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一応たぬ+ぶし

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Ignis

「全くどいつもこいつも喚き散らしおって、煩くて敵わぬな」
 煩わしそうに嘆息し、紫煙を燻らせる相貌には普段の快活な笑みの欠片も無く。
「とんだ生臭坊主もいたもんだな」
「生臭で結構。見えぬ者には気楽であろうな」
 じっとりと湿った視線が同田貫へと刺さる。それと拙僧は坊主ではないぞ、と律儀に訂正するのは山伏が太刀を本性とする男。しっしっと咥えたままの煙草の煙ごと払う動作をし、何もない筈の空間を睨み付ける。所謂霊感の高い刀剣にあたる青江や、神事を得意とする太郎太刀や石切丸同様に、この修験者もまた精霊や霊魂の類が“視える”者の一振りだった。同じ僧仲間と言って良い江雪や岩融、数珠丸らはこの本丸において僧とは名ばかりの破戒僧ばかり。仲の良いのは置いておくとして、一体どうしてこうなったと言わんばかりに、肉は食うわ酒は飲むわ煙草は吸うわ、時折目を盗んでは花まで買っている様子。審神者もほとほと手を焼いている。
 二人分の視線を感じたのか空気が動き、景色が揺れる。一定の距離から近付くことは無いが、確かにそれは居た。薄ぼんやりとした影だったり、黒く大きな影であったり、元は人であれ獣であれ、魂は普遍らしい。空気の淀む縁側の下や、水周りや日陰といった影に佇み、こちらをじいと覗き込んでいる。昼間は大人しいとは言え必ずしも無害であるとはとても言えず、悪意を持つものも中には居り、良くない気をもたらす存在である。
「あいつらどっから沸いてくんだろうな」
「霊気に惹かれて来るのであろう。全く、主殿も結界を強固にすれば良かろうに」
 手合わせで流れた汗も引く、黄昏を目前にした夕暮れ時。同田貫は見慣れた紫煙を頼りに山伏の傍らに座して開口一番、愚痴をぶつけられる。同田貫もはっきりとは見えないといっても、培われた野性の勘でそれが良いものかそれ以外か、どこにいて、どの程度の力を持つか程度なら分かるのだった。審神者の張る本丸を覆う結界と穴を補う神刀連中の結界、決して狭くも無い本丸の、そこそこ増えてきた刀剣らを纏め上げ維持する霊力が最も優先され、錬度の最高へと達した数振りを始めとした居残り組が内番ついでに見回りを行う形で、入り込んでくる怪異への抑止力としている。
「ひっでぇ面だなァ」
「煩い」
 しかめ面のまま、貧乏臭く湿気モクをちまちま吸う山伏が、くあ、と欠伸する。この幻滅させっぷり、これで己の弟の前では良き兄然と振舞ういじらしさが、同田貫は心底可笑しかった。可愛い弟たちは池田屋で暴れまわっている頃だ。隠れて夜戦に付いていこうと歌仙の外套に隠れようして速攻ばれたときの顔といったら、写真に、否いっそのこと映像に収めておくんだったと後悔するほどだ。
「なんつったっけ、ほら、しゅじょーさいどだ、導いてやんだろうが」
「拙僧死した霊魂は管轄外である」
「面倒臭ぇ奴だなぁ……」
 大分短くなった撚れた煙草をぷっと地面へ吐き出し、短く息を吐けば吸殻がチリ、と音を立て燃えた。腕を組む男の揺らめく迦楼羅は錯覚か否か。薄闇に昇りかける月を陰りが覆うと、影の色が増してゆく。呻く様な声が漏れ聞こえ、生温い風が紫陽花の葉を揺らした。
「主殿の蚊取り線香で忌避にならぬであろうか……」
「いつまでも愚図ってねぇで、……そうだ、こないだ言ってた旨い水煙草の店、今度連れてってやるからよ」
「誠であるか!」
 山伏は現金にも顔を輝かせ、審神者に向かって物欲を捨てろだとか高尚なことを言う口をにやけさせながら、すっくと立ち上がると瞬時に戦場の空気を纏わせてしまう。忙しない奴だ、己も戦場とそれ以外では似たようなものだが、成る程こりゃ滑稽だな、とこっそり笑む。
――空気が張り詰め、圧せられる感覚。赤々と燃え上がる瞳を爛々と輝かせ、纏う気が蜃気楼の様に揺蕩いつつ立ち上ってゆく。背負う焔は今度こそ幻等ではなく。
「お前のソレで除霊すんだろう?」
「……無論。救いを求めるものには救済を、悪しきものどもには業火をもって、これを済度とす。それが拙僧の拙僧たる所以よ」
 にやり、と瞳を眇めほくそ笑む。宝冠に隠された清廉な青は彼の明王が如く、苛烈な激情のままに灼き尽くし、歩む道を黒く染めながら。
「付き合うぜ」
「あまり近寄ると燃え移るぞ」
「上等!」
 紅蓮は導となり、灯火は道を遍く照らす。迷うものへ切っ先を向けながら、その太刀は斯く嗤った。

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