妖怪ハンター同田貫×僧籍でありながら吸血鬼化した山伏
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ジャック・オ・ランタンは骸骨コウモリの夢を幻視る
簡素な食事を手早く済ませると、旅人は宿の主人の言葉に耳を集中させた。粗食に耐えるのも旅人には必要なものだ。雨風を凌げるだけで野宿よりましである。
「村外れに古くからある屋敷があってな。そこじゃあ夜な夜な、妖怪達の百鬼夜行が繰り広げられてるって有名なんだ」
「廃寺かなにかなのか?」
グラスを磨きながら、銜え煙草の主人は緩く首を傾げた。
「それがよ、古ぼけてはいるが綺麗なんだと。昼間は人気がないんだが、夜になると灯りが見えるし、男を見たって奴もいる。まぁ、あやかしでも人間でもろくなモンじゃないだろう、むやみに近付かないこったな、旅人さん」
冗談めかした物言いの主人が片目を瞑る。結わえた黒髪に煙を燻らせ、目尻の下がった双眸は光の加減で濃紫にも、深緋にも見えた。
ごちそうさん、と旅人がカウンターに銀貨を置き立ち上がる。窓を叩く風が冷え込む秋の暮れ、宿屋も開店休業状態で、「もう一泊していかないか、ツケとくぜ」とからかい混じりの主人に旅人は目線を足下に下げた。――目が、合う。
「雪が降る前に国境を越えねぇと。旦那、こいつを泊めてやればいいんじゃないのか?」
「畜生なんて泊めたところで一銭の価値にもなりゃしないぜ、猫はねずみを捕るし、犬は番犬になるだろうが」
狸じゃなァ、とごちた主人に、『俺はたぬきじゃねぇ!』と怒鳴るも、彼の今の姿は四つ足にずんぐりむっくりの狸にしか見えず、また主人にも旅人にも、言葉は通じない。彼は――同田貫正国は、旅人へ手を振る主人をじいと見上げた。
「おんださないだけましだと思え、人間の客が居ないんじゃ、俺はおまんまくいっぱぐれちまうんだからよ」
主人は奥から酒瓶と牛乳を持ってくると、小皿へ牛乳を注ぎカウンターへ乗せる。身軽に椅子へ飛び乗った同田貫が皿へ顔を寄せると、主人も直接大瓶から酒を煽り始める。
「――泊まってかないのか」
やがて牛乳を飲み終え椅子を飛び降りた同田貫に、主人は頬杖をついたまま問いかけた。一度だけ振り返った豆狸は、ふかふかとした尻尾を大きく振ると首の黒い襟巻きを翻し宿屋を出た。
てしてしと地面を蹴り、夕闇差し迫る中を同田貫は歩く。沈む夕陽に影は薄く伸び、行き交う人はまばらだ。道の真ん中を堂々と歩く狸には目もくれず、同田貫の進む方角への道連れは己の影だけだった。
宿屋で聞いたとおり、村はずれの森の中と言っていい、ぽつんと立った古寺は生い茂る雑草だらけの森でやけに開け、整然としている。塀が所々ひび割れ抜け落ち屋根瓦が落ちている以外は、雨風も凌げそうな「当たり」物件だと同田貫は頷く。今の姿では塀を飛び越えられないと、どこか入れそうな箇所を探す。
そう、同田貫は半人半妖に属し、中でも獣変化の一族である。月の満ち欠けで獣へと寄ることに加え彼にはもう一つ特異性質がある。
『巧く隠してるが、痕跡があるな。獣の血の臭い』
すん、と鼻をヒクつかせ、濃い琥珀色の目が黄金に煌く。同田貫は生きながらにして半吸血鬼化し同族を狩る、妖怪ハンターとして旅する賞金稼ぎだ。更に彼の言葉を借りるのならば、「俺はたぬきじゃねぇ、れっきとした[[rb:狼変化 > ライカンスロープ]]だ」と言うだろう。
同田貫は差し込む光も大分弱まった黄昏の中、塀伝いに歩く。宿屋主人の噂が本当なら、日暮れを境に、彼岸と此岸の狭間が繋がる逢魔ヶ刻、結界が解け中へ侵入できるだろう。森はひっそりと静まり返り、かすかにどこか遠くで鴉の鳴き声が響くくらいで、己が草を掻き分ける音の他になにか聞こえやしないかと、耳を欹てる。
それが良くなかった。耳をピンと立て鼻を上へ向け、足元の集中を欠いた。ばちん、と音がしたと思えば、後ろ足を激痛が走り同田貫は呻き声を上げた。獣用の虎ばさみだ、油断した。人であれば罠を解くなど造作もないが、今は戻りたくとも戻れない。今宵は朔月、最も妖力の弱まる日だ。致死量へ至る流血にはならなそうだが、もがくほど食い込む激痛に耐えかねた小さな躰は地面へと沈んだ。情けない。獣の罠にかかるなど。意識を手放す直前、誰かの声を聞いた気がした。
同田貫が目を覚ますと、柔らかい毛布に包まれ、躰が綺麗に清められていると気付く。見渡す部屋は広く殺風景で、鈍く痛む後ろ足には清潔な包帯が几帳面に巻かれ接木まで施されている。誰かが手当てしてくれたのか。ここはどこだ、一体誰が。
「目が覚めたか」
『!!』
ぴゃっと飛び上がった同田貫は次の瞬間、大きな掌に抱き留められていた。
「カカカ、驚かせてしもうたか。あまり動くなよ、傷口が開いてしまう」
眼前に広がるのは抜ける様な青空色の髪だった。 同田貫を見下ろす瞳は慈愛に満ち暖かく色を湛え、反して青白い肌は血の気の失せひやりと冷たい。藍の作務衣を着た男は大人しい豆狸に笑いかけると、小さく割いた干し肉とチーズを差し出した。
「かわいそうに、またぎか狩人かの仕掛けた罠であろう、危うく骨が潰れる寸前であったのだ」
同田貫のふかふかした毛を優しく撫でながら、男は開け放たれた障子戸の向こうを見やる。
「……親が捜しておろうな。扉は開けておくから、いつでも帰れば良い」
『俺は子狸じゃねぇぞ!』
「何だ、足りぬか? 余り新鮮ではないが、開きでも食うか?」
情けないが、妖力がいよいよ尽きかけている。半分が人のため食事で体力は回復するが、妖力の方は満月まで少しずつ蓄えるしかない。不便な躰だ、と同田貫は小さく鳴き、催促と受け取った男はクスリと笑んだ。
同田貫は男の世話に甘え、数日間ゆっくりと休んだ。そも獣変化には莫大な妖力を要し、かといって人の姿では力を最大限発揮できないとあれば、いっそ変化したままでいいと過信したのは他でもない同田貫本人だ。賞金首の一匹や二匹持って帰らないようでは妖怪ハンターの名が廃る。など悶々と理由をつけ帰ろうとしない狸を知ってか知らずか男は何も言わず、毎晩清潔な包帯に取替え飯を用意すると、いずこかへ消えてしまう。ハンターとしての嗅覚は結界の中故か機能せず、纏う匂いは曖昧さだけをもどかしく伝えてきた。
「歩けるようになったか」
真円に近付いた月明かりの元、歩み寄ってきた同田貫を見て大層喜ぶ男を、どこからか呼ぶ声が聞こえた。僅かに回復した妖力で探ろうとするも、男が何事か唱えると気配ごと失せてしまう。
『やまぶし?』
声は確かに男を山伏と呼んだ。同田貫の怪我自体は快復へ向かっていたものの、人に戻れるほどまでには至っておらず、腰掛ける男の膝へ乗り上げながら一声鳴いた。
『血の匂いだ』
何か獣の臭いを纏わせ、山伏は大分疲弊していた。同田貫を撫でる指先は冷え切って震え、一層生気の失せた顔はやつれている。
「嗚呼……匂いがするのか。おまえと同族の匂いを、あまり嗅がせたくなかったのだが」
山伏が夜な夜な出かけるのは、獣の血を、肉を喰らうためだと、弱々しい声で語る。
「おまえを食らう気は無いが、拙僧が恐ろしいか……」
同田貫は何も言わず、じいと山伏を見つめている。褪せた琥珀色の瞳は澄み切って円らだ。支えきれないのか身を横たえた山伏の傍へ暖かい毛玉が寄ると、頭を擦り付け始める。頬を舐める感触に擽ったそうに身を捩り、山伏が軽く目を見開いた。
「――……おまえ 傷があるのか」
濃く密度の濃い毛で覆われた同田貫の顔を走る大きな二本の傷を、確かめる様に指を這わせながら山伏が呟く。
「痛むか……? この様な小さい躰では、生き抜くのも大変なのであろうな……」
『山伏くん。言っとくけど、そいつ獣じゃないよ』
気配もせず唐突に聞こえた声に同田貫は硬直する。先程山伏の周りを飛んでいた、姿なき声だ。
「こやつを怖がらせるな」
『だからね、キミが可愛がってるその毛玉。今は力もないみたいだけどその内キミも食べられちゃうかもよ?』
ふわりと舞う風が毛並みを撫でる。それだけで同田貫には、どこからか己を見下ろす存在がよほど妖力のある『格上』だと理解する。昼間は気配もないが、迂闊に近付こうものなら一瞬で消し炭にされると、本能で感じた。
『キミはそんなことも分からないくらい弱っているんだね。吸血鬼であるキミがどうしてそこまでニンゲンの糧を拒むんだい? そのうち本当にゼンブ死んでしまうよ』
僕に任せてもらえば、気付かれずに持ってきてあげるのに。ゾッとするほど感情のない声は、まさしく人ならざるもの――あやかしのものだった。同田貫を胸元へ引き寄せ、吸血鬼と呼ばれた男は気怠げに視線だけを動かした。吸血鬼。血を啜る、生きた死体。影の声の言うとおり人間を襲っていないのだとしたら、たとえ同田貫が手にかけずとも、このままでは二月と持たず消滅してしまうだろう。それほどまでに、弱っている。
「そのときは受け入れよう。それもまたさだめであろう」
『そんな事させねぇぞ、俺ァまだ図りかねてるが、あんた俺の獲物だからな!』
ぐぎゅい、ぎゅう。毛を逆立て胸元でもがく同田貫にも、山伏は気にせず抱き竦めている。姿の見えない声が、やれやれと呟いた。
『忘れないで山伏くん。ニンゲンも獣もあやかしでさえも、糧を得られないものは淘汰されゆくものなんだ』
一瞬だけ、虚空に浮かぶ長髪の男を見た気がした。冗談めかした声色だが表情は真剣で、しかし瞑目した山伏は気付いていない様だった。底冷えのする、澄み切った十三夜の夜のことだった。
明くる日の夕暮れ刻。昨夜の影の気配はなく、山吹色の打掛けを羽織る山伏が膝に座る同田貫を撫でながら呟く。
「迷い込んだあやかしであるなら、行く当てがないのならここで暮らせばよい。ここはそういう居場所のない者達を受け入れておるのだ」
穏やかな声色が心地よく、しかし撫でる手はやはり芯から冷え切って生気はない。大柄で肉付きの良いはずの肢体は血の気が失せ――吸血鬼ならば当然ではあるが。影を帯びる相貌は衰弱し、酷く痛々しい。なぁと唐突に同田貫が口を開くも、さして驚きはしないようだった。
『何であんたは、ニンゲンを襲わないんだ』
「――拙僧も、拙僧を変えた男も、嘗てここで修行する僧籍にあったのだ。どうしても、本能に抗ってしまう――中々、頑固者であろう?」
『ンなこと言ったッて、このままじゃあんた死んじまうぞ』
「そこまで快復したのなら、拙僧を殺すなど造作もなかろう? ……愛らしいおまえの手に掛かるのなら、それも良い。せめて、結界は解いてくれるな、身を寄せるものは多いのだ」
聞きたいのはそんな言葉じゃない。して欲しいのはそんな顔じゃない。同田貫は呻り、外へ飛び出した。暫くして小魚を銜え戻ってくるも、山伏は受け取ろうとはしない。苛立ちに毛が逆立つ。気の早い月が、十五夜が明日に控えていると主張していた。
「……」
山伏は死んだ様に――実際死んでいるが、身を横たえ動かない。強く光を放つ満月を背に立つ同田貫が、大きく一つ吼えた。見る見るうちに影が伸び、気付けばそこには黒髪の少年が立っていた。顔に二筋の傷、爛々と闇に煌く大粒の黄金の瞳が、ゆっくりと開かれた深紅と交わる。
「嗚呼……元も愛くるしいのは変わらぬのだな」
「正国。同田貫、正国」
「それがおまえの名か、正国。――国広という。山伏国広」
「国広。俺は、このままあんたを殺す気はないし、あんたを見殺しにする気もない」
同田貫は昨夜現れた影の男の言葉を思い出す。嘯き騙す様な声色ではなかった。最後に呟かれた頼むと言う言葉に、偽りはないだろう。屋敷に他のあやかしの気配は無く、同田貫は馬乗りに跨ると山伏の青碧を梳いた。
「弱ったあんたを狩ったって、なにより俺が納得しねぇ。それに賞金が付く奴らはどいつもこいつも酷い奴らだったが、あんたにはそういう”におい”がない。どうも気が進まないんだ。……教えてくれ、ただの弱い獣だった俺をどうして助けたりした?」
「……なに、ただの気まぐれだ……拙僧は人間を襲わぬはぐれもの、しかしおまえのような者を退ける力は残っておらぬ……結界を張る力も弱まれば、野犬にでも食われよう。であれば、せめておまえの手に掛かろう」
「なんなんだよ、俺に情けをかけておいて、自分だけさっさと死のうとするな!!」
何故笑っていられるんだ。満月に呼び起こされる本能からの飢えに同田貫は口元へ垂れる涎を拭う。半妖でさえ湧き立つ狂気に晒されているというのに、静かに微笑を湛え己を見上げるだけの山伏を、迫る死に抗おうとしないなど、許さない。
「ん……ふっ」
「ぁ、んっ……ッん、んぁっ」
勢いのまま薄い唇へ齧り付き、途端身を灼く様な熱と渇きが全身を総毛立たせる。山伏の口腔は肌の冷たさとは逆に熱く滑り、歯列をなぞり舌を食んでは溢れる甘い唾液を啜れば啜るほど、更に熱は燻るばかりで渇きは全身を苛んだ。流石に驚き身を捩る山伏に構わずに、組み敷いたまま纏う寝間着を破り捨てると青白い肌を吸い上げ赤を散らしてゆく。
「ッ何を――」
戸惑ってはいても抵抗する力も無いのだろう、視線を彷徨わせ、蹲る同田貫の名を呼ぶ山伏は不安げだった。ともすれば膝を割り開かれ、同田貫の舐った指が無理矢理菊壷へ圧し割かれる感触に首を振り身じろいだ。
「俺は半人半妖だ。あの野郎が……影が、人間の血よりも半妖の方が糧として優秀なんだって教えてくれたンだ」
「それと、これと……ッ関係があるのか?」
不死者と呼ばれるだけあり、吸血鬼は筋肉も熱によく解れすぐに柔らかくなる。どうにも抑え切れないと若い昂りを後孔へ手探りで押し当て両足を抱えると、呼吸を荒げながら同田貫は顔を近づけた。
「涙も汗も、精もみんな、血と同じなんだと」
「ッうあ、っ」
ぐ、と躰ごと押し上げながら吸血鬼の胎内を貫く。山伏はびく、と肩を震わせ、蹂躙せんと打ち込まれる異物のもたらす奇妙な感覚に視線を泳がせた。痛みも麻痺しているのかさほど苦しそうではなく、溢れる先走りで滑る腸壁は剛直をみっちりと銜え込み吸い付いている。
「一体っなにを……そこは、ぁっ、」
「ーーっぐ、うっ!」
どちらかといえば早い方とは言え、極度の興奮状態でとはいえ、ものの数分と持たず吐精へと至る。途端、内壁がぎゅうとキツく締まり、山伏が大きく仰け反った。
「ッぁ、あ――あ゛、っ」
「……ッおい、おい、どうした」
山伏は身を強張らせ背を反らしたままビクビクと痙攣し、白目を剥いて半開きの口から泡を吹いている。肩を揺すりながら同田貫は焦った。長い間まともに糧を口にしていないのだ、急激に注がれた栄養を一気に吸収し処理しようと躰が拒絶反応を起こしかけている。このままではショックを起こしかねないと、同田貫は咄嗟に身を乗り出し肩口へ鋭い牙を突きたてた。謂わば本能的に、考えるより先に手が出た。本能が訴えかけたのだ。捕食のためではなく、助けんがために吸血をすると。
「ッ――!?」
じゅる、と啜る温かい血は酷く甘く感じられた。ーー吸血鬼に襲われた獲物が何故抵抗出来ないか。吸血鬼は餌を逃さぬ様に、吸血と引き換えに多大な快感をもたらす。それ故に、命を脅かされる危機にあり快感に抗えない獲物は、為す術もなく身を委ねるのだという。山伏は躰内を一気に妖力に満たされ、加えて耐え難いほどの快感に曝され、電撃が躰中を幾度も駆け巡った。
「ッァ、はァッ! はひっ、ひ、ぃっ……イ"ッ――!!」
顔からは涙や涎を垂れ流し、恍惚と蕩けた紅蜜の眼が同田貫を見上げている。山伏の躰が跳ねるのに合わせ肉襞も陰茎を啄ばみ、ちゅうちゅうと吸い付いてねだる様だ。冷たかった肌は赤く染まり、結合部はしとどに濡れ水音を響かせていた。
「は、あ”ッ、やえ”ッ!! え”あ、あ”っ、死ぬッ……っ、んあ”ぁッ!!」
「ぐ、またっ出……あぐ」
今度は吐精と同時に血を吸い上げ、衝撃に痙攣し跳ねる躰を抑え付けながら締まる最奥を強く穿つ。精の一滴も無駄にしない様に腰を押し付け、同時に甘い上等の蜜を吸い続けた。
「やぁあっ、あ、ああーっ!! ッ……!!」
いやいやと首を振る山伏の魔羅は先程から律動に揺れるだけで立ち上がりもしなければ吐精もしていない様だった。それが却って熱の放出や溢れ出んばかりの妖力を妨げており、もはや焦点の合わない深紅は濡れ淫欲に染まってしまっている。甘い匂いは強まるばかりで、啜り過ぎることの無いように、夜の耽るまで何度も注いでは、溢れた分の妖力を啜り続けた。生まれて始めてであろう強すぎる快楽に、山伏はただただ泣き叫ぶばかりだった。
「国広――国広、死ぬな」
「ぁ、うあっ、は、ひうっ……う、ぁ」
「あんたが俺を助けてくれたように……俺はあんたを助けたい。なに、ただの気まぐれ、なんだろ?」
「んいっ、ふあ……」
液体に塗れた山伏の開いた口へ顔を寄せる。おずおずと誘い入れる口内を存分に貪れば、やがて疲れ果てた山伏は気を失ってしまう。それでも見違えるように血色は明るさを取り戻し、眠る顔は穏やかだ。隣で寄り添うように丸く寝そべりながら、同田貫はもう一度口付けを落とし、傍らで眠りに付いた。
開口一番、眉間に皺を寄せた山伏は低い声で呻った。隣には影だった男も姿を顕し、反対に笑みを浮かべている。相変わらず半透明ではあったが。
「まんまとしてやられてしまったというわけか」
『うまくいったようだねぇ。僕も消えずに済んで万事解決だ』
青江と名乗った青年がふっふっふ、と妖しく笑う。
「……俺はただ、勝手に助けておいて、自分は抵抗もしない奴を喰らいたくなかっただけだ」
『所謂結果論と言うものだよ。山伏くんが危うかったのはキミも分かるだろう?』
「……まぁ、やたら甘いし、旨いし、凄ぇきもちよかったけどよ」
「ッこの……狸め!」
「俺は狸じゃねぇ! れっきとした狼変化だ!!」
「は……?」
場の空気が凍る。我慢出来ず最初に噴き出したのは青江だ。
『ぷっ、くくく……』
「青江殿、し、失礼であろ、ぶはっ」
「手前ェ!! やっぱり喰ってやる!!」
うがー、と同田貫が山伏を押し倒しても、呵々と大笑に伏されてしまう。悔しがりつつも同田貫はほっとする自分に気付かぬ振りをして、山伏の血色の良くなった肌を甘噛みした。
芒の揺れる庭を眺める山伏の隣へ、同田貫が腰掛ける。山伏に拾われて早二月が経とうとしていた。三日月の頼りない光にも、艶のある柔らかな青い髪は煌いては、芳しい香を風と共に運んだ。
「あやかしと一口に言っても、全てが人間を憎み襲うわけではない。弱き者は虐げられ、居場所をなくし此処へ流れ着く。寄る辺ない者を、この結果が守ってくれる」
至極真っ当な言辞だと同田貫は素直に頷く。現に足元を擽るようにじゃれあう影は小さく、うっかり足で踏んづけてしまえば死んでしまうだろう。山伏には必要ないと思っていても、雪のちらつく夜に青白い肌を曝すような薄着では憚れようと襟巻きを巻いてやる。
「おまえ、怪我を」
「ん? こんなの掠り傷だ。明日には――」
山伏が瞑目し、短くまじないを囁く。すると驚いたことに、どこからか風が舞い始めると山伏の額に薄く傷が現れる。否、傷ではない。<眼>だ。ぽかんと口を開けた同田貫の腕を抉る傷跡はあっという間に治癒され、金の目を剥く。
「お、おいあんたそりゃあ――」
「吸血鬼にも特異性質があるのだ。拙僧の血の父は”癒し手”を持っておる。半妖とはいえそろそろ朔であろう、濫りに怪我を放っておくなよ」
血の父。つまり、山伏を吸血鬼化した男のことだろう。痛みも失せた腕を回し、同田貫は感嘆した。額の眼を閉じ、やがて双眸が開くと山伏は俯く。
「うむ、慣れぬ能力は妖力を余分に使うようだ。少し、疲れた」
「まだ本調子じゃねぇんだから、無理すんなっての。また襲っちまうぞ」
「狸め」
「だからたぬきじゃねぇっつってんだろ!」
うが、と牙を剥いて見せれば、勢い余って耳まで変化してしまう。しかも今は朔夜まで日がない。慌てて押さえつけるも、ぴょこ、と登頂付近で揺れる耳は引っ込む気配はない。
「どれだけ恐ろしく吼えようとも、拙僧にとっては愛くるしいもふもふのままである」
山伏が同田貫へ手を伸ばし、露出した獣耳をふに、と柔く揉む。それだけで同田貫は心地よさに力が抜け、顔を上気させ山伏へと縋りついた。
「や、やめろよ力、抜けちまう……くっ」
「カカ、誠、愛くるしい」
余裕ぶった端整な笑顔が悔しくて、歯がぶつかる勢いで唇を奪い吸い付いた。二人分の体重を支えきれない躰を組み敷き、脚の間に小柄な身を滑らせると膝を割り開く。口吸いだけで眼を蕩けさせる山伏を見下ろし、ごくり、と喉が鳴る。目合いを繰り返すうちに、気付けば糧を得たい衝動と性欲とが綯交ぜになってしまった。足先までの鈍い痺れと共に、躰の芯が渇き疼いて、止まぬ欲が首を擡げる。
「んぅ……っふ、あっ」
「あんたのその物欲しそうな顔、すげぇそそる」
「ッん、う、あうっ」
それは相手も同じ様で、色付き始めた肌はしっとりと汗ばんで吸い付き、期待に躰を震わせ山伏は身を委ねてきた。
「なぁ、こうしてあんたの傍だと、居心地がいいんだ。どうせ行く当てもねぇし、いっそ居付いちまおうかと思うんだ」
「ふはっ……は、それは、」
「あんた言ったよな、ここに居ていいって。結構、満更でもないってな、あんたも居るし」
「っ……あ、んっ」
「伴侶を娶って腰を落ち着けるのも悪くないよな。でっかい嫁さんだが、今に俺もでっかくなってやるからよ」
「っ……!」
山伏が首に縋り付いてくる。耳まで真っ赤な顔は恥じらいに困惑しつつ、口元には笑みが浮かんでいた。
「はっ、お、まえは……どんなに大きかろうと、拙僧の愛らしいたぬきである」
「また狸って言ったな。泣いて謝っても許さねぇ」
じゃれ合いながら愛撫しあう、どちらにも笑みが浮かび、気を利かせてくれたか他の影は気配を消していた。もしくは、惚気を見せ付けられ辟易としたか。どちらにせよ、世間とは切り離されていても、帰る場所があるというのは、多大な安心をもたらすのだと同田貫は思う。
更にそれから数月後、古寺へ瞑目した長髪の麗人が訪れ、それが山伏の血の父であり当然のように同田貫と一悶着あるが、それはまた別の話である。
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