あまえんぼ あかいな おたがいさま
いつからだろう、瞑想中に掛かる背のぬくもりが当たり前になったのは。
「なー山伏ぃ」
無造作に揃えられた漆黒の髪。ジャージも腹部の晒も黒。
「なー、構えよー……山伏ぃ」
座禅を組んだ後ろから腕を回され、肩に掛かる重みが増す。薄眼を開ければ、金色の大きな瞳がこちらを覗き込んでいた。
「暇だぁー」
「拙僧は瞑想中である」
「俺はお前が構ってくれねぇから暇なんだ」
「御手杵殿は」
「遠征」
「……」
「なー山伏ー」
最初に戻る。繰り返される意味のない会話。しかし黙る程、一方は聞き分けの良くなく、一方は薄情ではない。間延びした低音がくっついた躰越しに伝わった。
「同田貫殿」
「なんだ?」
「暫し、集中させてもらいたいのだが……」
瞼を上げ、拗ねた様に口を尖らせた顔を見る。無言で見つめ合い、死角から伸びた手に両頬をつままれた。
「ひゃえらえよ」
「ッハハ! 変な顔」
顔をくしゃりと歪め、同田貫が笑う。無邪気な笑顔は、普段よりも幼く思えた。
この同田貫という太刀は、何故か山伏に大層懐いていた。元々同時期に顕現し、父である刀工の生まれも近く、時代も似通っており、同じ部隊でしのぎを削り、手合わせも良くこなしていた仲であったが、それにしても、この懐き方は不可思議であるなぁと山伏は常々思っていた。
「夕餉の刻にはまだ時間もあるな、よかろう! 半刻後、軽く手合わせをいたそう。それまでは、拙僧の邪魔をしてくれるなよ?」
弟達にするように、頭を撫でる。やったと拳を握りながら、されるがままにわしわしと黒髪を乱し、同田貫は笑う。この感情は、愛しいと呼ぶという。山伏は弟を愛していたし、また弟も長兄を大事と思っていた。しかし本丸において、この様に踏み込んでくるものはこの太刀を除くとそうはいない。しかも、他の者に尋ねれば普段、戦場以外では滅多に笑うこともない仏頂面であるという。
「約束だ」
「応」
にか、と破顔し立ち上がった男を見上げ、山伏は甘やかしているな、と苦笑した。
ある日、文が届いていた。審神者へ当てられる戦績と違い、小さな封筒に入れられていたのは、一輪の野に咲く花。青みがかった白の花のみ、後は宛名も差出人もなく、山伏は何故己に届いたのか首をかしげる。文は何通も届く。ある時共通点に気付いた。文の届く日は、瞑想に邪魔が入らない。ある日はすみれが、また別の日は、万両の赤い実が。色付くかえでの葉や、どんぐりや煌めく石や、様々である。山の香り、潮の匂い、そんなものと共に、溜まっていく、返事の書けない便り。
「構えと言われても、構えぬではないか」
誰も、審神者も弟刀も邪魔をしないというのに、あの太刀は、遠征であっても片時も自分を忘れるなと、何といじらしい。ほうせんかの種が散らばった文机を見下ろし、溜息をつく。その横顔は微かに口角の上がり、笑みの形をしていた。
いつであっただろうか。褥の上で二人黙りこくったまま、暗闇で、互いの心音を、聞いている。己より体温の低い筈の、背を包むかいなの暖かさを知ったのは。掠れた声が名を呼ぶ、その意味を知ったのは。審神者が言っていたシンコンサン、とは何だろう。先日二人きりで遠征に行かされたが、心地の良い夏の時代だった。「今日は直接渡せるな」とはにかんだ相手の掌の桜色の貝殻は、部屋の隅の箱にそれは大事にしまわれている。
「山伏」
熱を孕んだ声が、僅かに掠れている。顔を上げ、金色の眼を見上げ、どちらからともなく口吸いをした。唇を合わせ、柔く食み、ちゅ、と音を立てた。
「山伏……やまぶし、ぃ」
「ん、む……ど、っぬき、あ、っどの」
幾度も、幾度も名を呼ばれ、赤い舌が入り込んでくる。ぬめるそれが上顎をなぞり、山伏の鋭い犬歯を舌先で突き、舌を削ぐ様に抉るそれを、大人しく受ける。鼻へ抜ける空気が、下肢のある一点へ熱が集中する。脳髄を駆ける熱い渦を、外へ逃がすため、大きく息を吸う。
「んぁ、は、アッ……ンン、ぅ」
「は、あっ……や、ぶし」
暗い閨で、互いの息を交換し、欲に塗れる濡れた金月が、熱に浮かされた声が、己を見るたび、名を呼ばれるたび、快楽の波にさらわれる。がさ付いた指が、寝衣の合わせから直接、肌をさす。
触れられた箇所が、灼ける様な熱を持った。密着した肌を更に寄せ、頬を擦り付けられる。かくかくと、盛りの付いた犬に似た腰の動きの、押し上げられたそれが、下腹部の奥に切ない疼きを与えた。どうにも我慢ならないのか、揺さぶられながら、じゅ、と舌を吸われ、歯が立てられる。
「ふ、う゛っ……ン、あッ」
「っまぶしぃ……ん、んん」
飲み込みきれない唾液が上気する顔を、赤く染まった胸を汚す。蕩けた顔で何度も名を呼ぶ情人が、堪らなく愛しい。己だけを見る月は、いっそ食ろうてやれば独り占め出来うるのだろうか?
「ろ、……っあ、」
「ッ!」
支え切れない己ごと、褥へ倒れ込む。強く擦られたのか、びくびくと躰を震わせ、唐突に口吸いが終わる。
「ぐ、ぅ」
「はーっ、ぁ、っは、」
唇が痺れていた。どちらともつかない、糸を引く唾液が切れ落ちた。嗚呼、勿体無い。舌で舐めとると、嚥下する。可愛い情人から与えられるものは全て、取り込んでしまえたら。
「やまぶし、やまぶしっ」
「っ頼む、ど、たぬ、」
躰が熱い。欲に浮かされ、導かねばならぬ相手の、手を取る。熱い、手を、後ろへ。膝を抱え、既にしとどに濡れた、窄まりへと。
「は、やま、ぶし、おまえ」
「も、準備 できておる」
「……っ!」
「おぬしが、ほしい」
ここに。震える声を、濡れた茜の瞳を、物欲しげに揺れる口を。充してほしいと、囁いた。
柔らかく差し込む朝日が、夢心地であった躰を揺り起こす。数瞬、此処がどこであるかを思い出せず、金の瞳を閉ざした幼さの残る寝顔を見、同衾した男の顔を奔る傷痕を撫でる。
「……ン、やまぶし……?」
「すまぬ、起こしたか……?」
「ん、いい」
伸びをする同田貫が、そのまま腕を腰へと回す。互いに裸のまま、頬を寄せる。ふやけた顔で頭を掌に擦り付けてくる様は犬だな、と一人納得する。しかし起床時刻を大幅に過ぎていたのに、起き上がる気になれない。
「あー、もう朝か」
「今日はおぬしは出陣を控えておろう、支度をせねば」
額に口を寄せた。擽ったそうに、腕の中で笑う男に、いつもの様に頭を撫でる。
「なぁ、やまぶし」
寝起きであまり舌の回らない男の、霞んだ金が見上げてくる。顔を上気させ、珍しく口籠っていた。
「ん……?」
「あのな」
無理に促さず、頭を撫で続けながら言葉を待つ。赤い顔はそのままに、一度逸らされた金が瞬く。己の顔が写り込んだ、丸い月が山伏を見た。
「昨日のお前、かわいかったぞ」
額を合わせ、顔にかかる吐息を感じ、熱が移動するのを感じる。相手からのものだけだろうか、これは言い訳ではなかろうか。
「どうたぬきどののほう、が」
嗚呼、熱い。情けないくらいに赤らんでいるであろう顔を背ける前に、再び口を塞がれた。