「暇ぞ」
じっとしているだけでも汗ばむ、初夏の陽気。広い本丸の縁側の一角で、本丸唯一の薙刀は穏やかな微睡みに耽っていた。
くあ、と猫めいて欠伸を漏らし、岩融は茜色の眼を細めた。蝉が鳴くにはまだ早く、緩やかな水の流れる音だけが子守唄として耳を擽った。
と、じゃり、とやけに音が響き、夢見に片足を突っ込みかけていた岩融は瞳を片方だけ開く。
「いっ岩融殿」
山伏だった。正確には山伏姿では無いが山伏と言う名の太刀であった。己と同じ日に顕現した太刀とは部隊も同じで、時たま畑番も共に行う仲だ。手拭いを肩に掛けているので、何時もの修行帰りなのだろうと寝惚けた頭で考えた。其の儘重い瞼を伏せる。
「すまぬ、起こしたか」
山伏が常より小さな声で此方を窺っている。
「……岩融殿?」
寝られたか、と山伏が縁側に近付いて来る。寝たと思うのなら近寄るなと思うたが、実際寝ては居らんからとやかく言えぬ。
「岩融ど、」
肘をついて居ない腕を伸ばし、掴んだ手を引き寄せた。
「ぬぉっ!?」
修行帰りとは言え何と隙の多い奴よ。岩融は尖った歯を剥き笑う。逃れようともがく躰を背後から羽交い締めにし、高い春空の色をした髪に鼻を擦り付けた
「おれをおこしたばつよ……ぬしもともにねろ」
「っ!!」
其の儘項に顔を埋める。思い切り息を吸えば、山伏の汗の匂いと何やら甘い香りが鼻腔を満たす。
「っこそばゆいぞ……!」
肩を強張らせ、山伏が動きを止めた。元々岩融には力で敵わぬ上、姿勢も部が悪い。
「拙僧此れから湯浴みにっ……」
言葉で抵抗しても、躰に回された手足の力が弱まる事はなく、しかし何をされる訳でも無く、悪戯に羞恥だけが募る。
「……? い、岩融、殿?」
そろりと後ろを振り向くと、涎を垂らしながら気持ち良さそうに眠り始めた岩融が、ふにゃりと笑っていた。其れは、手繰り寄せる腕から必死に逃げるのが馬鹿らしく思える程。
「……っ拙僧まだまだ修行が足りぬッ」
眠りに着いて尚躰を解放せず暢気に寝る岩融を恨めし気に見詰め、顔を上気させた山伏は不動の王の真言を小声で叫び続けた。全くもって意味を成さなかった訳ではあるが。
そんな山伏を知ってか知らずか、とっぷりと日が暮れた後目覚めた岩融は「やけに寝心地が良かったぞ、また俺の枕になれ」と満足気に笑っていた。