top of page

あけのひかり

 

 昂揚感。戦場において同田貫を支配する感情はそれである。鼻腔に染み付く血の臭い、突き刺さる殺気、張り詰めた空気は、全身の神経を研ぎ澄ませる調味料。血糊でべた付く刀身を振るう。地に伏した、人型であり異形の敵。この地の敵の本丸は、目と鼻の先だ。肺に目一杯空気を取り入れ、一気に吐き出す。曇っていた意識が晴れ渡る。もっとだ。もっと戦わせろ。血で赤黒く染まった男のギラついた琥珀だけが、爛々と輝いた。
「君は闇に近づき過ぎているようだ」
 名残惜しい戦場からの帰還のすぐ後、審神者は同田貫を呼び言った。隣には近侍である山伏の姿があった。
「闇だ? んだよそりゃぁ、俺は早く次の戦がしてぇんだよ」
 眉間に深く皺を寄せ、今にも歯を剥き出して咬み付こうとする同田貫を、山伏が制す。静かに見下ろす赤を、苛立たしげに睨み上げた。
「遡行軍との戦いで、君達は多かれ少なかれ、影響を受ける。傷を受ける度、奴らの穢れが侵入し、それが蓄積すると君達は闇に近づいてしまうのだ。それを我々審神者は手入れにより防いでいる。しかしそれが追いつかない場合もある、例えば今の君だ」
「知ったこっちゃねぇ、俺はあんたに言われて戦ってんだ、戦うなってか?」
「そうではない、主殿が祓い切れぬ場合は石切丸殿らが祈祷し浄化するのだ」
「勝手に話に入ってくんな、お飾りが」
「……」
「お祓いとか俺には必要ねぇ、話は済んだか? じゃあな」
 興が削がれたのか吐き捨てるように呟くと、不機嫌を露わに襖を開け放ち、審神者の制止の声にも同田貫が振り返る事はなかった。
「また断られてしまったなぁ……あれではもう普通のお祓いでは意味がないぞ。本丸ですらあの調子だと、戦場で他の男士へ刃を向けるかもしれない」
 恐らく、残された猶予は数日。審神者は確かめるように呟く。腰掛ける主を、近侍は黙って見つめた。
「このままだと危ないから、もう同田貫は刀解しないといけない」
「それはならぬぞ、主殿」
「何故だい? おまえや石切丸はあの刀の穢れの影響を受けなくとも、おまえの兄弟達は受けているのだよ」
 山伏は、個より他を優先させると言った主人の言葉を遮った。審神者は本当に不思議そうな顔で近侍を見上げた。理解出来ん、と言いたげな顔だ。
「ならぬのだ、主殿……」
 あの太刀を、戦闘狂いの妖刀に陥れる訳にはいかぬ。膝を付き、顔の見えない審神者を仰ぐ。
「主殿。拙僧に、山籠りの許可を願いたい」
「だめだ、おまえは近侍だろう」
「拙僧に……同田貫殿を祓わせてはくれぬだろうか?」
 意図の読めない暗い赤の双眸を見る。真っ直ぐ見上げる二つの朱殷は、少なくとも本気であることが窺えた。そして、この男はこうなった以上、そう簡単には引かぬことが。
「では一週間。一週間だけ猶予を与えよう。だめだった場合は刀解するからね」
「分かった。感謝するぞ、主殿」


 必要な荷を簡単に用意し、一人で打ち込みを行っていた同田貫を無理やり担ぎ上げ、山伏は山へと向かった。
「なっにすんだよ、俺は戦がしてぇんだ! 山なんかに行ってどうすんだよ!」
「修行だ」
「は?」
「修行である」
「ハァ? っざけんな!」
「祓い嫌いの同田貫殿の! 修行である!」
 緑萌える新緑に揺れる小高い山へ、足場の悪い岩場を物ともせず軽快に登る山伏に担がれ。修行と言われ、はいそうですかと納得できる訳もない。
「降ろせよこのっ……」
「まずは瞑想である。地に腰を落ち着け、大地を感じるのだ。煩悩も消えよう」
「俺は修行なんてしたくねぇ! この際お前でもいい、刀ァ抜けよ」
「ならぬ」
 鈍く陰りを帯びた鋼を振り翳し、引き攣った笑みを浮かべる同田貫を一瞥し、山伏は脚を掲げ、高下駄が同田貫の本体を叩き落とす。
「痛ッ……スカした面しやがって」
 こいつはいつもこうだ。笑ってばかりで、何考えてるか分からない。本体を奪われ、吼える同田貫を一瞥し山伏は歩き出す。
「これは拙僧が預かっておく。良いな?」
「何で」
「今のおぬしにこれは必要ない」
「今すぐお前の首を喰い千切っちまってもいいんだぜ」
 同田貫の言葉に応えず振り返った男の被った宝冠が揺れる。ぎら付く琥珀の双眸を見据える赤い目がざわめいて、一瞬、空気が震えた気がした。

 焚き火の炎を見つめ、同田貫は夜の闇に意識を向ける。滝に打たれ、座禅を組み、後はひたすら歩き通しだ。数日は泥のように眠るのが続き、山に登って何日経ったのか分からない。
「……」
 瞑目したまま座す太刀の、本体の置かれた程近くに、宝冠で包まれた抜き身の本体を見た。同田貫は音も無く近付き、山伏を手に取る。
「同田貫殿」
 恐ろしく静謐さを湛えた整った相貌が、近くにあった。背中に地面の冷たい感触を、容赦無く押さえつける、覆い被さる男の手を感じる。
「拙僧を折る気であったか?」
「だったらどうするよ?」
「……最後の手段に出るまで」
「俺を斬り捨てるか」
 否。男の瞳に殺気の類は欠片も感じられなかった。合わせを替えた白の装束を、同田貫を押さえつけたまま肌蹴させ、瞑想でもするかといった調子で山伏は言い放つ。
「おぬしの穢れを拙僧に移す。つまり今から躰を繋ぐ。不本意やも知れぬが我慢召されい」
「……ハァ!?」
「おぬしは動かぬだけでよい」
 いつの間に露わにされた自身に、厚い胸板に手が這わされる。上に乗る山伏の吐息は熱く、死装束から覗く肌は、焔は赤く、同田貫へと触れる手だけが冷たく震えていた。強弱を付け与えられる刺激はただそれを反応させるためで、興奮も何もあってないようなもの。
「ん゛っ…んむ、」
 男として形成された躰は嫌が応にも反応を示し、半分程勃ち上がった自身に舌が這わせられる。拘束は解かれていたが、眼前で行われる行為に理解が追いつかない太刀は動かず受け入れている。無意識に唾を飲み込んだ喉がごくりと、鳴った。


 どのくらい時間が経ったのか、分からない。空は暗く、火の消えた辺りに月明かりだけが、朧げに二人を照らし出す。
「……っ」
 同田貫を扱きながら山伏は自分の指を使い窄まりを解した。反らすこと無く見つめてくる対の琥珀に、萎えず勃ち上がり鈴口から涎を垂らす同田貫を見、躰が震える。深く息を吐き、ゆっくりと腰を下ろす。自分の指とは質量も長さも違う楔が、自重で奥深くへと割り入る感覚が躰を支配した。
「はぁっ……」
「ぐ、ぅ」
 中は熱く、吸い付いてくる内壁に誘われる様に、自身が入り込むのが暗がりにもわかり、男は唸り声を上げる。鍛え上げられた肢体が、引き締まった腰が、痛みに歪んだ赤が、瞼に焼き付いた。膝を震わせ腹上で跳ねる山伏の、額に張り付く青の髪へふいに触れたい衝動に駆られるが、全身が押さえ付けられた様に、躰は動かなかった。
「は、あ、っ……う、」
 結合部から水音を漏らし、腰を上下に浮かせ、横たわった男に絶えず刺激を与える。密かに懸想していた相手と繋がった悦びが、暗い充足感を山伏にもたらす。醜い劣情であっても、この男を喪うよりは、たとえ今後一切目を合わされること無く、声をかけられる事がないとしても、遥かにましであると、時折奥を抉る逸物から快楽を拾い、山伏は幽かに啼いた。
 全身を巣食っていた何かが、次第に薄れてゆくのが分かり同田貫は目を瞬いた。穢れと呼ばれたそれは黒く昏く、根の奥深くまで侵蝕していたと気付きぞっとした。霧の晴れ渡った視界には、歪な月と、己を見下ろす濡れた朱殷が、紅く燃え上がる焔が見えた。自身を優しく食む肉の熱さに、脳裏に火花が散り始めた。
「! っお゛、ぁ、はぁっ……!」
「ッ山、伏!」
「ひ、ぁぐっ、んアッ、あっ!」
 山伏の奥を乱暴に突き上げ、逃げる腰を引き、何度も打ち付ける。乱れた着物から見えた赤く尖った粒を摘めば、一際激しく戦慄いた躰が撓垂れ掛かってくる。
「ッイ゛っ…っひ、あ、」
焦点の合わない赤から透明な滴が落ち、同田貫は見た。震える赤が昏く翳るのを、穢れの抜けてゆく躰と裏腹に、眼前の男の焔が黒ずむ様を、次第に険しい顔に変貌する山伏の横顔を見た。
「っ……」
 花浅葱が、赤黒く染まってゆく。眼を、浄化の焔を黒く染め、赤く色付いた肌と着物だけが白であった。
「く、っ……!」
「ッ……」
 同田貫は最奥で己の白濁を放ちながら、この清浄な存在を己の黒で染めてしまったのだろうかと思った。流れ込む熱に静かに達し、浅く息を吐き出す開いた唇へ、同田貫は自分のそれを合わせる。
「ん」
 腕を突っぱねられ、ほぼ同時に呆気なく躰が離れた。濃い白濁を吐き出した逸物は萎び、あれだけ熱い肉壁に捕らえられていたとは思えぬほど、一気に熱が潰えるのを感じた。見上げる同田貫の琥珀を見る事無く背を向け、死装束を纏う太刀は歩を進める。
「おい、山伏、お前どこ行くんだよ」
「――――……」
 数日間聴き続けた真言が、低く通る男の声が、冷たい夜風に乗って届いた。その方向には川が、そして滝がある。
「――――」
 禅を組み、叩き付ける滝に全身を濡らしながら、山伏は真言を唱え続けた。闇の深い夜の山に木霊する声を、同田貫は黙って聴き続けていた。瞳を伏せた顔まで侵蝕する黒い焔が、闇が山伏を覆っていくのを、ただ見つめるしかなかった。
 やがて、空が白んで、木々の間から強い光が差し込んだ。夜明けの訪れと同時に、声が途絶えた。朝日に照らされ立ち上がった男を、眩い金色が包み込んだ。
「……!」
 同田貫は瞬きも忘れ、赤い輝きを取り戻す焔を、穢れの潰える様をまじまじと見た。青空よりも澄み切った青が靡き、腰まで伸びた花浅葱に、血よりも赤い双眸に眼を奪われる。霊力の限界まで高まった姿は、かつて美術品であったという話に違わないと。
 眩さに眼を細めた同田貫に、山伏が近づいた。蓄積し続けた穢れが完全に断ち切れたのに安堵し、頽れた男を同田貫が抱き止める。
「帰還しようぞ……同田貫、殿」
「……あぁ」
 凍えた躰が消えてしまわぬよう、強く抱き締めた。腕の中の男は、赤い眼を微かに眇め、弱々しく笑った。


 本丸に帰還した同田貫が審神者の部屋に通されると、主は開口一番に声を荒げた。
「全く君というやつは! 心配ばかりかけて! メッ!」
「……あんた、無理してんだろ」
「ばれたか。心配したのは事実だよ。何にせよ、山伏には感謝したほうがいいだろうね」
 淡々と話す審神者だったが、その声色は何時もよりも穏やかであった。
「あいつがどうしたっていうんだ?」
 歩けると言って聞かず、行きと逆に無理矢理担ぎ上げ連れ帰った太刀は大きく疲弊し部屋で寝込んでいた。審神者は、聞いてなかったのかい、と驚いた調子で首を傾げる。
「闇に堕ちかけ、刀解もやむを得ない君への処置に待ったをかけたのが山伏だったのだよ、随分と必死だったなぁ、あれは」
 同田貫は知らされた事実に愕然とした。正気を失いかけていたとはいえ、あの太刀はそんな素振りを露ほども見せなかったが。
 その日から、同田貫は気付けば己の穢れを祓った太刀を目で追うようになっていた。遡行軍によって傷付き、闇を纏う刀剣を祓い清める山伏に、苛立ちを募らせるようになる。よもや他の奴に対してもあの夜の行為をしているのではないかと。あの様に乱れ、神々しい姿を晒しているのではないかと。
「……あの姿の山伏を見てもいいのは俺だけだ」
 溜息と共に、見下ろす蒼の瞳が細められる。
「おいおい、それは独占欲というものだろう」
 低く深みのある落ち着いた低音で、大太刀が呟いた。この世話好きな石切丸と言う付喪神は、同田貫が己から話しかける数少ない一振りであった。口元に添えられる手を見る。
「同田貫くん、それは恋だよ」
「はっ?」
 口をついて出たのは、間抜けにも裏返った声だった。まさかそんな。
「俺があいつに!? ありえねぇ!」
「こういったことは素直に認めた方が楽になるのだと思うよ」
 そんな事、絶対にある訳がない。刀が恋など。馬鹿げている。
「石切丸殿! 主が呼んでおったぞ」
「!!」
「ありがとう、今行くよ」
「……同田貫殿」
 突如現れた渦中の相手に、同田貫が固まった。大太刀の陰になっていた太刀を見つけ、山伏が笑みを消す。
「じゃあ、私は行くよ」
「あ、ああ」
「……」
「山伏、お前」
 赤の双眸が、眇められる。部隊も違えば内番で組む訳でもなく、遠めに眺めるばかりで、数日ぶりに間近でその朱殷を見た気がした。
「何であろうか」
「こないだの、あれ、だけどよ……」
「拙僧、」
 宝冠に隠された表情は見えなかった。やっと聞こえる囁きは、震えていた。
「誰に対しても、あれをやる訳ではないぞ」
 心音が煩く響き、一度だけ振り向いた男の赤が、あの夜の濡れた瞳と重なって、同田貫は暫し呆然と突っ立っていた。

bottom of page