多少慇懃な嫌いはあれど、其れは此の男が主人を対等に捉え、志しを共にする仲間と思うが故。
「脱ぎなさい、山伏」
「……主殿」
「手入れが出来ない」
宝冠は襤褸に成り果て、戦装束は血と泥に塗れていた。
「諦めろ、お前が常に言う此れも修行。主人には従え」
「……賜り申した」
坐する山伏が唸る様に絞り出した声に覇気は無く。
山伏が三十数振りが集う本丸に顕現したのは比較的遅く、練度上げの際の負傷だった。満身創痍であり尚隙の見えない精悍な佇まいはしかし、此方を見上げる双眸は奇妙に歪んでいた。
緩慢な動作でまず花浅葱の髪を晒す。行燈の光は彫りの深い相貌に色濃く影を落とし、疲労の拭えぬのが伏せた眼に伺えた。ふ、と刹那空気が震えた後、勢い良く両腕を装束の合わせに差し込みそのまま上半身が露わになる。
「……ほう!」
均衡の取れた美しい肢体だ。普段腕から見える焰の彫物は肩口にまで這っており、首や脇腹にも見えた。
「美しいな」
「主殿、手入れなされよ」
咎める声も矢張り、何処か弱々しい。
「背中はどうだ、疵は無いのか」
「無い」
「見せろ」
「……出来ぬ」
戦場で昏く輝く朱殷の双眸は今や鳴りを潜め、纏わり付くねっとりとした視線に小刻みに震えていた。
「お前には青が似合うと思うていたが、成る程赤もまた相違ないな」
差された紅に、鮮やかに燃え上がる焰に指を這わせ、囁く。躰は熱を孕み、時折爪を立て疵を抉れば、圧し殺した息だけが食い縛った歯の間から漏れた。
目玉は迸る鮮血で、彫物は行燈に揺れる焰だった。
「背を向け」
「……」
眼の前の耳を舐る。ひくりと肩が震え、吐かれた息は熱を孕み、視線が合った瞬間、燻っていたそれに昏い焰が宿ったかに見えた。
「っ、は……」
殊更ゆっくりと、山伏が背を見せた。
「!!」
此方を射抜く様な視線に身を強張らせる。震えた空気で山伏が笑った気配がした。不動明王。成る程本丸の者と未だに風呂を共にしないのは、此れのせいか。堂々と立つ姿はこの刀と重なり、幼い短刀あたりは怖がり泣いてしまうだろう。
「恐ろしいか」
「……いいや」
前同様見事に鍛えられた背は、その大部分を紅い焰に覆われ、中心には不動明王が鎮座していた。睨み付ける視線は一切揺らぐ事は無く、疵の一つも無い背中に、何時の間にか震えていた指を添える。
「止められよ、主殿」
一際強い制止の声は、確信を持って掠れ震えていた。
「これ、以上は」
小刻みな痙攣が指から伝う。
「は、っ……あ、るじ、殿」
「随分と、苦しそうだ。何処ぞ疵でもあるまいな?」
肩越しに此方を睨む朱殷とかち合う。見せ付ける様に舌先を尖らせ、迦楼羅炎をなぞれば、戸惑いに焰が揺れた。
背中の不動明王の彫物は言わば刀匠であり父である、堀川国広そのものと言っていいのであろう。だからこの刀は、いじらしくも必要以上にその身を晒す事を避けるのだ。
引き締まった腰に腕を寄せ、項に咬み付いてみる。浮き出た汗の塩気と、皮下の筋肉の痙攣と、熱く滾る血潮とを感じた。
「っあ、」
その引き攣れた声は。切な気に歪む瞳は。
咽せ返る様な、色を孕んでいた。