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身長差


 刀としての感覚と、実際に人の身を得て己の本体を振るう感覚は異なる。世界を見、他者の声を聞き、意識と神経を認識し、そして触れる。様々な色彩を捉え、聴こえる音を、匂いを判別し、躰を動かす。全てがごく自然に行われ、己の意思で初めて戦場へ赴き刀身を操り敵を屠った日の事は鮮明に憶えている。煮え滾る肉体を奔る血の熱さ匂いすら感じられる気がした。
 地に立てた二本の脚で大地を踏みしめる、土の匂いを肺いっぱいに取り入れ、振りかぶったのは、嗚呼、振りかぶったのは己の半身では無く。
「俺は農具じゃあ無ェ!」
 ざっくりと小気味良い音を立て鍬が振るわれた。照り付ける太陽は遮られる事無く、汗が吹き出し揺らめく視界を歪ませる。畑当番。刀が、土弄り。自給自足をモットーに掲げる本丸では、米から野菜から、この広大な畑を耕し育てている。未来の技術だか何だか知らないが、作物は数日で結実し収穫を迎えられるので食物に困窮するには至らない訳だが。いかんせん、手合わせ以外の当番にはやる気が起きない。ぶつくさ文句を言いつつも、手拭いで傷痕の残る貌を拭いながら手を止めない同田貫は真面目で正直な性分であった。働かざるもの食うべからず。肌を焼く陽射しを恨みながら土を掘り起こしてゆく。
「精が出るな同田貫殿!」
 遠くで鳴く蝉の声に笑い声をかぶせ、向日葵が、否、向日葵を抱えた太陽の様に笑う山伏が近付いてきた。泥濘と乾燥した土の混じる不安定な地面を物ともせず歩き高下駄のまま傍らに立つ情人を見上げる。逆光で影になった見下ろす赤は涼しい色をして、流れる汗はあるものの水筒を差し伸べる貌は常と大差無い。
「御手杵殿は暫し休んでいる、おぬしも根を詰め過ぎることの無い様にな」
「ん、おう」
 口元に寄せられた梅干を口へ放る。甘酸っぱい味に唸れば、指についた梅の汁を舐めながら山伏は笑った。
「ここに来る前、見事な向日葵を見つけてな。水筒を届けに参ったついでだ、戻るまで拙僧が手伝おう」
「アイツサボる気じゃ無いだろうな……」
「カカカ! 近侍殿が許さぬであろうよ」
「ああ、にしても暑いな」
 影の落ちる山伏を見上げ、眼に入り込んだ汗を手で拭う。水分を摂った先から汗として出て行くため、朝持たされた水筒も空になっていた。
「こうも暑いと……流石にしんどいぜ……」
「……同田貫殿?」
 頬に触れる指先は熱を持ち、蜃気楼に霞みがかる貌が、頭が暗転してゆく。焦り呼び掛ける声に口を開けて、そこで同田貫の意識は途切れた。

 揺さぶりに暗闇に沈んだ思考をじんわりと浮上させ、最初に抜ける様な青空を捉えた。指で梳けば案外柔らかい髪と、土を踏む規則正しい音を感じる。背負われているとようやっと気づき、夕暮れに赤く染まる空の茜と同じ瞳が振り返る。多少上目のそれは明るみにあり珍しく、紡がれる穏やかな低音は背を通し響いていた。
「おぬしはその黒い成りであるからなぁ、熱の籠り易いのだ。大事ないか?」
「……下ろしてくれ、ガキじゃない」
 やっとの事でそう呟くと、大きく破顔した山伏の笑い声に合わせ背負われた躰も揺れた。大分前を歩いている御手杵にやっと気付くが、作業用の荷物全てを背負い沈んだ背中に多少はいい様だと思い無視を決め込んだ。
「熱に倒れた者に叱咤する程鬼じゃないのである」
「ガキ扱いすんな」
「拙僧の我儘よ……誠に、大事ないのか、正国殿」
 揺れが止み、一旦伏せた茜色が己を向く。物憂げな横顔が夕陽に照らされ赤味を帯び視界を覆う。再び揺れ始める躰の衝撃は抑えられ、足音はゆったりとしたものに変わる。鼻腔を擽る嗅ぎ慣れた情人の匂いがいつか共に見た夕陽と重なった。身長差の埋まった同じ位置で視線を交わし、同田貫は微かに笑みを浮かべた。
「妙に良い気分だぜ。お前と同じ世界を見てる、って考えりゃ、ガキになるのも悪かねぇな?」
 躰を密着させ、向日葵の横で顔を赤く染めた山伏の口へそれを合わせた。派手にすっ転んだ二人を慌てて走り寄ってきた御手杵が笑い、本丸までの短い追いかけっこの始まる事となる。

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