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とける

 真っ直ぐと続く廊下の向こうに影を捉え、山伏は俄に立ち止まる。すわ踵を返しかけるが動揺を悟られたくなく、中途半端な姿勢のまま数歩歩き、そこで改めて気付いた振りをして手を挙げた。
「同田貫殿」
 遠征へと向かう自分達と違い、同田貫の所属されている第一部隊は池田屋への出陣を終え、先程帰還したばかりだと窺いながら多少汚れてはいても目立った負傷のない兄弟たちへ視線を動かした。
「兄弟、今から遠征?」
「応、後方支援というやつであるな!」
「油断はするなよ」
「然り!」
 堀川と山姥切も晴れやかな貌を浮かべている。練度を上げているところを見るに成果は上々であったか。粟田口の短刀らも山伏の部隊へ軽く声を掛け通り過ぎ、殿を歩く同田貫と再び視線が交わる。
「…………」
 不意に囁かれた言葉は山伏以外に届かない。「帰還したら俺の部屋に来い」とだけ告げられ、返答する間もなく足早に去った黒い背を振り返る。ここ暫く毎日こうだ。部隊が違うが、兄弟達とより多く時間を過ごしている気がする彼の打刀のことは、それだけの間共に居ても、何を考えているか理解出来ずにいた。
 亥の刻へと迫った夜半、主への報告を終えその足で彼の部屋へと向かう。兄弟へは帰還した旨だけを伝え着替えることもしていない。きし、と踏み出した床板が冷たく軋んだ。
「……同田貫殿、入るぞ」
 夕餉時とあり皆出払っているのだろう、離れに近いひっそりと沈みかえる目的の部屋の前で声を掛ける。音も無く襖が開くと中から腕が伸び、そのまま引きずり込まれるも山伏は抵抗しない。
「……これでも急いたのだが」
 汗や血に泥に塗れた身もそのままであったが、辛うじて外から入り込む明かりに照らされた男の顔は不機嫌そうである。か、と強く襖も閉じられてしまえば漆黒に程近い暗闇が広がるだけ、黒尽くめの部屋の主を視認する事すら難くなる。
 とふ、と軽い音を立て、敷かれた布団らしき柔らかい布へと身が沈んだ。暗闇に在りながら光を放つ黄金が煌き、鋭く輝きを二つ、ゆっくりと近付いてくる。
「……」
「……同田貫殿」
 覆い被さる同田貫の心音が躰を伝い響いてくる。きつく抱き締める男の呼吸に合わせ、拍動が重なってゆく。腫れ物に触れる様に頭を撫でられ、大人しく身を任せた。
 程なくして規則正しい呼吸に変わる同田貫の琥珀の双眸は閉ざされ、がっちりと固定されたまま身動きの出来ない山伏は人知れず溜め息を吐く。
 この様に奇妙な、逢瀬とも呼べぬものを繰り返す関係になったのはいつごろからであったろう。記憶の糸を辿り、一番古いものを手繰り寄せる――長期遠征から帰り、血と泥に塗れた躰を清めんと湯殿へ向かう途中。音もなく背後に付いた同田貫は他の者の寝静まった真夜中、山伏を自室へと引き摺り込んだ。太刀の目では朧月の様な淡い光が双つ己に注がれているとしか分からず、突然襲われ動揺しもがくも振り解くことは敵わない。
「ッ賊か――この本丸の者か? 一体何を……」
 万が一にも、審神者を狙う輩ならば刺し違えてでも引き止めねばならない。しかし気配自体は付喪神の、己と同じ根幹を宿す者と分かり、危害を加える気もないと幾分思考も回復した山伏は抵抗を解く。いくらか言葉をかけようと応えはなく、爛々と輝く黄金の瞳に、やっとある一振りが脳裏に浮かんだ。
「――同田貫殿、か……?」
「……」
 山伏の動きを封じる以外、同田貫はその晩何もしなかった。その日を境に、毎日の様に同田貫は山伏に声をかけてくる。今までは数度言葉を交わしただけの、部隊も違う己の何が突然と訝しむ山伏に、返答は帰っては来なかった。灯りの消えた室内に呼ばれ、入ればいつぞやの晩の様に布団へ引き倒され、山伏が身を強張らせ声をかけても無言のまま、ただ抱き締められては眠るという奇妙な関係が、今でも続いている。何をされるでもなく、いつしか抵抗することもなくなった腕の中の男を見下ろし、同田貫は満足げに頷く。
 懇ろの仲というにはあまりにも健全で、あまりにも意図の酌めない相手。山伏は同田貫の行動の意味も、目的も、心も理解が出来ない。ただ向こうの誘いが何ゆえのことなのか、どうして自分なのか、真意を知りたいと足を運び続けた。
 とある十三夜月の晩、いつしか日常となった部屋までの道すがら、山伏は濃く伸びる足元を見下ろす。大きく丸い月灯りに満月が近づいたと独り言ちる。鈴虫の合唱を背に、いつもの様に明かりのない室内へ呼びかける。
「同田貫殿――」
 滑る様に障子戸が開き、座り込みこちらを見上げる同田貫が見えた。夜目の利かずとも影がぼんやりとだが分かり、腕を引かれ布団へ腰を下ろすと、常と違うと首を傾げた。
「同田貫殿……? 如何した」
 いつもならもう布団に転がされている筈だ。同田貫は静かに山伏の肩を抱くとすう、と息を大きく吸い込み、笑い声を上げた。山伏は再び狼狽える。声が上がることも笑うことも、ついぞ無かったというのに。今日のこの男はどこか変だ、と思い始めた時、まるでいつもそうしているかの様に、同田貫が名を呼ぶ。
「山伏」
「……!」
 今度こそ取り乱し目を泳がせた山伏は、いつの間にか布団へ押し倒されていることに気付くも同田貫から眼を離そうとしない。
「やっとだ」
「……な、なにがだ」
 喜色に弾む声色は、歪みながら笑みを作る貌は酷く奇妙で。名を呼ばれたことも、笑う顔を見たのも、今まで一度たりとて無かったというのに。
「やっと、俺の“匂い”になったな」
 意味を理解できず、顔を近付けすんすんと嗅ぐ同田貫を見上げまるで犬だとぼうっと考えていた。匂い。この刀の匂いを、己が纏わせていると。それも当然だろう、毎晩何ヶ月も共寝すれば、残り香として付くであろうことは想像に容易い。ということは、もしや自分の匂いを付けようと、最初から。
「何故……」
「?」
「何故拙僧に――同田貫殿の香を」
 分からない。解らない。強く降り注ぐ月光が影を色濃く、より深く見せている。眼前の黒の中で、金の双眸は真っ直ぐと自分を捕らえている。絶対に喰らい付いて放さないとでも言う様に、どんどんと輝きを増していた。
「俺は――アンタといつか、ひとつになりてぇんだ」
 嗚呼。分からない。赤い舌が咄嗟に閉じた眼を、飴玉を転がす様に舐める。
「ッ……よせ」
「いつか アンタと……ひとつになって融けてしまえたら」
 だからまずは匂いから。湯で洗い流せないくらいになったら、次は――喜悦に頬を赤らめ、饒舌に語る同田貫の目的をようやっと理解し、山伏は体を凍り付かせた。理解したくなかった、いっそ解らぬまま終われていたのなら。
「山伏……」
「嗚呼、っ……――!」
 山伏は抗えぬまま、闇に浮かぶ琥珀色をただ見つめていた。

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