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よるをとぐ

 異次元空間に居を構える本丸において、男士達の衣食住を担う区画と彼等の主人の生活空間とは明確に隔たれている。近侍の待機する控え室を境に、数人ずつあるいは一人ずつ充てがわれた寝室と厨、鍛刀部屋や道場等が隣接している。離れには蔵があり、広い中庭に面した部屋の一室に設えられた審神者の執務室に人影があった。

 近侍である太刀が膝を付き主人を仰ぐ。洋机に堆く積まれた紙の山の向こう、不機嫌も露わに審神者と呼ばれる者が嘆息した。

「なぁ山伏、教えてくれないか。俺は何故、こんなところにまで来て書類整理をせねばならんのだ」

「拙僧には分かりかねるな」

 現世と変わりないじゃないかと溜め息ばかり吐く男は人間だ。付喪神を顕現し肉の器に宿す霊力を持つ人間は稀有な存在であり、福利厚生も保証されているとか言っていたが。

「人間ってのァ面倒臭く生きざるを得んのよ……休み一つ取るにも盥回しでさぁ」

「手を動かすのだ主殿。止まっておるぞ」

「お前もたまには主を敬ったらどうだ」

 相すまぬと至極真面目な顔でこちらを見上げる山伏に、男は大仰に首を振る。この快活に笑う修行僧は人の身を得た付喪神で、この本丸に来た初の太刀である。

「であれば、一つ提案をしよう。拙僧はこれより瞑想いたす。近侍の居ないものとして、主殿は存分に作業に掛かられるが良い」

「……おまえはいつも通りじゃないか」

「主殿もそうして書類に囲まれておるのが、拙僧にとってのいつも通りであるぞ」

 低くよく通る声が突き刺さる。全くもってその通りだ。思えば昔から整理整頓も大嫌いで、科学技術の進んだ現世ではこっそりロボットに任せきりだったし、頭で考えるより先に体が動くアナログな人間だと言われたりもした。余計なお世話だ。

 わざとかと思われる難しい言い回しの文言が羅列された書類を眺める。期日は間近に迫り、担当者の温情で締切を伸ばしてある書類もある。

「俺からも提案なんだが、今日中にこの山を崩せたらおまえの」

「遠慮いたす」

「何も言ってねぇよ?!」

 既に瞑想の為の準備に入った山伏が辛辣に告げる。「主殿の下賎な申し立ては受けかねる」と、朗々と紡がれる低音が、顰められた深い赤色の瞳が心を抉る。何故己の近侍はこんなにも主人に対する態度が淡白なのだろうか。

「ほら主殿、拙僧と睨めっこしていても埒が明かぬぞ」

「……分かった、やるよ」

「では、拙僧は瞑想の時間としようか」

 覚悟を決める。近侍の言葉は真っ当だし締切は迫ってくるのだ。瞑想する山伏は本当に置物めいて存在感を消してしまった。部屋に静寂が訪れ、ペンを走らせる音が時折聞こえるだけとなる。

 数刻も経過したろうか。審神者の洋机の書類が大分片付いた頃、男は大きく伸びをした。残りは内容に目を通し判を押すだけで本当に今日中で片付けられそうだ。己の集中力も中々のものだと自画自賛した。

 ふと見下ろすと山伏は瞑想を始めた時と同じ姿勢で座禅を組んでいた。襖を隔てた向こうでは蝉の鳴き声が遠く響き、緩く俯いた顔には宝冠で吸い取りきれなかった汗が額から滴り落ちている。近侍の務めだと室内ですらのこの暑さにも戦装束を着崩さず、開いた胸元には玉の様な汗が浮かんでいる。呼吸一つ乱さず、顔色ひとつ変えない様相と裏腹に、隠し切れない色を孕む太刀へ歩み寄る。

「山伏」

 耳元に顔を寄せ吐息交じりに囁く。瞑目する修行僧は微動だにせず、しかしそのまま続ける。

「今宵亥の刻、俺の部屋で」

 押し黙ったままの山伏を見下ろし、椅子に戻る。確かに聞こえた事を男は知っている。幾度と無くそうしてきて、近侍もまた要求に応じて来たからだ。返事の無いのは了承の証だった。

 襖を開け放ち、振り返れば宝冠の裾が流れ込む風に揺れた。廊下の向こうから近付く人影が見え、男は小さく笑う。今晩の遠征について呼びつけていたのを思い出す。はたまた、部屋の中の近侍に用でもあるのかと邪推しながら、廊下で立ったまま会話する。山伏は己の主人と情人の話を、一体どんな顔で聞いているのか。

「頼んだぞ」

 返答し踵を返す男士を横目で見ながら、変わらず座したままの近侍を窺う。先程から全く姿勢を変えず、素知らぬ顔で佇むその胸中を想像するだに楽しくて仕方がなかった。

 

 満月を過ぎ、遅く顔を出す月がようやっと高く昇る頃。夕食をとうに済ませ本丸の殆どが灯りの消えて久しい亥の刻に、音も無く襖が開く。差し込む月明かりに照らされた青碧が艶めいて、純白の単衣によく映えた。陽の光を浴びた健康的な肌も、躰に宿す焔の彫物も、伏せた血の様な赤色の双眸も、青白い月光を帯び妖しく色香を放っている。敷かれた一対の布団に正座し、ゆっくりと開いた朱殷の瞳が主人を仰ぎ見た。

「主殿」

 驚くほど小声で囁かれた声はしかし、静寂に包まれた閨には十分過ぎるほど鮮明に響き、引き結ばれた唇に薄く紅が差されているのすら判った。

「待たせたか?」

「……否、仕度は出来申した」

 一つ。口角の吊り上るのを堪えながら数える。近侍は嘘を付いている。毎度、男は刻限を散々焦らし部屋へと入り、同じ質問をする。逃れる事など容易で、ただの口約束は付喪神へ何の効力もないのだから。

「第二部隊は今宵は遠征だ」

「そう、であるか。気付かなんだが」

 二つ。昼間部隊長が訪れた時、襖の向こうで確かに聞いただろう。瞬きをすれば見えなかったであろう刹那、視線が外された。情人を思い出しでもしただろうか。跪く相手を、己をこれから抱こうという相手を違え、嫌悪感でも抱いただろうか。それとも抱くのは、背徳感だろうか。

「なぁ山伏。俺の夜伽の相手は"厭"か?」

 唇に触れるか、触れないか、ぐっと顔を寄せ、わざとはっきりと行為の名を口にする。瞳を伏せた、色濃く長い睫毛は薄っすらと濡れ震えている。やがて、鋭い犬歯の覗く口が開かれた。

「…………否」

 三つ目。堪え切れずほくそ笑み、目の下の傷痕を舐め上げた。断る事も出来た筈だ。一番初めの晩、月蝕の夜だった。抗う事が出来た筈だ。己よりずっとひ弱でずっと脆弱な人間に組み敷かれ、この太刀は大層驚いた顔をしていた。懸想する己の思いも押し殺すつもりで、己に欲を抱く輩がいる等とは微塵も思わなかったのだろう。恐らくは懸想する相手へも純粋な好意と認識していたのではないだろうか。それ程までに高潔な美しい魂を己の手で穢す事は、決して長く、決して良いものではなかった己の人生の中で一等輝いている。我ながら薄ら暗い最低な感情だと思うが、同時にどうしようもなく充足感が満ちるのは止められず、麻薬の様に求めてしまう。

「山伏国広」

 行燈の消えた闇の深い閨にありなお煌めく様に見える美しい赤が、審神者を見据えた。

「服を脱ぎ、仰向けに寝ろ。自分で膝を抱えるんだ」

 夜は長く、これから与えられる恥辱に臆す素振りも見せず静かに立ち上がった山伏の精悍な横貌を、男は眩しそうに見上げた。

 

 

 何度目かに己の内に注がれる霊力に山伏は身を強張らせた。息を詰まらせ、蕩けた眼からは涙が溢れ、目弾きの真紅と混じり流れる頬は赤く染まっている。深く咥え込んだ口から白濁が泡立ち、男の陰毛に絡み合いぶつかる肌に弾け淫猥な音を響かせている。

「ヒッぃあ、あ! 主殿ぉ……!」

 宙を搔く手に指を絡ませ、形の良い指へ舌を這わせる。それだけで組み敷いた躰は小さく震え軽く達してしまい、全身が敏感になっている相手の一番敏感であろう肉壁を擦り上げる。

「ンひぃッ……! や、ら! らめら、も、イぎだくな゛、ぁあ゛!」

「さっきは散々イカせてくれって言っていたじゃないか、我慢したご褒美、だろう?」

 解いた赤い紐を咥え見せ付ける。揺さ振りを止めず、奥に放たれた己の精液を混ぜ合わせる様に腰を動かす。山伏の自身は半刻あまり縛り付けられていた紐の跡がくっきりと残り、すっかり腫れてしまっている。透明な先走りを垂れ流し、整った貌は涙や涎や鼻水に、肢体は滴る汗に、菊座からは審神者の白濁と全身を濡らし、休む間も無く与えられ続ける快楽に狂った様に泣き叫ぶ。

「も、ゆるひ、あ、あぁ……!」

 そうだ。この瞬間。快感の渦に呑まれ、己だけを見る濡れた赤が、他の誰でもない、己だけを映す朱殷が、どんな宝石よりも魅力的だと思う。

「山伏っ……!」

「あっあるっじ、ろの……! あ、あぁああぁっ!」

 達しながら痙攣する山伏の口を塞ぐ。鼻に抜ける様な甘ったるい嬌声を出し、熱く滑る舌が絡み合う。犬歯とで挟まれ強く吸われ、ぢゅ、と音が出た。

「ふぅ、んん……んぅ」

「……ふ、ぷぁっ」

 ずるりと引き抜かれた男の肉棒が栓をしていたため、ぽっかりと空いた口から白濁が溢れ出ている。荒く呼吸する山伏に合わせ収縮を繰り返し、名残惜しそうに見ていた近侍の顎を取って視線を交える。

「明日、今宵の遠征隊長と馬当番をしろ……いいな」

「……相、分かった……」

 掠れた声で応えた後、殆ど気を失う様にして眠りに落ちた山伏の、濡れた青碧を梳く。用意していた手拭いを浸し、こびり付いたものを拭ってやる。せめてもの労りも、死んだ様に眠る近侍が知ることは終ぞ無いのだろう。

 最初は純粋な好奇心だった。明るく聡明で、笑みを崩さぬ近侍の別の表情が見たかった。本丸の男士が誰一人気づかなかったであろう、山伏の好意を向ける相手に気付いたのも、色恋に疎い修行僧に助言をしたのも、めでたく結ばれた情人にのみ見せる極上の微笑みを見るまでは。

「主殿、戯れは……」

 欲望のそそり立つ怒張を見、見開き恐怖した双眸を塞ぎ、初めて繋がった夜は酷く静かだったのを覚えている。声を押し殺し、与えられる刺激を受け流そうとする反応に、未だあの男士とは床を共にしていないと、背徳感に痛く興奮した。

 この感情は、恋ではないのだろう。欲と気紛れと、行き場のない、何かと。己が同じ付喪神であったならなどと、意味の無い望みを叶える酔狂な神など居まい。奇妙で狂った関係に終止符を打つのは一体いつになろうかと、男は一人欠けた歪な月を見上げた。

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