木刀を支えに頬杖を着き、やや離れた場所の賑やかな空間へ視線を向ける。ぼうっと眺める先で、からからと能天気な笑い声が青い空へ響いた。
パシャリ、と子気味よい音とともに強い光に目を眩ませて瞬くと暗闇に星が舞う。黒い箱を構えた審神者がすぐ近くに、続けざまに乾いた音が繰り返し。
「なんだよ」
「あはは、間抜け面」
見てみろと、箱から出てきた紙を扇げば浮かび上がる己の顔は、まあ確かに呆けたツラではあったけれど。いきなり写真を撮られれば誰だってそうなるだろう。審神者のポラロイドカメラは蔵の掃除をしていて発掘されたそうで、ご機嫌で写真を撮りまくる主を横目で見やり、視線は再び遠くへ。腰掛けた審神者も同じように辿らせる。
「何見てるかと思えば。もっと近くへ行けばいいのに」
「いーんだよ」
「そーかそーか、恥ずかしんだろ。じゃあせめて、写真撮ってきてやろうか」
「は? いっいいって別に俺は――あ、おい!」
ぴゅっと駆け出した青年はあっという間に駆け戻ってきて、ほいと目の前に白い紙。勢いのまま受け取れば、徐々に浮き出てきたのは快闊に笑う太刀の、燦々と明るい笑顔だった。
「どや、うまいもんだろ」
「……」
空を溶かしこんだ色の短い髪に、よく日焼けた肌を汗が伝う様子すら鮮明に。刹那を刻み込んだ紙っきれを、暑さのせいでない手汗を拭いながら確と持つ。太陽へ透かせば同じ色の、もっと赤々と燃えるような瞳が己を見ている気がした。眩さに目を細め、溜息を吐く。
虚しい独り言は、初夏の陽射しに蒸発して淋しく消えた。
「俺の前じゃこんな風に笑ったりしないんだな……大体は――」
堀川長兄は素直になれない
「――この、ばか田貫!」
「馬鹿ってなんだよ」
大広間に響く声は大層通りがよく、深々と眉間に皺を寄せて、山伏は低く唸る。なんてことはない、朝餉の配膳係だった太刀の背後から惣菜をひとつ拝借したら、その分を減らすと言われた。反論しようが頭ごなしに怒鳴られ――まあいつものことだ。
「別にいいだろ、味見だよ味見」
「お前のそれはつまみ食いというのだ。数は決まっておるし、残りは遠出の者らの弁当になる」
見下ろされる気分は良いとは言えない。じっとりと見据える視線から顔ごと逸らし、腕を組んだ。
「……ケチ」
「けちとは何だけちとは」
小声で呟けば即座に眉を吊り上げ、やや抑えた口調、これは噴火兆候とみた。嵐の前の静けさとはよく言ったもので、こちらの出方を伺う様子を横目に、周りの男士が若干引くのを他人事のように眺める。ゆっくりと盆を卓へ乗せれば、爆発寸前のサインか。
「ほんとのことだろうが、けちんぼ」
「食いしん坊に言われとうない!」
「なんだよ!」
「何だ!」
歯を剥き出しに怒号を浴び、負けじと声を張り上げる。顔を突き合わせて、息を荒らげたまま睨み合う。こうなってしまっては後には引けず、レベルの低い口喧嘩が勃発するのが常だった。
「バーカ!」
「馬鹿という方が馬鹿なのだ、この――おタヌこなす!」
「っ……!」
山伏はふふんと得意げに鼻を鳴らすが別にこっちは言い負かされたとか、返す言葉も見つからない訳じゃない。ひたすらにかわいいと、うっかり本心が口をつきそうになっただけだ。かわいい。
――己はこの太刀に懸想している、恐らくは初めて出逢ったあの日から。ただどうしても、絶望的なまでに素直になれない。他の奴らにはここまでじゃないし、そもそも言い合いにならない。山伏とだけだ。
「どうした、もう降参か」
「っげーよ……」
「おーおー、朝っぱらから痴話喧嘩かぁ?」
空気の読めない酔っ払い連中が野次を飛ばす。山伏同田貫の両名はすぐさま振り返り、同じ瞬間に同じ台詞を叫ぶ。
「酔っ払いが言うな」
勢い余って山伏が僅かによろめくのを見逃さなかった。普段から修練に打ち込み鍛えられた体幹は、びくともしない筈なのに。泳ぐ視線を掬いとって、山伏は大仰に嘆息してみせる。
「いつまでもお前に付き合っていられぬ、退いてもらおうか」
「やーだね」
「む……」
無理矢理避けようとして屈めた躰が均衡を失い、大きくよろめいた。――いつもこの男は隙が多い。盛大にすっ転びそうな太刀の腕を咄嗟に掴む。
「っ危ねぇ……!」
「!」
引き寄せれば躰が、顔が近付くのは自然の道理だ。驚愕に見開かれた相貌は気の抜けて、幾分か幼い印象となって記憶に刻まれる。
「ッ……さ、わるな」
腕を振り払われ、消え入りそうな声が聞こえたと思えば、踵を返した太刀は厨へ大股に歩き去ってしまう。
「っんだよ……」
すうと高まっていた気分すら一瞬で霧散し、虚しさが全身へ伸し掛る。寂しさと罪悪感が残滓めいて糸を引いた。わざとちょっかいをかけるのは、たとえ嫌われているとしても無視されるよりはましだからだ。
蟠りを払うように朝餉をかっ食らった。同田貫が広間にいる間、彼の太刀は終ぞ現れなかった。
――あいつが好きと気付いたきっかけは、一体なんだったろうか。
足取りは軽いとはとても言えない。着替えのため自室へ向かう道すがら、男士達の自室を通りすがる。暖かな陽気に賑やかな笑い声がそこかしこから誘うも、同田貫の深い琥珀色の瞳はくすんだ色味の儘彷徨う。目の覚める青空色を、無意識に探した。
「――」
あの日も、こんな昼寝日和だった。手繰り寄せた先の記憶がぱっと蘇れば、色付いて胸を焦がす。
堀川派に宛てがわれた部屋で大の字の格好で、案外に静かに寝息を立てながら山伏が寝ていた――珍しい奴が午睡してやがると、翌日に遠征を控えていた同田貫は歩む足を止めた。
「……」
偶に瞑想する姿を見かけていたものの、四肢を投げ出して眠るなど初めて見た。覗き込めば、僅かに口を開け安穏に寝顔を晒す。常より大分あどけない相貌は、ともすればふにゃりと歪んで、胸の奥で何かが軋み熱いものが込み上げてきた。そういや、ここまで近付くことすら初めてではなかろうか。
知らずに伸びた手が、顔に陰を落とす。鮮やかな青碧は風に緩やかに揺れて、ほんのりと甘い香に鼻を擽られ、淡い黄金の瞳を細めた。
「!」
ばちり、と音がしたのは幻聴か。山伏は唐突に目を覚ますと、慌てて躰を起こし遠ざかってしまう。呆気に取られたまま行き場のない手を離れた背へ伸ばせば、絞り出すような声に惑うばかり。
「……目覚めて最初に見たのがお前とは……っ」
顔を逸らしこちらを見もせずに唸る声は低く震えていた。一瞥もくれず立ち上がるとそのまま何処かへ去った太刀をしゃがんだまま見送って、同田貫はすとんと溜飲が下がる思いだった。――嗚呼、自分はあの太刀に嫌われているのかと解へ至る。特別何かした覚えはないが、理不尽な仕打ちに徐々に苛立ちを募らせた。一方的に嫌悪されるなど、気に食わない。
きっかけは些細に過ぎない。自覚する頃には、己の恋心は――そんなもんあったのかと驚くが、隠すにも苦労するほどに膨れ上がっていたのだった。
不器用で何にも昇華すされることなく、憧憬と呼ぶには情動的で、恋慕と呼ぶには薄汚れた欲は、今なおすくすくと日陰で太陽を羨んでいる。叶わぬ願いなど生まれないほうがいい。処理限界を越えた感情は、無用な干渉へ形を変えてあの遠い背へ降り掛かってゆく。
名前も知らない花の香が、空高く舞い上がった。
――――
重たい溜息は先程から止まない。自室で突っ伏して自己嫌悪の日々も暦を幾度塗り替えただろうか。
「兄弟、うるさい」
「うぬ……」
「主への用があるんだろう、さっさと行ってこい」
人形のように整って美しい貌は先程から漫画雑誌に向けられており、弟刀を睨んだまま山伏は唸る。
「兄弟が冷たい」
「朝から痴話喧嘩を聞かされるこちらの身にもなれ」
「痴話喧嘩ではない……」
配膳を途中で投げた己の代わりに手伝ったと聞けば、こちらが下手に出る他ない。既に本日の甘味を献上してもなお、いつものことだと軽くあしらわれてしまう。詰んだ。
「いい加減素直になれ」
「で、出来ぬ……無理だ……どうすればよいのか全く分からぬ……」
「……どうしようもないな」
素直になれれば拗らせもしない。瞑想の成果はこれっぽちも実を結ばず、そもそも相手に嫌われているのだから一抹の希望もない。
「アンタ、本当に分かっていないのか」
「何も分からぬ……」
「自分から視野を狭めてどうするんだ、修行は」
それとこれとは話が違う、と突っ伏したままくぐもった声に、低い溜息が被さった。
「……修行、拙僧には修行が足りぬ……」
「そうだな、主のところ行ってこい」
「ぐぬぅ……」
躰を引き摺り、弟からはどうでもよさそうに雑に手を振られ主人の執務室を訪ねる。審神者の姿も近侍の影もなく、無駄足を踏んだことで更に気分が下降する。そろそろ地へめり込もうかといったところで、文机に先日青年が携えていた黒い絡繰が目に入った。
「はしゃいでいたのも数日であったな……」
飽き性の主人の執務室まで、個人的趣味の道具が浸食し始めているのかと肩を竦め、散らばった写真を拾い上げてやる。見事に咲いた桜の下、誰も彼もが笑っていた。兄弟と、或いは関わりの深い者らと。ぼやけたり指が写り込んだり、素人感のある出来栄えを眺めるうち、ふと指が触れた写真に釘付けになる。
「――同田貫……」
かめらの向こう側へ焦点を合わせ、気の抜けた顔は酷く穏やかそうに柔らかい色をして、緩んだ目元には暖かい月のような瞳が浮かんでいた。安寧を切り取った四角い枠の中の刀を、そっと胸に抱く。
「嗚呼――拙僧の前では、このように気を許してはくれぬのであろうな……」
口を突いて出たのは、これ以上なく素直な心根だ。焦がれる月の煌めきは、己へ安らかに注ぐことはないのだろうけれど。何度目かの溜息に、近付く小さな足音に慌てて散らばる紙片を掻き集め立ち上がった。
「――ふむ、どうしたものか……」
無意識に入れたのか懐に挟まっていた紙片を見下ろし、山伏は途方に暮れていた。夕暮れに影差し込む自室の端でかれこれ四半刻は、主に返すか、理由を問われでもすれば上手い言い訳も浮かばずに怪しまれるだろうと悩む。
「……せめて、夢見では穏やかにいられれば」
胸元に突っ込んでいたせいで少し寄った皺を丁寧に伸ばし、敷かれた布団の枕元へそっと忍ばせた。これくらいはどうか許して欲しいと呟けど、聞き届ける相手はいない。
他愛ない口喧嘩とはいえ、ことあるごとに突っかかってくる彼の刀を跳ね除けるしか出来ない己を悔やみ嘆く。たとえば味付けの濃い薄いだとか、通路で鉢合わせ避ける進路が被るだとか。些細なきっかけであれ実らぬ慕情を悟られることなく触れ合えるというのは、有難い半分情けない己をいっそ呪ってしまいたい。長い長い溜息が、地平に沈む斜陽へ吸い込まれていった。
――――
事件なんて起きそうにもない、カラリと晴れた晴天が広がる本丸に、ドタドタと足音がこだまする。
「ちょ、ちょっと! アンタの兄貴どうしちゃったのさ」
景気よく開かれた障子戸が大太刀の打撃にミシリと嫌な音を立て軋む。文机の書物から目を離すと、山姥切は本日の近侍を見上げた。息切れに弾む肩と長髪を眺め口を開く。
「朝から何だ?」
「なんていうかさ、変なんだよ。まぁ普段からちょいと変わってるけど」
「俺に喧嘩を売っているのか?」
「ばっ馬鹿お言いよ」
気が焦るばかりで趣旨が伝わらないと、山姥切は一旦大太刀を落ち付かせにかかった。状況が不鮮明のまま容易に動くのは主義に反する。深く息を吸い込み顔を上気させたまま、薄化粧の相貌は困惑の形を保ちつつあらましを説明し始めた。
曰く、山伏国広の様子が何やら常と異なるという、いたく曖昧な言葉だ。
「アンタまた酒を飲ませでもしたんじゃないだろうな」
「アタシが四六時中絡み酒な訳じゃないさ、今日はまだ飲んでないし」
妙な反論にも、酒臭さが伴わない為か山姥切は信じたようだった。一先ずざわつく大広間へ向かいながら近侍の話を聞く。主も対応しきれずに途方に暮れているという。
「兄弟――」
「山姥切! いつも変わらず強く雄々しい兄弟よ、お前は拙僧らの誇りだ――うむ、汚れが目立ってきているな、後でこっそり洗濯に回してしまおう。まんがを読んでいる間にでも。もっと皆と近付いてほしいものだが、打ち込めるものがあるのは良いことだ」
「……何が何だか」
「でしょ?」
堀川が不在であることに内心頭を抱えた。確かにこれは、変としか形容するほかない。
「どうしたんだ兄弟」
「兄弟っ!」
にこにこと機嫌の良さそうな兄刀に抱き締められ足が浮く。口を開けば二転三転、話題が変わっては浮ついた声は、今の己のように地に足つかない曖昧さでもって聞き流されそうな。まるでぼんやりと考え事をしている時の、思考するまま独り言を呟くような――駆け寄ってきた審神者の困り果てた顔を見下ろし、山姥切はあ、と声を上げた。
「兄弟、下ろしてくれ。あと……こいつの服のセンス、どう思っている?」
主人のどピンクのスーツを指差せば、山伏は笑顔のまま、悪びれる様子もなく告げる。
「主殿は相変わらずけったいな召物であるなぁと」
「え! とばっちり」
青年は派手な柄のシャツに、眼も眩むような蛍光のネクタイにジャケットパンツの出で立ちだ。横で近侍が可愛いじゃないのさ、などと文句を垂れるが事態がややこしくなるだけなので聞き流す。
「こないだは春に似合う華やかな色だって褒めてくれたのに……」
「主、なぜかは知らんが、こいつに起こっていることは判明したぞ」
『――思ったことをそのまま口に出してしまうようですね』
山伏の肩にいつの間にやら座っていたこんのすけが、今しがた山姥切が出した結論と同じものを打ち出した。
「本音がダダ漏れだ」
『一部の刀剣から報告があるようです』
「む……?」
『不満を抱えたり何かしら抑圧され続けると、発露に至るという事例があります』
四対の視線を一手に受け、山伏は一振り状況を理解していないのかぱちぱちと瞬く。
「抑圧……」
「心当たりがあるんじゃあないか」
「そういうことね」
「う、うむ……」
どうやら周りには隠せていると思い込んでいた太刀は咳払いひとつ。赤みを帯びる顔を掌で覆うと深く呼吸を繰り返した。
「平常心で居れば何も変わらぬということだな!」
「それが駄目だからこうなったんだろ」
「抑圧された状態だというなら、こっちも出来る限り取り払ってあげたい。ボクは前から、みんなたまには我儘のひとつでも言ってほしいと思っていたんだ」
「……肉が食いたい」
「山篭りを」
「そういうことなら酒だ酒!」
「株、銭、小判!」
「お菓子ならなんでもいいぞ!」
「そうだね、修練場の改装とかどう」
「厨の釜、焦げが酷くて」
「皆で温泉行きたいです」
『あぶらげをどうか』
「いやいやちょっと色々駄目だから!」
遠巻きに見ていた連中までが、わいのわいのと囃し立ててくる。本丸に既に居る相手を話題にする者や、ここぞとばかりに予算をゴリゴリ削る案もちらほら。
「目安箱でも置くか……?」
「……主、一先ずは戦は控えるべきだ」
流されそうな審神者を見据え、山姥切が告げる。青年の困惑した表情は失せ、刀剣を纏めあげてきた主の顔へ。
「件の中心は山伏だ。本丸に原因があるなら、時空の影響の及ぶ範囲から外れることは得策じゃないと思う」
山伏は再び視線を受け苦い顔をした。未熟だ、と噛み締めた唇から漏れた言葉は、一層堅く閉ざした貝殻を覆う。
『原因となる欲求ないし感情を解消すれば、直に治まるという結果がございます』
「アンタはもっと発散すべきだ」
「……拙僧の未熟と致すところ悪いが、皆には付き合ってもらおうか」
真摯に頭を下げた山伏を咎める者はいない。場のざわめきが一段落したところで、達観に徹していた近侍が明るく笑いながら呈す。
「まぁなるようになるさ。そうだ、新刃歓迎会もまだだったじゃないか! 折角皆揃うんだからさぁ」
丁度遠征から帰還した一団へ手招きしながら、次郎太刀は破顔した。
堀川長兄は辛抱出来ない
薫風そよぐ午後。木の上で生欠伸を噛み殺す同田貫正国は、眼下の人集りを見下ろしていた。主から欲しいものややりたいことがあれば遠慮なく言うようにと言われたものだから素直に告げれば却下され、元あった出陣予定も当分先とくればすることは鍛錬か昼寝くらいのものだ。久方ぶりの新刃歓迎会もついでの宴で賑わう中に交じる調子外れの歌声を子守唄に、再び目を閉じる。
「そこな暇刃、手伝え」
憎々しい程に滔々たる声に、微睡みかけていた意識を叩き起されてしまう。緩慢に降り立てばその細腕のどこにそんな力があるのか大きな酒樽を放られ、慌てて受け止める。
「っぶねぇな……」
「運んでおくれ、皆よく飲むものよな」
「あんた飲まないでいいのかい、じいさん」
「何、父もたまには子らのため動きたいのよ」
小烏丸はほほと綻ぶと厨房へ戻っていった。両手で抱える程の酒樽はいっそ転がすか押した方が楽に思えたが、同田貫は律儀に視界の殆どを埋める酒を抱え直し歩を進める。晴れた空に斑に白雲が散らされて、春告鳥がケキョケキョ鳴いていた。長閑な日もたまにはいいもんかと自然に鼻歌を歌いながら、敷かれたござへ靴越しに触れた感覚に声をかける。
「なぁこれ下ろすの手伝ってほしいんだが」
「――!」
鈍い音と共に酒樽が揺れ、視界の端に倒れ込んできた男にギョッとして慌てて酒を地面へ下ろす。山伏国広が伸びていた。
「やべっ……」
僅かに酒の匂いを纏う太刀を、一瞬躊躇して揺するも小さく唸るのみだ。顔を桃色に上気させ、額は更に赤く今ぶつけてしまったのかと察すると、同田貫は眉を下げる。
「おい、大丈夫か」
「んん……?」
潤む双眸が揺れ、次いで大きく瞠られた。赫く灼く双つの光が火花を散らすようで、見惚れる儘暫し見詰め合う。
「どっどう……――!」
両手で口を覆った山伏は俊敏に立ち上がって距離を置く。もごもごくぐもりながら何やら呟くと、一目散に駆け出してしまう。
「あ、おい!」
「同田貫さん」
先程まで遠征を共にした脇差が、背後で酒樽を軽々抱えながら口を開いた。
「兄弟のことで話があるんだ」
「……?」
俄には信じ難い話にも、真剣な眼差しに偽りはないと解れば、同田貫はしっかりと頷く。
「……全く、面倒臭い奴らだ」
「似た者同士ってことなんじゃないかな」
小さくなる背を眺め、兄を慕う弟は揃って嘆息した。穏やかに流れる風は、彼の男へ追い風となる。
音もなく開かれた障子から、膝を抱え俯く太刀へ影が差した。
「漸く見付けたぜ……おい、いつもの威勢はどうしたよ?」
「っ……」
「俺に言いたいことがあんなら、いつもみたく言えばいいだろうが」
同田貫を捉え口を覆い、山伏は決して広くない部屋の奥へ後退る。一歩歩み寄ればその分だけ離れてゆく、心の状態すら表すような攻防はひたすらに空しく。逸らされる双眸の色を、譬え憎悪であろうとも向けてほしいとすら願う。
「っ厭だ……このような、形で……」
「この際だ、俺もあんたに言いてぇことがあんだよ。腹割って話そうぜ」
「話すことなどっ――」
曰く己への感情が爆発寸前だと言われれば、いっそとことん嫌われても思いの丈を吐き出して楽になりたいと、同田貫は今度こそ迷うことなく腕を伸ばす。
「なぁ俺は……っおい、こっち見ろ」
「いやだ……!」
「ばか危ねぇッ――山伏!」
躓いた蒲団へと、二振りの躰が沈んだ。呼吸すら感じられるほど直近くで、金赤が交じり合う。互いに息を呑む音が、薄暗い室内へ響く。
「――ん?」
寸でのところで踏みとどまってしまいそうで、逸らした視線の先に、乱れた布団の陰から何かがちらついた。手を伸ばせば慌てたのは山伏だ。
「駄目だっ見るな……!」
あるひとつの可能性が、チリチリと核を焦がす。間違いなく見覚えのある紙っ切れを、皺の乗ったポラロイド写真を手に取った。きっと今この時と同じような、間抜けな顔を晒している――。
「これ、俺の写真……?」
「っぁ、ぅう……ッ」
まさか、まさか。口を覆う手を蒲団へ縫い留めて、顔ごと逸れる赤い双眸を覗き込む。振り解くつもりであれば簡単に出来る筈だ。現に、いつもであれば容易すぎるほどに。
「……なぁ」
びく、と肩が揺れるのが押さえ付けた指先越しに分かる。煩い心音が早鐘を撃てば、巡る血潮すら熱を持つような。
「――」
戦慄く唇が、震える声が名を告げる。絡め取った指先も、頬を擽る吐息も、熱を持っては燻り続けた欲に火を灯した。
「どう、田貫――……ッすき、だ」
「…………?」
同田貫が囁かれた言の葉の意味を理解するに至るまで数瞬を要し、更に己へ向けたものと気付くに数秒間。一瞬が、まるで永遠のように長く、永く、沈黙は戸惑い震える吐息に彩られる。
「っ好きだ同田貫、ずっと、前から……」
ようやっと、この太刀が抱えひた隠しにしてきた感情を知ることが出来た。俄には到底信じられるものではなく、聞き間違いか夢のような都合の良すぎる展開に頭を思い切りぶん殴られた心地で、みるみる頬が熱くなるのを感じていた。
一旦溢れ出したものは、もう止まらない。言葉も、嬉しさも、熱も、欲すら。
「お前に嫌われていたから、話すことはせぬと……っこんな形で……きっと軽蔑されて、二度とその目で見てくれなくなる……嗚呼、厭だ、見ないでくれ、いや、っ見てくれ……」
「きらい……とか、俺、は……」
にやけてしまう口元も、怯える太刀は見ていないのだろう。硬く眼を閉じ、捩る躰を堪らずぎゅうと抱き竦める。途端強張る山伏が息を呑むのが分かった。胸中へ遅れてやってきた暖かさが、瞬く間に全身を巡ってゆく。甘やかな香を肺へ取り入れ、上擦った声を弾ませた。
「俺も、俺もだよ……信じらんねぇ、まさか、同じだったなんて」
「っえ――?」
そんな筈ない、と拒む唇を塞ぐ。近すぎてぼやけてしまう見開かれた紅蓮を、ずっと焦がれていた――手に届かないと思っていた鮮やかな陽光は、今こちらをまっすぐと見詰めている。
「嘘なんか吐くもんか、俺も、あんたをずっと欲しかった」
「ッ……!」
カッと全身を紅く染め上げた山伏をもう離さないとばかりにキツく抱けば、やや間を置いておずおずと首へ腕が回った。嬉しい、好きだと震わせる舌を吸い上げ、蕩ける双眸もきっと舐めれば甘いのだろうかと、浮つく思考も融けてゆく。
「んむっ……ぁ、んぅ……っ」
「山伏、好きだ……あんたを俺にくれないか」
応える唇ごと貪り、空いた隙間を埋めるように、二振りは固く抱き合った。
煩わしいと内番着を引っ掛けたまま、互いの熱の中心を擦り合う。大きな掌に覆われ扱かれるという、おおよそ実現しそうもない光景を、湧く快感が現実であると気付かせてくれる。たどたどしく吸われる唇が舌が痺れ、なりふり構わない愛撫は稚拙でしかない。それでも施す相手を思えば否が応でも昂って高ぶって、充足を知らない昂奮はふつふつと沸いては爆ぜて、もっとと止め処ない。
鼻に抜けるような啼き声を最後に、名残惜しみながら口腔から舌を引き抜く。糸引く唾液を啜り、首筋を舐り色濃い焔を吸い上げて、跳ねる肩へ柔く歯を立てた。返ってくる反応はどれも控えめで、上下する胸の頂を舌先で転がしては、唾液で濡れ光る粒は立ち上がって苛めてほしいと主張する。途切れ途切れに喘ぐ掠れた声色に、甘い味が付いてゆく。
「んぁ……ぁ、ぁっ」
赤い双眸が、赤い焔が紅蓮の渦を描いて、留まることを忘れてしまった欲はどんどんと膨張する。汗ばみぴたりと合わさる躰をずらし、膝を割開けば強固に鎖された窄まりが露わになった。
「ぁっ、や、恥ずかしい……っ」
閉じようと力の籠る膝を押さえ、躰を割り込ませて顔を寄せる。呼吸に合わせて、暗渠が赤みを帯び蠢いて誘う。
指を湿らせ、受け容れたことのない蕾へ差し込む。肩が震え、眦に涙が滲むのを見上げて慌てて指を引き抜いた。
「……痛むか?」
「っ……す、すこし」
整えるなど縁もなかった爪は伸びたまま、山伏を傷付けてしまうだろう。暫し思考すると、同田貫は尻臀を抱え上げて舌先を菊座へ突き立てる。途端跳ねる腰を引き寄せて、水音を立て慣らしてゆく。
「ひっ……な、ぇっ、そこはっ不浄のッ……」
しゃくりあげながら抜いてくれと叫ぶ口とは逆に、ひくついて解ける門は蹂躙する滑りを迎え入れていた。
「ぁ、っくぁ、ひ、あぁっ」
丹念に刺激していると明確に色めく喘ぎ声。痛みで一度萎えた陰茎は如実に悦楽を訴え、乱れる呼吸とも嬌声ともつかない声はしこたま同田貫を煽る。眦に涙を溜め、山伏は息も絶え絶え、繰り返し名を呼んだ。
「っ……」
縁を指でくるりと撫でれば、解れた『入口』は準備を終えたとばかりに広がる。濡れた視線を絡め、どちらともなく頷けばそれが合図となった。
「はぁ、っは、ぁ、」
「山伏……」
どろどろに蕩けた双眸は物欲しそうに眇められる。首へ縋るように伸ばされた手に引き寄せられ、唇を貪り合う。昂奮はとうに噴き上げて、真昼間という理性も弾け飛んでしまった。微かに聞こえる笑い声は荒い呼吸に掻き消される。
息をゆっくりと吐き出す動きに呼応して、腰を推し進める。きつく閉じた瞼へ、仰け反りくっきりと顕になる喉仏へ唇で触れ、こつ、と内壁へ己が当たる感触に最奥への到達と理解した。菊蕾は皺が限界まで伸ばされて、息を止め耐える山伏の零れた涙を拭う。
「っは……はっ、ぅ」
熱を孕んだ互いの呼吸だけが閨に響く。蜜に塗れた朱殷が、婀娜めいて揺らいで――布団へ着く疵だらけの手へと、そっと指先が添わされる。
見惚れるほどに穏やかで柔らかい微笑みを、きっとほかの誰にも見せたことのない顔を、己一振りへ向けて。これ以上にない優しい声が、魂の核を響かせた。今この刹那が、永遠に続けばいいと願うほどに。
「同田貫――」
満たされる心地というのは、きっとこの瞬間を云うと確信めいて感じ取る。焦がれ続けた温もりを絡め取り、しっかりと握り締めた。
「あっ、ぁ、んあっ、擦れてっ、そこっ」
離さないと蠕動する媚肉を、ぐちゃぐちゃに撹拌する。猛々しい雄を包み込む肉鞘は、特注の拵に似て魔羅を扱いてくれた。泥濘んでさながら底なしの沼は熱く滾り、律動が速く強くなるに従い水音と、甘い啼き声が迸る。戦慄く唇はもはや閉じられないのか、赤い舌を覗かせながら意味のない引き攣った声が鼓膜を揺さぶった。
「っや、っんああッ! そこぉっ、そこイイッもっ、もっとぉ!」
一際甘く淫らな声と強烈な締め付けに、ぐ、っと息を詰める。自ら腰を動かし誘う山伏が見栄も外聞もなく叫び出した。注挿の角度を変え上から伸し掛れば、びくん、びくんと背がしなる。もう殆ど絶叫に近い声だ。ゴツゴツと叩き付け、襞を抉り捲り上げる勢いで楔を打ち据えて、張り詰めた己の兆候を感じると、抜く直前まで腰を引く。
「――ッひ、っあ、もっ……堪っ、られぬ……」
「っふぅ、はっ、山伏……俺っもだ……」
「あ……あぁっ」
焔が赤々と揺らめく。消えぬよう祈った灯火が、刃鐡を熱しては燃え上がった。愛おしい声がただ求めるままに己を呼ぶ。
「ど、っぬき、同田貫っ……!」
「っ山伏……ッぐ、うっ!」
「ッあ……――!」
互いに抱き合ったまま、共に上り詰める。やっと繋いだこの手を、離しはしない――。
――――
おまけ(?)
堀川長兄は我慢が出来ない
厭だ厭だと首を振る、その陰から覗く焔が、首筋が赤く染まっていると知っている。
「何がいやなんだ」
「こんなッ所、で……見つかっ、しまうぅ」
とっくに甘煮えの声色はむしろ煽情するだけと理解しているのか否か、山伏は脚をがく付かせ縋ってくる。翻る白布の端を咥えてしまえば、見下ろす貌が強張った。
己は馬当番で、この太刀はこれから戦場へと赴く。薄暗く埃っぽい、厩の道具倉庫を訪ねてきた情人の纏う香に、昨晩の房事を思い出し見事に盛った同田貫。性急に下袴と褌を解き抜き取って指を突っ込んだものの、全く濡れていない窄まりは侵入を許さない。
「キッツいな……」
「ッんふ、う゛ぅん……ひぁ、」
「美味そうにしゃぶるなぁ」
初めて心を繋げた日以来、整えるようになった爪先を、指を口へ差し入れられくぐもった低音には抗議の響きが込められている。構わずに背後から抱きかかえる形で壁へ押し付け、ヌルつく淫棒が尻臀を擦り付けた。滑る口内から引き抜いた指を二本一気に菊紋へ突き入れる。
「――んひゃっ! ぅあ、っや、ぁんっ」
ぬち、ぐちゅりと湿り始めた淫猥な音が、外耳を這う舌が鼓膜を侵す。揺れ始めた腰はいやらしく揺らめいて、禁欲的な修験者の装束である筈なのに、その様は酷く官能を刺激した。
「声、抑えねぇとほんとに誰か来るかもな?」
「っ……! やめろ……っ拙そ、これからっ」
「こっちは嫌がってないようだが」
「ああぁア゛アッ! そこぉっ、そこっ!」
探り当てた前立腺をとんとんとノックする。甲高い嘶きと共に、ついに支えきれなくなったか壁へ躰を預け、欲の宿る視線が同田貫へ注がれる。
「こうされるの、あんた大好きだもんな?」
「あっ! あぅ、ぃや、ぃやだぁっ!」
「いつも言ってるだろう、いやじゃ、ないだろ?」
色濃く主張する背の彫物を舌でなぞり、見せ付けるように大きく開かれた胸元から手を入れ、ピンと勃った乳首を思い切り摘み上げた。
「ンんんっ! ひう゛んッ、あ゛っ!」
弄り尽くされすっかり腫れて赤い突起を押し潰してくりくりと扱く。一切触れていない陰茎から滴る先走りが地面へ染みを作り、快楽に蕩けた横顔は小刻みに震えていた。
「あっちくび、乳首きもちぃッん、んっ!」
「さあ、どうしてほしいんだ」
「はあっ、い、口吸いっ口吸いしてっくっんむっ!」
奪うように唇を塞ぎ、壁に背を預けさせたままずるずると地面へ落ちてゆく。
両膝の上に腰の乗るように山伏の躰をくの字に曲げさせれば、赤く腫れぼったく、同田貫を待ち詫びる肉環が露になった。
「んぐっ、んむ……ん゛ンーッ!」
孔を穿つ滾りを思い切り締め付ける内壁を掻き分けて、奥へ奥へと抽挿を進める。深々と突き刺さる刀を内包し、山伏はもがきながら叫んだ。
「ああア゛ァッ! お゛くっ奥擦れてっ拡がる゛っうああ゛っ!」
堪らない媚肉は吸い付き強請る。飛沫かせながらひくひくと揺さぶられる儘に、山伏も自身も涎や涙に塗れていた。
「はっ、はあ゛っ! イイ、ぜっ、熱くて溶けちまいそうだ……!」
「ふあっあ゛うぅ好きぃっ! きもちぃの全部っぜんぶ気持ち良くてっ!」
躰がガクガクと痙攣し始めると同時に、なかの締め付けも一層強く搾り取る動きに限界を感じる。
「あっ、あ! 同田貫っすきっ好きだっ」
「俺もっ、好きだ山伏……くぅっ!」
「好っ――ひ、」
かひゅっ、と呼吸が止まる、大きく弓なりに反る躰が激しく撓んで、長く強大な絶頂の波が二度三度と押し寄せた。奔流が堰を切って、熱い飛沫を肚へ叩き付ける。
「あああぁぁあぁ……」
「はっ、はっ……っ」
汗だくで抱き合って、暫し白濁を塗りたくるように腰を揺する。受け止めながら絶頂しているのか、魔羅の先から薄い粘液を垂らし、山伏は小さく痙攣していた。陶然と甘い喘ぎは再び昂奮するのに十分過ぎて、しかし出陣の刻限はすぐ訪れる。名残惜しんで繋がったまま口吸いし、やがてあれだけ昂っていた熱は一気に引いた。
「……すまねぇ」
「…………」
バツの悪そうに項垂れる同田貫を、驚く程優しい腕が抱擁する。奥に熱を湛えた紅蓮が慈しむように細められた。
「堪え性のないのは、拙僧とて」
「……ん」
唇を啄まれ、柔く吸われる。温もりから栓を引き抜けば泡立った粘りが地面へ広がった。山伏を抱き起こし、向かい合わせ白濁を掻き出してやる。
「ンッ、んぅ、ぁ」
小さな反応も手に取るように分かる。控えめな声も再び熱が首を擡げるには十分で、大きな掌は互いの自身を握り込み緩慢に扱いた。
「ぁっ、また、あっヒィッ……ンン、んぐっ!」
「ぅう、っ――!」
凝りを挟み弾いてやれば、山伏は呆気なく気を遣って、瞬間的に強く握られ迸りが腹に掛かる。
「あ、はふっ、んぅ……」
一段と濃密さの増した空気も霧散するのは早く。外で隊員の集合を呼び掛ける鐘の音が鳴ると同時に躰が離れた。温かさはすぐに失われつつあり、絡み合う視線だけが情の名残を窺わせる。
「……また、今宵」
「ああ……」
素早く身を整え、山伏は燻る熱を装束に覆い隠して、いつもの顔に戻っていた。精悍な相貌が乱れ厭らしく強請るのを知るのは己だけ。