中秋の名月
念願の阿津賀志山攻略を祝した細やかな宴を催したのは、誉れを勝ち取った一軍の弟達だった。早くに顕現し練度の高い江雪や太郎達、山伏らは普段宴席に出ることはなく、審神者自身としても強要するつもりも無いので後日休暇を取らせる等をしていたが。偶には喜びを分かち合いたいと言われては、多少無理をしてでもセッティングをせねばなるまい。
「お主たち、案外いける口だな」
「そうだね。私はてっきり下戸だから参加しないのだと思っていたよ」
「岩融とはおおちがいですね!」
最近やっと来た天下五剣と三条派が笑う。三日月の隣はご丁寧に空いており、残り一人を惜しむようちらちらと窺う目線にもめげず審神者は缶ビールを呷る。来ないものは仕方ないだろうとは酒の力を借りようとも言えずヘタレっぷりに涙を堪える。自分は泣き上戸では無いのだが。年長組にしれっと混ざる短刀を含めかなりのペースで酒を開けていたが、本丸一の大柄でかつ面倒見のよい大らかな薙刀の姿は無い。何でも元の主の影響か酒にはとんと弱いらしい。弁慶と言えば大酒飲みで有名だった気がしたが。
「いつもは御酒くらいしか飲みませんからね。俗世の酒も、中々」
「ええ……。このわいん、コクを感じます……しかし、多く飲めれば偉い、と言う訳ではありません……」
妙に似合うワイングラス片手に涼しげな顔で話す長兄達は静かに頷きあう。その横では珍しく次郎太刀が既に潰れており、非番故布ごと洗濯され身綺麗な初期刀がこっそり自らの布を掛けてやっていた。
「むにゃ……兄貴ぃ……」
「いつもより、たくさん飲んでいたよ。何故だろう」
「僕らの為に宴に来てくれて、よっぽど嬉しかったんじゃないかな? 兄弟が誉を受けたら、自分の事のように嬉しいものでしょ?」
「……そうだな」
「あなたが、こんなにも上手くやってくれるとは思いませんでしたよ」
じっとりと視線を向ければ、冗談ですよと白い頬を上気させ宗三が笑う。左文字と国広は共通点も多く、其々仲良くやっていると聞いていたが、今回兄太刀について言ってきたのは意外だった。結果的に酒その他諸々の出費が嵩む事になるがそれは経費で落とす気満々なので考えない事にした。
「……宴も酣。私は戻りますが、よければご一緒しませんか?」
「良いですね……小夜、ここで寝ては風邪を引いてしまいます、行きましょう」
早々と部屋へ戻った者、仲の良い者と飲む者、数刻が過ぎ大広間は人も疎らになっていた。奥では先程から何故か唐突にカラオケ大会が行われていたが、マイクを離そうとしない蜻蛉切を御手杵が囃し立て、同田貫と博多が合いの手を入れる光景は実物だった。周りには酔い潰れた男士が転がっている。
「では主、お先に」
「おう、ご苦労さん」
立ち上がった太郎太刀が次郎を軽々担ぎ上げ、江雪がそれに続く。途中で一期一振と合流し大広間を出て行った。宗三は小夜の手を取り、堀川は潰れた和泉守を歌仙と連れ立ち、残った体育座りの山姥切と無言で飲む。
「……明日片付けが大変だなこりゃあ」
道場や広い中庭を持つ本丸の掃除当番は誰だったか。大広間は普段使われないが、食べこぼし、飲みこぼしがないとは言え、とっ散らかって散々な有様だ。明日は出陣予定も立てていなかったし少し早い大掃除でも行うかと思った時、初期刀がこちらを見ているのに気付いた。
「兄弟は……どうだ」
「どうって、何がだ」
「無茶を……していないか?」
ああそういうことかと返す。山伏は本丸で一番の練度を誇り、一軍を纏め上げる現在の近侍だ。山姥切と堀川は新参達の世話係として最近は遠征を任せており、久し振りの兄弟との顔合わせであった筈だ。先の戦力拡充計画で二刀開眼を同田貫と競っていたのも記憶に新しい。
「良くやっていると思うよ。他のメンバーも練度が近付いて、演練でも良い修行だって笑っているさ」
「あいつは見栄っ張りだからな」
「見栄っ張り?」
溜息と共に紡がれる低音に首を傾げる。中傷をおして手入れ部屋に札と共に放り込む事は偶にあるが、見栄っ張りという言葉と近侍は中々結び付かない。頑固な面はあるが、そも自分から主張する性格とは思えなかった。
「あんたの前じゃ特にだ」
微かに細められた孔雀石の様な緑青に、機嫌が良いなと返した。分かりにくい初期刀の表情に、声に棘は無く、首を傾げたままの主人を見、山姥切は笑った。
「兄弟は酒が飲めないんだ」
言われて漸く、話題の中心である太刀の姿が無いことに気付く。厨へつまみを取りに行くと言って獅子王と連れ立った以来戻らず、半刻程経ったろうか。
「……俺も知らなかった、あいつがあんな子供染みた態度を取るのは、あんたの前だけだ」
山姥切はいつもの布を取り払い、美人と形容されそうな貌で猪口を傾ける。整った顔を覆う艶のある金糸を乱雑に搔き上げ、道場にいるんじゃないかと斯くも綺麗に笑んだ。
秋の夜長とはよく言ったもので、ひやりとした床板は軋み、どこからか虫達の演奏が聞こえ火照った躰に夜風と共に染み込んでくる。大広間を抜け、公共の場を通り抜ければ中庭の向こう、男士達の打ち合いを行う為の道場がある。色付き始めた紅葉が池に落ち、水面を彩る錦鯉が鏡月を揺らめかせた。真ん丸い月の上がる夜空は雲ひとつ無く、秋の澄み切った空気の中凛と佇む、広い背中を見付けた。
青空の髪は月夜であっても仄かに煌めき、初めてその青碧を見た日は大層驚いたのはもう大分前だ。気配に気付いているだろうに、声を掛け初めて振り向いた近侍は、月に陽の隠れた様に笑みを閉ざしていた。
「主殿」
落ち着いた、良く通る深い声が名を呼ぶ。瞑想でもしていたのか、坐禅を崩さず軽く頭を下げ、また背を向けられてしまう。
「拙僧を呼びに参られたか」
「お前に会いに来た」
「……」
両拳を着き、ゆっくりと向き直る。普段は高らかに笑うばかりで煩わしいと思われがちだが、こうして瞑想等で一振りでいる時は恐ろしく静かで、幾度もギャップに驚かされる。噂によると本丸毎に微妙に異なる男士がいるらしいが、どこの山伏もこうして審神者を見上げるのだろうか。意志の強い濃赤の瞳が月光を受け薄く細まり、形の良い唇が弧を描く。
「左様か。して、何用であろうか」
「用ってほどじゃないんだ。切国が、お前は酒が飲めないと聞いて」
山伏が顔を顰める。酒の抜けぬのか耳に赤みを残し、隣に腰掛ければ、月明かりに二つ分の影が道場に伸びた。
「無理やり参加させてしまったか? 飲めないなら言ってくれればよかったのに」
「……兄弟らの好意を無下にも出来ぬでな。それに、酒の飲めぬは拙僧の修行不足故。現に主殿の手を煩わせてしまった」
「そんなこと気にするなよ。嫌なものは断ったって誰も責めないぞ」
成る程確かに見栄を張っている、大方自制の為に宴席を抜け瞑想をしていたのだろう。言い訳がましいとは思ったことは無いが、今までことある毎に修行不足を嘆く発言もそれからくるものだったのだろうか。
「これは拙僧の問題であるからして」
「ぶっ倒れでもしたらどうする、抱え込みすぎては駄目だ」
付喪神とは言え、人間とどこも違わない。風邪も引くし、やる気で調子も左右するし、味の好みもある、好き嫌いもある。数ヶ月共に暮らし、刀剣達と過ごして実感する。適性があると審神者となり出会った彼等の過去を守りたいと、強く思うのだ。
「主殿……」
「……なぁ、山伏」
美しい赤は澄んで、星の様に瞬いた。どこまでも真っ直ぐな視線の先に在りたいと思ったのはいつだったか。そして傍らでいつまでも共に在りたいと。心地良い塗香が鼻腔に拡がり、触れた手は離れることはない。
「月が綺麗だな」
「今宵は……十五夜であるからな」
「きっと、お前と一緒に見るから綺麗だと思うんだろうな」
「……これはたまげた。花より団子かと」
「俺だけなのか? お前を好きなのは」
はぐらかすのが巧い山伏の肩を逃げない様抱える。今まで何度も告白のシミュレーションを掻い潜られ、結局なんの面白みも無いものになってしまった。
「主殿」
「俺はお前より早く死ぬだろう。若く未熟だから沢山心配も迷惑もかけるだろう。この戦いが終われば離れ離れとなるのかもしれないが、それでも俺は、お前と過ごしたい。太陽の様に笑うお前の傍らに居たい」
お前が傍にいないとどうにもしっくりこない。何度考えても答えは同じだった。付喪神とはいえ神を好きになるとは、人生色々あるがまるで神話か御伽噺だ。
「…………」
「拙僧は、果報者であるな」
柔らかく微笑んだ山伏が、頭を撫でてきた。幼子をあやす手が、慈母の様な笑みが、今この瞬間だけは己に向いている。
「主殿は若い。気の迷いだと、慕情を履き違えておるのだと」
失礼致したと礼をする山伏は、月光が霞む程の眩い艶笑を湛えていた。
「お主の目を見れば容易く分かる。言葉など要らぬ、どうしようもなくおぬしを好くのは拙僧の方だ」
何ということだろう。夢かどっきりかと頬を抓れば、温かい掌が頬を覆う。
「主殿、お慕い申している。許されるのならば、常しえに共に在りたい」
「山伏……本当か」
「何を驚かれておる。懸想する拙僧に気付かなんだか」
これはたまげたなと、美しく笑う近侍が顔を寄せた。上気した頬は熱く、熱の篭る視線に昂る気を、精一杯抑え込む。
「一つだけ、我儘を申すのであれば……その、主殿。拙僧、初めてであるからして、あまり無体は召されるな……?」
恥ずかしさに消え入りそうな声はしかしはっきりと聞こえ、答えられそうもないと勢いのまま抱き付いた。