独占欲
なんて顔をしているんだと。苦笑混じりの相貌は呆れを滲ませて、普段よりも愉しげに笑う男を黙って見下ろした。
紅葉狩りをと言ったのは山伏からだった。本丸の裏手にいつの間にか在った裏山は丁度見頃を迎えていて、美しく色付いた木々を、茸や木の実といった旬の食材を採りながら進み、二振りは山の中腹にて握り飯を頬張った。清らかな清流を流れる椛は、見上げる澄んだ青空に映える紅葉は、眼前の情人に似ていると同田貫は紅じゃけ結びを口へ運びながら考えていた。ぽりぽりと己の漬けた沢庵を齧る山伏がふと同田貫へ視線を向け、柔らかく微笑む。二人きりの時にだけ見せる笑みだ。慈しむ様に、愛おしい者を見る目だ。
「付いておるぞ」
気付かぬのか、とからかう響きの声は穏やかで、籠手の外された存外しなやかな指が漆黒の髪を梳き、離れた手の中には椛があった。
「おぬしには中々どうして似合わぬな」
「お前には似合うだろうがよ」
「そうか?」
摘まれた紅い葉を青碧の髪へ差し、どうだ似合うか、と悪戯に笑む太刀が首を傾げる。
「お前の眼の色だ」
「なれば、イチョウの葉はおぬしの色である」
金の葉を取り出し、耳の後ろへ差し込まれる。先程麓で見付けた銀杏を拾った時に籠に入れたのだろうか。山伏は取り出した別の葉をひらひらと弄び口に咥え、強く息を吐いて空へ飛ばした。銀杏の葉は緩やかに回りながら、椛で赤く染まった小川に吸い込まれていった。
昼餉を済ませさて再び歩こうかと立ち上がった時、草むらが揺れ、狸が顔を出した。
「おぬしの仲間か」
「違ぇよ」
まだ仔狸なのか、小さい手足をばたつかせ近寄ってきた黒い毛玉を同田貫が抱え上げた。
「お前、何で俺んとこ来たんだ?」
ふかふかの毛並みを撫で笑う。声色は柔らかく、頬を寄せ甘えてくる狸に次第に夢中になってゆく。甲高い鳴き声が耳をくすぐり、近付けた鼻をザラついた舌が舐めた。
「ハハッ、可愛い奴だな、寂しいのか?」
破顔した打が狸を撫で、両腕で抱える。余り見ない表情だと山伏は思った。いつも不機嫌そうな相貌は随分と幼く見え、引き攣れた傷痕をてしてしと小さい前足が叩けば擽り返し、残っていた玉子焼きを平らげた小さき獣を、琥珀の瞳が見つめている。
「……最近日の入りも早い。そろそろ発たねば」
「あぁ、もう少しな、こら擽ったいぞ……はは」
山伏から笑みが失せたのに同田貫は気付かない。何か言いかけ、口を噤んだ太刀は音もなく立ち上がると踵を返した。
「……拙僧、頂上までの道順を確認して参る」
「おう。…………」
「……正国、」
返事は無く、視線すら寄こさず戯れ続ける男を一瞥し、山伏は情人の傍を離れた。
「…………」
己一人だけならば、知り尽くした庭の様な山を駆け登るのは容易だ。高下駄をからりと慣らし、山全体を見渡せる岩場へ落ちる滝壺の轟々とした音を聞きながら山伏は小さく嘆息した。頂上まで半刻も経たず登りきり、息一つ乱さずに、今回の目的地でたった一振り、絶景を見下ろしている。何とも無様であった。
「相手は獣であるというのに」
醜く哀れだ。あの月光の煌めきを別のものに向けられ、心をざわつかせるなど、修行不足も甚だしい。最近部隊も離れ顔を合わせる機会も減っていて、審神者に頼み込んで得た休暇であった。自分自身の手で不意にするとは、情け無い。深く溜息を吐き、滝行でも行うかと背後を振り返り。
「おまっ……早ぇな、」
ゼェゼェと肩で息を吐く情人が居るのにやっと気付き心音を乱れさせた。思い浮かべていた笑顔は無く、じんわりと汗を滲ませた表情は苦々しい。
「……国広?」
微動だにしない太刀へ同田貫が近付いてくる。木の葉の積み重なった地面を踏み締め、下から覗き込まれる。
「どうした?」
「な、ぜここが、拙僧が此処に居ると」
「ん、勘だ」
くしゃりと破顔した貌はあどけない。鋭い感覚を持つ同田貫は実際勘と言っては道筋を最短で辿ったりするのを間近で見た山伏は疑いもしなかったが、己の表情を見られたくもなく視線を逸らす。見透かされるのが怖い。澄んだ金色を見据えてしまえば、醜い心を暴かれる気がしたからだ。
「あいつ、お前がどっか行った後すぐに仲間が迎えに来たんだ。山犬だろうな、逸れてたみたいでよ、」
「……おぬしは、おぬしはあの畜生の方が良いのか?」
「は?」
嗚呼。此方を見るな、醜い欲に塗れた己を見るな。一旦口を開けてしまえば、もう止まらない。
「拙僧よりあの畜生の元へ行けばよかろう、折角二人きりだと言うのに……!」
「お、おい、どうした?」
「正国、おぬしは何も分かっておらぬ」
鼻の奥がつんと沁みる。嗚呼、情け無い。唖然と見上げていた同田貫が、きょとりと瞬くと堪えきれずといった様に噴き出した。
「なんて顔してんだ、国広」
「ッ……拙僧、このまま山に籠って己の未熟と」
「さっきの犬と同じ顔しやがって、睨み付けて来たんだぜ、俺は何もしてないのによ」
「……?」
「お前それは修行不足だな、俺を独り占めしたいなんて。俺はお前の傍を離れる気は無いって、分からねぇとはな?」
にい、と意地の悪い笑みが向けられている。何もかもお見通しと言うわけだ。この琥珀の前では、日々修行に励み禁欲を貫く修験者としての顔など、一切取り払われてしまうのだから。
「っ……わ、笑うな! 拙僧は本気である、下山するなら一人で向かわれよ、正国」
「ッく、はは……! お前、顔真っ赤だぞ」
「煩いッ! みっ見るな!」
この山と一緒だなと笑う男は余裕があり、対してもはや平常心等欠片も無い山伏は両手で顔を覆い、彼の兄弟刀の心情をほんのちょっぴり理解したのだった。