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刀解→転生現代(?)学パロ/記憶有高校生同田貫×記憶無教師山伏

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 月の見えない夜、いつもは賑やかな声もなく虫の声すらしない、酷く肌寒い晩。
「……」
 三日前、この本丸の閉鎖が決まった。理由は至って単純明快、数ヶ月か、それとも数年だったかの主の不在、飽きたのかなにか事情でもあったのか今ではもう知るすべもないが、ほそぼそと供給されていた審神者の力が尽きたのだ。膨大な数の次元に存在する本丸の維持費も馬鹿にならないんだそうで、残された刀剣はすべて刀解処分となる。
 政府職員と名乗った人間の無表情たるや、我々の方がよほど人間らしいなど。
「何を……考えている?」
「ああ、『終わり』ってのはあっけないもんだってな」
 繋いだ手のぬくもりは確かで、寄り添う番いはただ静かに眼を伏せる。
「なあ、俺らとニンゲンは違うだろ? 死んだら……肉体を失ったらこの俺って“中身”はどうなるんだろうなってさ」
「……それは、誰にも分からぬであろうよ」
 刻限を告げられて初めて思い至る、限られた時間の価値を、芽生えた感情や思考や、願いを。
「あんた言ったよな、美術品に戻るって。平穏な時代じゃあ、使われない道具は飾られることでしか存在できねえ」
 山伏が視線を上げた。戸口には最後に審神者の近侍をしていた初期刀が立っている。控えめな声が時間だと告げた。
「……そうか」
 刀解にあたり、大抵の者は刀派や親しい刀剣と共に執行られることを望んだ。夕刻から始まったみたいだったから、七十振り以上いた顔触れも大分減ったろうか。細かな事務処理も熟していた打刀は少々疲弊しているように見えた。
「――あと、少しでいい、待ってはくれぬか」
 珍しくというには重すぎる我儘。繋げた手を強く握られ、俺も初期刀も沈黙してしまう。黙ったまま小さく頷くと、踵を返し青年は去っていった。
 静寂が押し潰すようにのしかかってくる。俯く相貌には影が落ち、消え入りそうな声で名を呼ばれた。二度三度呼ばれ返事を繰り返す。
「正国殿――もしもの話をしたら、お主は笑うだろうか」
「今日のあんたは珍しいことばっか言うな」
 泣きたいのを堪えているような歪んだ笑顔は痛々しく、水気を孕んだ紅玉が瞬き一つ、触れ合うだけの口吸いを交わした。
「もし、これから先どこかで、再びお主と出逢うことが叶うなら……」
 祈りに似た囁きを、抱き合ったまま一等傍で聴く。世迷い言と笑うほど、俺は諦めが良くないようだ。
「待つのは性に合わねえな。合言葉とか決めとくか?」
「……憶えていなかったら?」
「迎えに行くさ。俺が忘れちまっても、それでも、あんたを探してるってここが覚えてる。絶対忘れないね」
 胸の真ん中へ、山伏の頭を抱え込んで耳を付ける。規則的な拍動が、己に血が巡っていると、命が息衝いていると教えてくれる。
「ああ……拙僧も、忘れない、忘れたく、ない」
 低く深い声は染み入って共鳴する。耐え切れなかったか、音もなく伝う一筋の泪が、俺の服をそっと濡らした。

 そして。俺たちはその晩、男士としての生を終えた。

 


 

イザヨイ奇譚

 あっという間に涼しくうら寂しい秋が走り去るような、冬の息遣いもそこまで迫る早朝。北の方では初冠雪だ初霜だと画面の向こうで騒がれる中、うっかり二度寝をかまして駆け足の俺は吐息の白さに、早くも夏の暑さが恋しいとため息をついた。布団が俺を誘惑したんだ。ぬくいのが悪いと責任を押し付けたところで、刻々と迫る時間は待っちゃくれない。
 俺は同田貫正国。いたってフツーの高校生。過去に遡りもしなきゃ、日本刀持って戦うこともない。体力には少しは自信あるかな。今駆け上ってる心臓破りの坂なんていいウォーミングアップ程度。
 今のはなにも変なたとえじゃない。前の俺は当たり前に時空を超えて、歴史を守るって大層な任務持って駆け回ってた。俺は昔、刀だった。
 正確には未来なんだが、今の俺は二十一世紀にいるんだから過去の未来ってことになる。考えてもよくわからんからそう思うことにしてるが、これからの未来が分からないことと歴史の授業がからっきしなのが納得できない以外に不満はない。
「よおたぬき、おはよー」
「おっす」
 チャリに乗った細身の男の金髪が揺れる。どうやらこの街には、俺以外でも元刀剣がちらほらいるようだ。記憶もあるのは半分くらいで、お先ーと悠々ペダルを漕ぎ先へ行ってしまった獅子王なんかは覚えているタイプか。条件は分からないが、忘れた奴と近かった奴らは皆揃って忘れるみたいだった。
 遠くから、乾燥した冷たい風に乗って予鈴が聞こえた。

「……セーフ!」
「先生遅くて助かったな!」
 吹き出る汗を袖で拭いながら、笑いつつも労われ席へ着く。でもHRに遅れるのも珍しいなと獅子王が呟くのとほとんど同時に、ドアが開いた。女生徒より小柄な担任より遥かに上背のある男がゆっくりと、屈みながら入ってくる。騒がしかった教室はシンと静まり返り、見慣れない男に見入っていた。
 眼鏡の奥の“黒い”瞳と、目が合った気がした。
「――おはよう。突然ではあるが、急病により入院されたXX殿に代わって、本日付けでこのクラスの担任となる山伏国広と申す。よろしく頼む」
 深く朗々と通る声、短く艶のある黒髪に黒縁眼鏡、紺地にストライプのスーツは皺一つなく、整った顔立ちに女生徒達が色めき立つ。
「たぬき」
 袖を引かれ、後ろの席の獅子王と顔を見合わせた。髪目の色こそ違うが、間違いなく奴だ。
 ああ、やっと会えたんだな、と安堵する。それから己の幸運にも感謝だ。お互いじいさんになるくらいに再会したんじゃあ、喜ぶものも喜べないしな。
 山伏は眼鏡を指で押し上げる姿もスマートで、持っていた名簿と生徒の顔を見ながら出席を取り始める。相沢、伊東、宇野。俺を見ても何も反応がなかったことを考えると、もしかしたら覚えていないかもしれない。でも、普通なら初対面の教師と生徒だ。平静を装っていて、内心は俺のように舞い上がっているのかも。――そんな俺の期待は、一瞬にして脆く崩れ去るわけだが。
 獅子王が呼ばれた。地毛だと押し通したという目立つ金髪にも山伏は何も言わず頷くと、千曳、出牛と呼ばれ――次だ。今度こそ確かに、目と目が合う。
「同、田貫(どうたぬき)……正国」
「山伏! ……先生」
 思わず立ち上がってしまい慌てて呼称を付け加える。派手な音を立て椅子が後ろの机に激突し、獅子王のぼやきも耳には遠く。どうだぬきだ。太刀だった頃のこいつは知っていたはずだ。突然起立した俺を見、山伏は眼をぱちくりとさせ首を傾げた。
「――如何した?」
「……どうだぬき、っす」
「あ、ああ……。失礼したな、同田貫正国」
「っす……」
 あれほど高揚していた気分が一気に下降するのが分かる。山伏国広は俺を忘れたと確信してしまった。太刀の付喪神であった記憶はほぼ間違いなくないんだろう。
 どっかりと椅子に座り込み項垂れる。俺が覚えていたのだから、片割れであるこいつも覚えているだろうと思っていた。いっそ、俺も忘れていたなら、俺たちはどうなっていたんだろうか。
 全員の出席を確認し、山伏は改めてクラスを見渡す。そうして、懐かしき笑い声を教室中に響かせたのだった。
「カッカッカ! では、改めてよろしくお頼み申す!」
「!?」
 低く良く通る声の突然の大音量に面食らう同級生達を尻目に、俺と獅子王はほぼ同時に小さく噴き出した。ああ、何も変わらない。たとえ記憶がないとしても、かつての俺が惚れ求めた相手だ。
 深々とした礼にか何故か拍手が起こる中、俺は密かに決意を固める。何年かかってもいい、可能性が欠片でもあるのなら、山伏に絶対思い出させてみせると。漠然と味気ないだけの日常に、天地のひっくり返るほどの変化が訪れたと知るのは、すぐのことになる。

 海からの風が吹き上げる丘の上に聳える十六夜学園高等部――十六夜ってのはこの街の名前でもあるが、近くに初等部、中等部もあるエスカレータ式の市立学校だ。購買で勝ち取ったコロッケパンを咥えながら、秋風に生徒らの足も遠のいたか人気のまばらな屋上から街を見下ろす。今日の波は穏やかそうだ。甘いいちごオ・レと惣菜パンのソースという凶悪な組み合わせに怪訝な獅子王は隣にいない。早弁したとかで部室で昼寝するらしい。段層の雲間に和らいだ日差しは、腹の膨れ血が下がる午後にかけて強烈に転寝に誘ってくる。
 生欠伸を噛み殺せば、生理的な涙が滲んだ。瞼の重みに容易く屈服し、心地良い微睡みに身を任せた。午後イチの予鈴まで十分に時間はある。
「――ねえ、めねいらさまって知ってる?」
 子守唄代わりに、耳へ入ってくる情報をあしらう。人間って生き物は噂好きだ。金網にもたれ掛かり、ぼんやりと話を聞いた。
「……こっくりさんってあるでしょ。あれに似てるんだけど、めねいらさまをやる時は絶対四人必要なの。必要なのは紙と鉛筆、真っ白な紙に四人で鉛筆を立てて支えたら準備完了だよ。めねいらさまはなんでも答えてくれるしどんな願いも叶えてくれるんだって……。その場にいる人数分、『     』と唱えて、めねいらさま、どうかお応えください。終わるときはさっきの言葉を人数分のあと、お疲れ様でした。これでおしまい……」
 やけに近くで話している気がしたのは、暫し無風だったからなんだろう。目を開ける頃には人影も見当たらず、ぼーっとしていた思考もやけにクリアになっていた。

 放課後、数m先を歩く流れるように鮮やかな金髪を見かけた。部活動だったんじゃねえのか、と言いながら肩を叩けば、振り向いた長い前髪の間から濃い緑色の目が光って、地を這うくらいの低音が機嫌の悪そうに響く。
「……何だ」
「山姥切国広か……?」
 制服の下に無理やりパーカを着込んだ少年はすぐにフード目深に被ってしまったが、一瞬見えた見覚えのある顔に思わず名を呼んでしまった。
「……何故俺の名を知っている?」
 山伏国広と同じように、山姥切も男士だった記憶はないようで、昏い双眸が顰められ距離を取られる。身構えた相手の警戒を解こうと、俺は両掌を開き上に掲げた。
「わりい、人違いだ」
「俺の質問に答えろ」
「あー、あんた、転校生、だよな? 今時期珍しいし、噂になってたんだ。……山伏センセが俺の担任でよ」
 山姥切は腕を組み俺を睨みつけていたが、兄だろう男の名前に目を瞠った。噂話も本当だし、嘘は言っていない。産まれる前からの顔見知りだという点を隠しただけだし、話したところで信じてくれるはずもないしな。
「兄弟の……。アンタ……」
「俺は同田貫正国だ」
 坂の下からこちらへ手を振る少年を山姥切越しに見る。中等部の制服をきっちり着込んだ堀川国広(だろう。どうみても)に呼ばれ、山姥切は遅れて振り返った。
「……疑って悪かった。同田貫、俺は行くがーー兄弟を頼むぞ」
 どういう意味だ、と尋ねても歩き出した少年は軽く手を上げるだけで答えない。遠ざかる並んで歩く背中に、先程の言葉を反芻してみる。――何を頼まれたんだろうか。記憶はないみたいだが、山伏は特別これといった弱点なんて……ああそういや、本丸で一振りきりにするとすぐ山へ向かいたがって、でもその度に方向を間違えて別の場所で確保されたりしていたから、ひょっとしてそれだろうか。前方を並び歩いていた兄弟が立ち止まり俺を仰ぎ見た。つられ立ち止まったが、二人の視線は俺の後ろ、高等部校舎を見ているようだった。
「……」
 恐らく山姥切達とは無関係だが俺は急に催してしまい、家までの距離と時間を計算し踵を返したのだった。

 普段は使わない、東棟二階の階段横の男子トイレ。一階は上級生、俺達一年は一番階段を登らなきゃならないが、三階まで登っている時間はないと、人通りがないのをいいとして俺は慌てて駆け込んだ。この歳で漏らすなど非常にまずい。
 東棟はすでに薄暗く、校庭から微かに生徒の声が聞こえてくる以外には静寂のみで、それどころか便器の端には埃まで積もっていたりして。
 無音が薄気味悪く感じた俺は下手くそな口笛を吹いた。風がカタカタと窓硝子を叩き、蛇口から雫の落ちる音がやけに響く。
 何だか妙な臭いに顔をしかめた。ひどい匂いだ、ズボンの口と釦を閉じ、流し台へ移動して蛇口をひねる。一瞬遅れて勢いよく流れ出る水で手を洗い止めたとき、背後の排水音に息が止まった。
「!!」
「……」
 いつの間にか誰か個室に入っていたらしい。軽く軋む音と共に、縦に並んだ二つの目と鏡越しに視線が合った。じっと見つめられ妙に気まずくて、ポケットからハンカチを取り出すときにふいに視線を逸らす。濡れた手を拭いもう一度鏡を除くと、どの個室も開いていた。手も洗わずに俺の横から出ていったんだろうか。少し考えて、俺は急いでトイレから出た。
 早足で階段を駆け下りながら、俺は半ばパニックになっていた。二つの目――顔を横にしてではなく、壁から覗き見るように並んだ片眼が、要は二人分。しかも、天井に付きそうなギリギリだ。暗闇の向こうにどう並んでいたか知らないが、そもそもどちらかが隠れるはずだ。何より頭の部分は壁の間って話になる。小学生の頃ははしゃいで七不思議なんて噂をしていた同級生の奴らからも聞いたことのない類いだし――ちょっと待て。俺は立ち止まり、踊り場から三階を見上げた。おかしい。東棟も西棟も三階までしかないし、俺は二階から階段を下ったのに。一体いつまで階段を下ってるんだ?
「ねえ」

 三階からひょっこり、男子生徒がこちらを見下ろし立っていた。正直めちゃくちゃ驚いたが、素知らぬ顔で返事をした。ネクタイの色は俺と同じ。見覚えのない顔はにこにこ笑っており、手招きをされる。
「ちょうどよかった、一人、足りないところだったんだあ」
 何を。教室へ入った俺は、整然と開けた真ん中にぽつんとひとつだけ置かれた机と、四つの椅子に二人だけ腰掛けた光景に納得する。机には白い紙と鉛筆。
「めねいらさま、一緒にやろうよ」
 机を囲むように四人座り、俺は頷いていた。奇妙な話だが、こいつらと一緒にやらないとと、強い使命感に突き動かされていた。
 紙の真ん中に立てた鉛筆を、四方から支える。
「     」
「     」
「     」
「     」
 昼に初めて聞いた言葉がすらすらと口を突く。指先が氷のように凍え、床に投げ出した脚はやたら重たい。かり、と鉛筆が僅かに動いて、亜鉛が紙の一部分を灰色へ変える。
「めねいらさま、どうかお応えください」
 紙の中心に、小さく歪んだ丸が描かれた。するすると移動し紙の四つ端をゆっくり辿り、その間線は引かれることはなく、不思議だなあとしか俺は思わなかった。
 紫がかった空から差し込んだ西日が、鉛筆から長く伸びる。
「めねいらさま。どんな質問にも答えてくれるんですか?」
 小さい丸。俺の向かいの唯一の女生徒が、震えながら聞いた。
「み、未来のことも、ずっと昔のこともですか?」
 歪な丸が増えた。気付くと指の支えなく真っ直ぐに鉛筆が立っていて、俺に最初に話しかけた生徒が喜色満面に尋ねる。
「なんでも願いを叶えてくれるんですか?」
 更に丸が増え、じゆんばんに、と文字が現れた。三つの視線が一斉に俺に向く。興奮に血走った目が、早く早くと急かした。
「おれの――ねがいは……」
 朧気な思考とは裏腹に鮮明に映し出したのは、どこまでも真っ直ぐな深緋の双眸。澄み渡る青空の下笑う、かつての恋人の笑顔。何に替えても取り戻したい、一等眩しい大事なモノ。
 ゆっくりと深呼吸をし、名を呼ぶ。
「――っ待て!」
 淀む空気に一迅の風が舞い込んだ。今まさに脳裏に思い浮かべていた男が――山伏国広が、戸口に立っていた。二つの紅蓮が、力強い意思を以て鮮烈すぎる程に煌めく。
「同田貫正国! そこから離れられよ!」
「っ……!?」
 俺の周りに座っていたはずの生徒は皆、得体のしれない何かの植物の蔦のような、うにょうにょと蠢くナニカに変異していた。飛び退ると俺を追いかけるミミズめいた一本が、振り下ろした山伏の手刀により掻き消えた。
「っな……なんだよこれっ……つか俺今まで何して……」
「説明は後だ! ひとまずここを出るぞ」
 左手に巻き付けていた数珠を首へ掛け、昼間のスーツではなく紺色の直垂姿の山伏は鋭く何かを唱える。共に出陣した際に、会心の一撃を見舞ったときのものに似ていた。
 

 人気のない東棟の二階廊下を駆ける。図書室や美術室を通り抜け一目散に一階へ。先導する山伏の広い背を追いながら、また長い長い廊下を走った。生徒の影一つない、まるで時が止まってしまったように停滞する紫まだらの空の下。背後には何かの咆哮と地響きが絶え間なく、山伏は繰り返し印のようなものを切りながら何か呟いていた。
「!!」
 昇降口にはさっきの触手のでかいのが陣取っていた。背後からは相変わらず轟音が迫りつつあり、逡巡した山伏が俺の手を引いて職員室へ飛び込んだ。何故か一つだけ開いていた窓から校庭へ。真ん中ほどの見渡せる位置でようやっと立ち止まり、山伏が俺を見下ろした。あれだけ走ったというのに、息一つ乱れていない。自然と離れてしまった手だけが名残惜しい。
「同田貫……大事ないか。怪我は?」
「何ともねえ……ってか、さっきのうねうね! 一体何なんだよ?」
「……見えたのか、あれが」
 真剣な眼差しに無言で肯定する。今更ながら、得体の知れない異質な光景に恐怖心が沸き起こる。俺も平和ボケしちまったろうか、などと冗談も掻き消えた。眼前の男にも危険が差し迫ったのだ。それも俺のように初めて目にしたって様子でもない。あの対処が正しいかは分からないが、化け物を撒けたと喜ぶには早い気がする。ざわつく胸騒ぎと、不気味な空に変化もなく、山伏も警戒を解いていないとなれば、平時で有った動物の勘的直感が安全じゃないと告げていた。
「あれは……端的に言えば、妖の類いである。人々の欲望を吸い続け、醜く膨れてしもうた」
「欲望……?」
「人とは、決して手に入らぬものをも渇望する。富に名声、肉欲……欲しても欲しても限りなく、泉のように湧き出続けるのだ」
 妬み、傲慢、自分勝手な理由で私腹を肥やし、他者を平気で蹴落とす。混じり気のない悪人もいないし、聖人みたいな善人もいない。それが人間ってやつだとも俺は思っている。
 刀としての記憶を持ちながら人間として暮らしてきて、俺を使ってくれる存在でしかなかった人間に、ほんの少しだけ理解を示す。完璧じゃないからこそ、魅力にもなるってことだ。
「怨霊……いや、実体がないなら、怨念みてえなもんか」
 意識だけだった俺たちも、躰貰って戦ってた訳だしな。そう考えると、あれが実体を持ったとして滅茶苦茶大変なことになるんじゃないか。
「結界に閉じ込めたまではよいのだが、お前まで結界内部に閉じ込められていた……巻き込んでしまってすまぬな」
「なああんた、ここに来たのって、もしかしてああいうの探すためなのかよ?」
「否、それは――」
 びりびりと鼓膜を揺さぶる咆哮に会話を遮られる。凄まじいスピードで、愚鈍そうな巨体が迫ってきた。激しくのたうつミミズ触手は先から何か液体を撒き散らし、ひどく醜悪だった。欲望の成れの果てと言われて納得する。無意識的に身構えた俺を庇うように、山伏が前に立つ。今の俺に立ち向かうための武器なんてない。それは山伏も同じことだが。
「同田貫。ここから出来るだけ遠くへ逃げろ。今結界を解けば此奴が外へ逃げてしまうゆえ、結界の及ばない遠くへ行きあちらへ戻って欲しい。……送り届けられずすまない」
「はあ?! 何言ってんだ、あんなバケモンひとりで相手にする気かよ! やられちまうだろうが」
「案ずるな、これでも妖祓師であるからな」
 そういう問題じゃない。こっちとしては、やっと再会できた相手を見殺しにするようなもんだ。丸腰ではあるが、注意を引きつけるくらいなら。しかし腕を掴む山伏は許してくれそうにない。
「線路を辿れ、見失えば川を。続く道の先で少年が二人おるだろう。力を貸してくれる」
「っくそ……!」
 今の俺じゃあ、足手まといにしかならない。そんなことは分かりきっている。だが、たとえ俺が逃げ果せても、万が一山伏が帰ってこなかったら――異形の怪物を一瞥し、真っ直ぐに山伏を見上げた。脳裏に浮かんだのは妙案か否か。
「そうだよ、あんたの兄弟、あいつらここに連れてくればいいじゃねぇか!」
「む……だ、だめだ、これ以上、他の者を巻き込むわけには……――ッ!」
 三度の轟音、すぐそこまで来ていた化け物から赤黒い蔦が伸びてきた。俺は後ろへ、山伏が左へ避け、手刀でまず一本。続けざまに二本と切り落とし、胸元から古ぼけた紙を取り出し投げつける。お札ってやつか。呑気に感心していたら、死角から迫る触手に足を掴まれ転ばされた。
「――拙僧がお相手いたそう!」
 山伏は扇動するように片眼を眇め笑う。挑発が効いたのか触手が束になり方向を変えた。身軽に避けながら貼り付けた何枚もの札が蔓を焼き、怪物が絶叫しさらに猛攻を仕掛けてくる。
「危ねえッ!」
「!!」
 べちゃっと切断された蔦を踏み滑った山伏が、一斉に触手に群がられた。両手を縛り上げられ、首や足に巻きついた滑る無数の腕を振り解こうともがけばもがくほど、絡み付くものは増えてゆく。無理やり口に突き立てられた一本が、無遠慮に押し入る様を見せつけられる。
「んぐっ……っふ、んっうぐ」
「山伏……!」
「んっあ゛ぅっ! お゛、ん゛うっ……」
 山伏の纏う直垂は粘液に塗れ、乱暴に引き千切られ上半身が露わになった。鍛え上げられた肉体を這い回る手が、明瞭たる意図を持って暴いていく。俺は、俺は何もできないのか。無様に蹲って嘗ての情人が侵されるのを見るしかできないのか――。
 否。
「……し……やまぶしーッ!!」
 無我夢中で、俺は怪物の方へ突っ込んだ。両腕を思い切り振り上げ、兜割のように――それは咄嗟の行動の筈だった。軋むほど握り込んだ手の中に、本当に鈍色に輝く刀が現れていた。何故かと疑問に思うより前に躰が動く。どう動けばいいのか、記憶が、魂が覚えている。
「――うおらあああぁぁっ!!」
 脳天から(この化け物に頭があるのかは分からないが)真っ二つに引き裂いてやる。巨体は全身から金切り声を上げて後退り、支えのなくなり落ちてきた山伏を抱き止めた。派手に咳き込んだが、骨が折れたり切られたりはしていないようだった。
「山伏、無事か?」
「……ッ同田貫――あ、ああ」
「アイツしぶといな、くっついて逃げられそうだ」
「……同田貫、力を、貸してくれぬか」
 粘つく液体塗れの山伏が顔を寄せてくる。触れた肌は熱を持ち、握られた手は炎のように熱かった。明々と煌めく真紅の双眸が、俺の金に光る眼を反射する。俺の手の中の刃と同じように、山伏もまたスラリと伸びる刀を――太刀を持ち立ち上がった。背から腕へ纏った焔から火花が爆ぜ、じりじりと熱せられた空気が歪んで揺れる。
 鮮やかな青空の短い髪が風になびく。萎縮した異形が精一杯の抵抗とばかりに触手を伸ばし、翳した白銀に斬り落とされ、山伏は札を一枚ずつ円形状に九枚を飛ばし最後に太刀を突き立てた。鋭い低音が呪符の引き金となり、どす黒い炎を上げて異形は消滅した。
 

「――消えた……のか」
「ああ、ひとまずはな……同田貫。助かった、礼を言う」
 実体はないのか、手中の刀は重さがない。持っている感覚はあるが、刃には触れないようだった。山伏がかいつまんで説明してくれた話によると、霊力、とかなんとかを込めて刀として具現するんだそうだ。審神者の力とどことなく似ている。
「……っおい! 大丈夫か」
「っああ……すまぬ」
 安堵した表情の山伏が膝をつき、慌てて駆け寄れば、今日何度目かの謝罪に、思わず頬を挟んで引っ張る。
「にゃにをひゅ……」
「謝んな、俺は謝ってほしいわけじゃねえ」
「……あいはほ」
「……ぷっ、なんて面だよ」
「お前がやったんらほ……」
 生温い空気を祓うように、どこからか風が吹いた。同時に噴き出し笑い合って、一気に緊張が解けたのかどっと疲労感が襲ってくる。一時間走り込んだ時みたいだ。実際走り回ったわけだが。
「にしても、あんなのいるとか、驚いたぜ」
「……お前は、今まで視たことがないのか?」
「ん? おうそうだな、今日初めて見たかもな」
「ふむ……恐らく、“視えた”のは結界の内だったからであろう。普段視えはしないが、お前の力自体が強いのだと思う。お前が側におったお陰で、拙僧も『これ』が使えた――」
 俺の力。霊力ってやつだろうか。山伏は消えかかった太刀を翳す。本来の髪や眼の色も昼間の黒へ戻りつつあり、彫物の炎も薄っすらと見えるくらいになっている。
「あんたはやっぱ『それ』なんだな」
「……? 何の話だ」
「なああんたさ……いや、何でもない。あんたは太刀だよな」
 瞠目した山伏が感嘆の声を上げる。よく知っているな、と柔らかく眦を細めて笑う相貌に見惚れたなんて言えないで、素っ気なくまあ、と曖昧に返事をした。
「なあ……あんたさ」
「うむ?」
「あんた、いつもあんな危ない目にあうんだろ? ……俺に守らせてくれねえか」
 遠景がぐんにゃりと歪んでゆく。結界としての役割を果たしたからか、現実に戻っているのだろうか。不思議な浮遊感が妙に心地よく、遠近感も狂ったように、山伏が近い。あんなことがあって、夢だったと思いたくて現実逃避しているのか。夢か現実か、だったらと微塵の躊躇もなく、俺は山伏の手を握り抱き寄せる。少し逸る心音は、期待していいってことかもな。俺だけに都合のいいように解釈し、ゆっくりと眼を閉じる。
「……」
 次に眼を開けた時、外はすっかり暗くなって、十五夜を間近に控えた真円に近い月が上りかけていた。目の前には、スーツ姿に眼鏡の担任。ヒヤリとする冷気に盛大にくしゃみをする。山伏は何やら神妙な面持ちで佇んでおり、呼び掛けても反応がない。目の前で手を振って、ぬお、と大袈裟に驚かれてしまった。そこまで俺は空気だろうかと少々落ち込む。そっと窺うように山伏が屈んで、耳元で囁いた。
「――……同田貫。おかしなことを尋ねるが、お前と以前どこかで……会うたことがあるか……?」
「……そんなわけねえだろ、俺十五だぜ」
 動揺を悟られぬよう、わざと明るく躱す。冗談に軽く返すように胸を叩き離れた。山伏は首を傾げながら、俺に叩かれた胸元を撫でている。薄く朧がかった月は、柔らかく俺たちを照らしていた。

――これが、刀だった俺同田貫正国が人間として暮らして、番いだった山伏国広と再会した時のハナシだ。まあ、ありすぎるくらい色々あるうちのほんの“さわり”ってやつなんだが。まあ、また暇な日にでも話すよ。
 山伏は結局思い出したのかって? おはなしには順序ってもんがあるんだよ、最初っから結末だけ聞かされても、物足りないだろ?
 

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