お し り
金色の眼を見開き次いで眉を顰め、たっぷり間を空けて、近侍が審神者を見る。
「ハァ? あんた馬鹿か」
思いっきり慇懃無礼に、馬鹿かと強調する打刀にデコピンしてやる。
「ってぇな! 何しやがる」
「だからさ、お前なら知ってるかなって」
文机に頬杖を着き、顔を突き合わせる。訝しげに顰められる金色の双眸が瞬いた。
「山伏のケツってさぁ、デカイってホントか?」
「! 声がデケェ! 聞こえんだろうが」
同田貫が焦り背後を振り返る。葦簀の向こう、中庭の隅に設えた畑で、愚図る御手杵を上手く乗せ畑当番をする山伏が小さく見えた。快活に笑う横顔を見、自然と下がる視線が腰に辿り着く直前、腕を強く引かれ殺気の籠められた金に睨まれた。
「お前なら知ってるかなって思ってさ。で、どうなんだ?」
わざとらしくたっぷりと息を吸い溜め息を吐くと、勿体ぶって口を開けた。
「確かに、あいつは普段腰回りが鉄壁だしあのもふもふが邪魔だろうと言ったら、山籠もりん時なんかは便利なんだと。もふもふが尻を押し上げて見えるが、まぁ、カタチはいいんじゃあねぇか」
カタチ、の時に動いた手は見なかった事にした。もふもふと言い切ったのは、あの引敷にも触れたという事だが、それも聞き流す。
「野郎の尻をまじまじ見る趣味はねぇが、まぁな、デケェんじゃねぇか」
至極真面目に、それこそ戦場で作戦を練る時と何ら変わらない近侍に、そうか、としか返事が返せない。
「なんであんた突然変な事聞くんだよ?」
「ん? あぁ、そうだった。これ、お前に見せようと思ってさ」
文机に音を立て置かれたのは、ビデオカメラだ。液晶画面付きで録画した映像を見る事が出来る奴。私物だが、たまに男士達に好きに撮らせているもので、景色を撮る者、仲間との日常を撮る者、誰かへ向けた己を撮る者とそれぞれの個性が現れている映像を見るのも楽しかったりする。
「山伏は何を撮ったと思う?」
「……山の景色とかじゃねぇの」
「最初は切国の背中、途中から堀川と、写しは映像に残るなんて相応しくないと逃げる切国を笑いながら追い掛けていた。最後は剥ぎ取った布が池に落ちて切国の怒った声で終わっていた」
「そうかよ。……で、俺に何の関係があんだ」
「映像には続きがあった。すぐ終わるが、山伏は何を言うでもなく、眠るお前の頭を撫でていた」
「……」
同田貫の眼は小さな画面に釘付けだった。マイクが寝息を、囁かれる名を拾い上げ、やがて暗転する。
「山伏に言ったんだ、己の大切なものを撮ってくれと」
「……そうか」
同田貫が視線を向ける先を見る。懸想し合う二人は本丸でも密かに有名で、審神者としてはまどろっこしくすれ違うこの不器用な二振りをさっさとくっつけてしまおうとしているのだが、いかんせん当人同士がくっつこうとしない。
「で、お前にこないだの誉のご褒美をやろうと思ってな」
「? なんの話だよ」
「遠征先で山伏が下駄を片方失くして、お前が抱えて帰還した後下駄を持って帰ってきた時のだよ」
あああれか、と何でもないようにいう鈍感たぬき。あの時はついに結ばれたかと諸手を挙げて祝おうかとしたのに、ただ足を挫いただけだと言って聞かなかった。
「……まぁ、これを見てくれ」
暗転の後、審神者の寝室らしき部屋が映し出される。洋布団の敷かれた寝台に腰掛け、山伏が周りを見回している。
『主殿の部屋は拙僧らのとは違うな』
『あぁ、布団だと持病の腰痛がね……』
『腰痛であるか! なれば主殿、拙僧と修行をしようぞ!』
『うんまた今度ね! さぁ山伏、飲み直しといこうじゃないか』
あまり酒に強くないと宴席を避ける山伏を、無理矢理誘って飲ませた時のものだ。珍しいと次郎に絡まれ、覚束ない足取りで廊下を歩いていたのを捕まえたので恐らく山伏自身覚えていないだろう。猪口に波々と注がれた酒を、とろりとした赤い目が見下ろす。
『主殿……これ、酒である』
『飲み直しと言っただろう?』
『うむ……?』
首を傾げる山伏の上気した頬が、潤んだ眼がズームされる。
『で、聞きたいことがあるんだけど』
『む、拙僧に任せられい! 問答であるな!』
『いやちょっと違うかな。同田貫の事についてなんだけどさ』
『どっ……』
本人だけが密かに懸想していると思っている相手の名を聞いた途端、分かりやすく動揺した山伏に大分酔っていると感じた。同田貫と違い、山伏は秘めた恋慕を普段おくびにも出さない。
『カ、カカカ! 同田貫殿が如何したと?』
『あいつの事どう思ってる?』
我ながら業を煮やしていたし酒も入っていたため直球だなと映像を見る。さしもの山伏にも、己の内に秘めた想いを暴かれたとあっては平常心とは程遠い表情を浮かべている。
『どっ……同田貫殿は見上げた武人である! かの御仁は小柄で童の様なかんばせをされておるが、己の刀としての誇りを持ち揺らがない強靭な精神を、強き心を宿している……戦場において凛々しく、太刀筋は雄々しい、拙僧も見習いたい、ものである』
必死に弁明するも語るに落ちて、最後は消え入りそうな小声は高感度マイクでなければ拾えない程だ。
『同田貫の事、よく見てるんだな』
『そっ……それは、』
晒した耳どころか、鍛えた肉体に比べ案外ほっそりとした首まで赤く染め上げる様を、舐め回す様にカメラが収める。
『あいつの筋肉も凄いもんな』
『へっ? お、おぉそうである! しかり、同田貫殿は刀は見た目では無いというが、純粋に強さを求め鍛錬する姿に拙僧も感銘致したのだ』
じりじりと近付き、ズームなしでも焦り身を引く山伏の赤い顔が近くなっていた。
『あいつのどこが好き?』
『!!?』
『筋肉の、だよ?』
可哀想な程に真っ赤な山伏が潤んだ眼を泳がせた。あまりの普段とのギャップに多少なりとも酒の回った頭で可愛いと思ったが、その事は無言で審神者の腕を掴んだまま画面を見る近侍には死んでも言うまいと誓った。
『そ、そうである、な、刀を振るう両腕も、見事な腹筋や背筋も、地を踏み締める両脚も、一等、というのは決められぬな。……普段は見えぬ臀部すらも拙僧のより引き締まって、先日片手で抱え上げられた時なぞ、』
『何、尻がデカいのかお前』
我ながら食い付く部分が謎だったが、酔っていたという事にしてほしい。腕を掴む強さが増していよいよ殺気が膨らんできた。映像が乱れ、ノイズ混じりに鼻息を拾うマイクに高感度過ぎるのも考え物だと思う。戯れにそういうビデオ風に録画したが、臨場感があり過ぎる。近侍の顔を見られない。
『あっ主殿?!』
『後ろを見せてくれ、山伏』
『よ、よせ!』
液晶画面ではスパーンと小気味良く襖が開け放たれる。鬼の形相をした審神者の初期刀が溢れ出る殺気を纏い佇んでいた。地の底から響く様な声が主人を呼ぶ。
『あんた……死にたい様だな』
『うげっ切国?!』
『兄弟……?』
『助けに来たぞ、兄弟』
『ま、待て! 誤解だ! これは』
『その眼、気に入らないな』
『アッー!』
暗転。映像は唐突に、半ば収集の着かない状態に現れた最終防衛打刀により終わっていた。執務室に何とも微妙な空気が流れる。呆れを通り越し憐憫の眼で審神者を見る同田貫が溜息を吐いた。
「……これが褒美か?」
「途中まではそのつもりだったんだ、煮え切らないお前達の為に俺が一肌脱ごうとな」
「……あんた躰張りすぎだろう、こん時ぁ一週間程籠ってただろう」
「あれは謹慎だ、医療は発達してるんだ」
暫く初期刀は兄弟共々半径1メートル以内に近付かせてくれなかったが。
「で、だ。いい加減気付けよ、たぬき。向こうも吝かじゃない、踏み込んでいいんだ」
至極真面目に告げる。人の心の機微に敏感な方では無いものの、両想いであるというのにくっつかない者達を見るのも中々に辛いのだ。まして早くから顕現しよく戦ってくれている、本丸を支える二人だからこそ尚更だ。
「なんの話だ、よ……」
「ご両人! そこであったか!」
渦中の太刀が持ち前の声量で呼ぶ。伝う汗を拭い、山伏がいつもの笑顔で此方を見下ろしていた。側に立つ御手杵は疲れた疲れたとぼやいている。
「山伏俺ここにいるから……」
「御手杵殿に一旦休憩をと言われたのだ、厨に茶を取ってくるが、お主らもいるか?」
「おう、そうだな、頼むよ」
「……おう」
相分かったと背を向けた山伏の、ジャージのポケットが膨らんでいて近侍と揃って眼が釘付けになった。吹き出さなかった自分に誉をやりたい。
「山伏?! そのポケットどうした?!」
「む? ああ、これは」
大事そうに取り出されたのは、橙色を帯びた果実が二つ。
「先程小夜殿に柿を頂いたのだ。見つかってしまっては仕方あるまい、皆で食べようぞ」
柔らかく笑みを浮かべる太刀の視線は、眩しそうに見上げる近侍と交わっていた。近々、初期刀に相談という名の舅になってもらう許可を得る必要があると、審神者は一人考え込んだ。