「言いたくなきゃ聞き流してくれ。なぜ、人間を憎む? なぜ、その目隠しを外してくれない?」
「……拙僧は、昔とある人間を好いていた。この眼は、そのものの真の姿を曝け出す、本性を見せてしまう。拙僧を見るその者の眼は、憎悪で濁っておった。それ以来、拙僧は己の眼を隠している」
 無様であろう、と、悲しく笑った人ならざる者を、正国は黙って見つめていた。
「ではなぜ……子供の俺を助けてくれたんだ?」
「分からぬ……何故であろうな」
 その晩は、どちらともなく寄り添い、深く眠りについた。正国は、己を抱く焔を見た。灼かれながらも、命を燃やしながらも、暖かく赤いそれは、傷付けんとしているものではないとわかっていたから、正国は焔に身を委ねた。


 とある山桜の舞い落ちる春の日、それは唐突に訪れた。
 山の木々が騒めくのを感じた。慟哭が空へ響いた気がした。血が凍りつく様な心地がした。生温い空気、怖気が躰を這う。
「ここを動くな」
 返事も聞かず、風の様に駆け、国広は塒を出て行った。低い声は真剣で、しかしじっとしていると躰をなにかよくない気でやられてしまう気がして、青年はよろめく脚を叱咤し、森へ入る。
「国広、何処だ?」
 声を上げ、道無き道を進む。山は静まり返り、生の気配の一切すら感じさせない。尋常ではない。何が起こっているのか、国広を探し、青年は彷徨った。
 それは、瘴気と呼ぶにはあまりに生温い何かであった。眼を焼かれそうになり、咄嗟に瞼を閉ざし、咆哮を聞いた。山に響き渡る熱く、包み込むような咆哮は、よく見知ったものの声であったのだろう。悍ましい何かは山を覆い尽くさんと膨れ、正国は躰を灼かれる感覚がし、闇へ落ちていった。ただ侵蝕する闇の炎が、子供の頃果てる定めであった魂を、残酷な黒が覆う。
「正国」
 愛しい男の声を聞いた。泣きそうに震えた声がし、凍えた躰を包む暖かな焔が、透き通った焔を宿した瞳が、青年を照らしていた。
「やっと俺を、見てくれたな」
「正国……」
「ああ、思った通り、綺麗な眼だな」
 涙を流す、赤い瞳の龍が、青年を包み込んでいた。光を帯び虹色に煌めく白の鱗を、靡く天色の鬣が覆い、全身に焔を纏うその神はまさしく龍であった。
「逝くな」
「いずれこうなっていた、だから泣かないでくれ、国広。俺は、お前といられてよかった」
 もう寒くない、灼かれ見えぬ眼を細め、青年は笑う。月の輝きを宿した金の双眸が、青年の躰が、やがて闇に溶けてゆく。
「そうだ国広、俺を喰ってくれ……そうしたら、ずっとお前と一緒だ」
「正国……苦しみを、味わせたくはなかったが」
 暖かい焔が、闇に沈む青年を赤く浮かび上がらせた。
「永遠の命を得れば、満たされぬ乾きがおぬしを灼くであろう。時に取り残され、それでもおぬしが、拙僧と生きたいと願うのであれば」
「……お前を一人にはしたくない。お前は真実を見る眼を持っているんだろう。俺は……お前となら、どんな苦しみにも耐えてゆける」
 真っ直ぐな声だった。あまりに幼く、あまりに世界を知らないその眼は、出逢った時のまま、龍を見上げていた。
「国広、お前が好きだ」
 凍てついた心を溶かす、その輝きは眩しく、龍は赤い眼を細めると、微かに笑った。

 空に浮かぶ、赤と金の星がある。決して離れず、寄り添うその星は、命あるものすべてを等しく導く灯火となった。

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