食らいつく
鉄臭い。最早嗅ぎ慣れた匂いに土のそれが混じる。戦場の匂い、死と隣り合わせの極限状態における神経の高まりに、垂れる生温い液体を舐めとる。敵の大太刀の、暗く窪んだ眼窩を見据える。嗤っている。いけ好かなかった。刃鳴りを繰り返す刀身を握り込み、深く息を吐く。躰のあちこちに斬傷がこさえられ、内を巡る血潮が地べたに筋を作っている。凸凹とひび割れた岩の間から礫が飛び、左肘を裂いた。
対峙する大太刀の他にもう一体、恐らくは脇差辺りか、姿は見せずとも殺気は隠す気も無いらしく、程近い岩肌の影を窺う。百足の脚の様な剥き出しの骨身が軋り鳴る音が聞こえる。嘲笑うかの如く耳障りな音に、奥歯を強く噛み締めた。
背後の気配へ意識を向ける。蹲ったまま、ずる、と躰を動かしている。槍の不意打ちを庇い両腕を損傷した山伏が、小さく男の名を呟いた。掠れ覇気の無い声に、振り向かず応える。
背に掛けられた静止の声が脳内に歪みながら響く。己の両腕はまだ使えた。部隊から逸れ、奇襲を受けたのは初めてであったが、夜戦では無い以上こちらにも勝機がある。だが相手とてそれは同じで、刀装が剥がれただけで対して損傷も無い大太刀は身軽に跳び、刃の欠けた鈍色を振り翳す。
「同田貫殿……!」
歪んだ己の顔が間近にある。本体へ写り込んだ顔は紅く血に塗れ、刺し違えた大太刀が重く背に伸し掛かる感覚だけが朧げに分かる。どんどんと躰が冷え、あれだけ高揚感に昂ぶる意識すら朦朧としてきていた。血を失いすぎた。耳鳴りと煩わしい心音に、軋む骨の音が被る。視線だけを向ければ、笑みを貼り付けた脇差が見下ろしていた。カタカタと骨を鳴らし嗤っている。罵声の一つでもあげてやろうと思ったが、肺から空気の抜ける音が響くだけだった。
あいつは上手く逃げられるだろうか。同じく血を失っているだろうが、恐らく大丈夫だろうと思った。勘でしかないが、逃げ果せてくれる。そう確信していた。姿を見るために首を動かそうにも、もう指先一つ動かせない。
「……させぬ!」
雄叫びは背後からだった。常に笑みを崩さず、快活に笑う男の憤怒の顔だった。脇差の首へ、山伏が喰らい付くのを他人事の様にただ見るしかなかった。笑えば見える白い犬歯が、深々と細い脇差に突き刺さっている。黒い液体とおぞましい叫び声が響き、脇差が飛び退った。そのまま山伏は、取り落とした同田貫の刀身を口に咥え、脇差へ組み付いた。地を這う断末魔の悲鳴がこだまし、伸し掛かる大太刀の屍体と共に、風に破片が飛散し灰になり消滅した。
肩で息をする山伏の表情は分からない。だらりと投げ出された両腕から覗く焔は、視界を染める血よりも鮮明に焼き付いていた。振り返り、帰ろうと口にした太刀の青碧の髪は、再び日が射した青空と同じだった。