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誰よりも早く、


 

 どことなく浮ついた審神者とざわめく本丸に雪がちらついていた。張り切る主を先頭に倉から厨から大掃除が始まり、遠征中の男士以外ほぼ巻き込んだものとなっていた。

 雑巾を隣に置き、同田貫が溜め息を付く。長い長い廊下を一人黙々と拭き、全体の三分の二ほども終わらせただろうか。我ながら良く集中力が続いたものだと、渡されていた竹筒に口を付け一息付く。刹那、両肩に重みを感じ怒鳴り声を浴びた。

「おいッ同田貫! 何しとるサボるな!」

「んげっ蜻蛉きーー……ん?」

「カッカカカ! ひっかかったな!」

 がばりと振り仰ぐと満面の笑み。手拭いを巻いた山伏国広が呵々と大口を開け肩を揺らしていた。煤がすっと通った鼻梁へ付いている。蜻蛉切と山伏は声質が似ていると以前囃し立てられていたが、まさかこんな形で其れを実感するとは。

「てめッ山伏! 驚かせるなッ」

「驚く必要も無かろう、サボっていたわけではあるまい? 随分手が冷たくなっておるぞ」

 縁側に投げ出していた脚へ、袖を捲ったままの手へ山伏の手が伸びる。太腿を触れ合わせた手を摩り上げ、温もりが移動するのが分かった。

「どれ、拙僧も手伝おう。二人ならば早く終わろう」

「いいよお前、別の担当だろ」

「なに、終わらせてきた。此も修行である」

 ぎゅっと破顔し笑う口から吐かれる息は白く、手を強く引かれ立ち上がる。いつ用意したのか雑巾を手に、何が楽しいのか山伏はやはり呵々と笑った。

「寒いと躰を縮こませていては筋肉も役に立たぬのであるぞ」

「……分かったよ、仕事はちゃんとやる」

「汚れを落とし清々しい気持ちで新年を迎えようぞ!」

 冬の晴れ間の太陽を浴び輝く笑みが眩しいと手をかざせば、その手も取られ無理矢理に連れ出される。こいつらしいと苦笑を浮かべた。

 

 腕を振るったという審神者と食事当番達のご馳走に舌鼓を打ち、いつものように誰からともなく酒を飲み始め。飲めや歌えやの大騒ぎを早々に抜け出し、同田貫は月見酒と洒落込んでいた。隣には山伏が静かに座る。朱塗りの猪口に写る揺れる月を飲み干し呟く。

「ったく、ただ一年が過ぎるってだけじゃねぇか」

「そう言うな……新たな年を無事こうして迎えられるのは喜ぶべきであろう?」

 ほろ酔いに顔を上気させた山伏がふふ、と綻ぶと同田貫の手へ己の其れを重ね合わせる。背後でどっと笑い声がし、調子の外れた酔っぱらいどもの歌声も酔いの回る頭には心地良い。うっすらと積もった雪に灯籠の仄かな灯りが淡く照らし出し、半月の薄ら明かりは肩の触れ合う二振りへ降り注いでいた。とく、と猪口を再び満たす甘やかな神酒は清純な芳しい香りで鼻腔を満たす。

「拙僧らにとって人の身で初めて迎える新年なのだ、浮かれ騒ぐのも仕方ないだろう」

「今日は随分饒舌だな。お前こそ浮かれちまってるんじゃあないか」

 下から悪戯に見上げれば、微かに潤み揺れる深紅に見つめ返される。あれほど笑みを湛えていた相貌は今、真冬の朝のように凛と研ぎ澄まされた清浄さに満ち満ちて、紅の拭われた眼はただ静かに同田貫へ注がれた。

「主殿に喚ばれ、おぬしと出会い、色々なことがあったな」

「何だよ急に……」

「拙僧もおぬしも刀である、刀は戦で生きるものであるな」

「ああ、でもよせよ。こんなお月さんの綺麗な夜に、野暮な話は無しにしようぜ」

 ひらひらと揺すられる掌をそっと引き寄せ、静かに燃える炎を宿した瞳がぐっと近づく。

「この身を流れる血潮を、おぬしに触れられ高鳴る心を、溢れ出る感情を言葉を……。たとえ今更冷たい鉄の塊に戻ろうと、もう忘れることは出来ぬであろう」

「……そう、だな。俺達は戦の道具でしかなかった。それなのに、おかしいよな。お前を見ていると、心がざわつく。信条以外に、守るもんが増えちまった」

「何度も無茶をしたな。拙僧が、皆がいるのだ。少しは、頼ってくれ」

 くしゃりと顔を歪め目尻には涙を溜め、山伏が肩に額を押し付けてくる。大分酔いが回ったらしい。幾許か声が上擦っている。

「いつ終わるともしれぬ戦いの最中、互いに折れるならば戦場でと、あのとき言ったな。しかし、拙僧は、未熟者であるーー怖いのだ、おぬしを、喪いたくはない……!」

 胸の奥が奇妙に音を上げ、肩越しに震える低音を聞きながら肩を抱く。近侍として頼り甲斐のある広い背は、己が腕を回せばすっぽりと収まってしまう。自分でも驚くほど優しげに囁きかけた。

「全く、年の暮れにする話じゃねぇだろう。めでてぇ夜なんだ、笑ってくれよ、国広。俺ァお前の笑ってる顔が好きなんだ」

 自然に口を出たのは紛れもない本心だ。刀である自分がと、数ヶ月前の己なら呆れ顔を浮かべただろう。ゆっくりと顔を上げた恋人は其れは酷い顔で。涙と、鼻水と。耳も目元も鼻も真っ赤に染め上げて、ぐしぐしと泣いていた。

「ブッハ! 何て顔してんだ国広、ほれ、拭いてやるから」

「ぐ……面目ないである……」

 目を細めた同田貫につられ、若干たどたどしくはあるが山伏も笑みを向けた。柔らかくした懐紙で顔を拭い、すっかり冷めた猪口を退け二人無言で月を見上げる。明るすぎない月に彩られ、満天の星々も綺羅綺羅と瞬いていた。

「……正国」

「何だ」

 二振りきりの特別な呼び名、提案したのはどちらであったか、どちらでもよいと一笑に伏し、視線が交わりそのまま近付いてゆく。もう一寸、という所で、盛大な拍手とともに新年の訪れを高らかに祝う一同の声が響きわたった。

「お、蕎麦食ってなかったな」

「……正国。明けましておめでとう」

「おう。今年もよろしくな、国広」

 誰かの笑い声に次々と被る明るい声。どこからともなく除夜の鐘らしき鐘の音まで聞こえており、宴も酣、各々部屋へ戻り始める前にと、二振りは中断された触れるだけの口付けを交わした。同田貫が足りないとばかりに唇を食み、熱の融けた指先を絡め合う。

「知らぬのか、元旦は互いに清らかでいるのが決まりであるぞ」

「……んだよ生殺しかよ」

 紅を刷いた後のように目尻を染め、山伏の朱殷が弧を描く。囁かれる声色はどこか妖しく、触れ合わせたばかりの薄い唇はてらてらと艶めかしく濡れていた。

「たまには我慢してみせるがよい、お預けである」

 悪戯な声は重く響く。弄ぶことになった熱を押しつけ、荒い息を隠さずに獣が吼えた。

「ッ国広……覚悟しとけ。立てなくなるまで啼かせてやるよ」

 淫靡に舌なめずりをする男もまた、灼き付く炎を瞳から迸らせ「楽しみだ」と小さく吼えた。

 二振りがその後どんな一夜を過ごしたのかは当人にしか分かり得ないことであった。

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