※2017年ぶし受けwebアンソロ寄稿文再掲
――――――
泥中の蓮
彼は、麗しき蝶のようだとおもう。儚くも気高き蝶――そしてその蝶には、同じように美しい花が相応しい。
そう告げられたかんばせが翳るのを、ただ見上げることしかできなかった。
涼やかな目元、美しく整った相貌。彼の周りを流れる空気すら清浄に感じられる。
「如何しました」
薄く色付く唇が開き、紡がれる落ち着いた低音は柔らかく鼓膜を揺らし、伸ばされた細い指先がそっと手に触れる。その所作ひとつひとつが優雅で、何でもないと緩く首を振ると、微笑を寄越した彼は再び手元へ視線を落とす。
いつであったか戦場で言葉を交わして以来、この薄幸そうな華奢な青年と共に過ごす時間が増えた。天下五剣に驕らぬ数珠丸恒次が太刀であれば、たとえ身の線こそ細くとも、彼の芯はしっかりと根差し揺るがぬと知ったのは、山伏国広にとって、顕現を経て四季を巡る中のささやかな驚きの一つであった。
雪見障子越しに、小鳥の囀りと遠くで微かな話し声が耳へ届くも、仄燈りの室内で音を発するのは火鉢から散る火花程度。透明な寧静による居心地の良さに緩み始めた思考を、のどかな昼下がりの眠気とともに払いながら。
本日の任は戦術の分析を、これまでのものと先人らの書物とを洗い出す地道な作業。修業の末更なる極へと至った者を中心に、江戸へ赴く前線部隊の負担を軽減するためにと、暇を持て余しがちな練度上限の自分達から進言したという訳だ。出来ることを出来る者がとはこの本丸を興して以来のモットーとして、開墾を重ねた広陵な畑は審神者のちょっとした自慢らしい。主自らが鍬を振るう風変わりな本丸だが、男士に混じって泥にまみれながら笑う青年は慕われている。直に大根とほうれん草が収穫を迎えると朝餉の席で言っていた。
「…………」
時折有用な記述を拾い書き起こす彼のしなやかな指先には、刀ではなく配当された紺軸の万年筆が添えられている。山伏もともに作業を進めながら、傍らの存在に安心感のようなものを覚えていた。一人ずつ部屋を充てられる本丸において、他者の気配が食事時やら内番時以外感じられるというのは、そうあるものではない。
設えられた火鉢の立てる音と光、蝋燭の揺れる炎は、景色を揺らしては冬の静寂にひっそりと命の気配を息づかせている。温もりは心に広がりながら、湯気と共に立ち上ってゆく。ふ、と息を吐き、数珠丸が筆を置いた。
「そろそろ終いにしましょうか」
「もうそんな時間か」
長いこと集中していたのか窓から見える景色は思いの外薄暗く、冬の長い夜が間近に迫っていると告げていた。二人で行う作業は捗り、当初の予定以上に積み上げられた書物を見上げる。
「カカカ、大分進んだな」
「そうですね。残りは半分程になりましょうか」
「何、すぐにでも終わろうよ」
正座を崩し勢いのまま立ち上がると、山伏は積まれた書の塊を軽々と抱え上げた。鍛えられた体幹はびくともしない。
「まだ夕餉まで時間があるな。どれ、蔵へ行くついでに、茶の一杯でも持って参ろう」
「ありがとうございます。お願いします」
数珠丸は頷くと先回りし、両手の塞がった山伏の代わりに襖へ手を掛けた。戸が開かれた瞬間冷気が入り込み首を竦めた死角から、徐ろに腕が伸ばされる。
「ん……?」
「山伏殿」
風に乗り鼻を掠めるのは、数珠丸の付ける塗香だ。長い指がしなり頬を滑っては、山伏の形の良い耳朶を擽り撫で付けてゆく。そのまま普段詰襟に隠れるうなじへ辿られてしまえば、背筋をぞわりと駆け抜ける「何か」に身震いをした。
「ん、っ」
「山伏殿。今宵戌の刻」
「っ」
「離れへ。伺います」
触れられていない方の耳元へ囁く声色は隠し切れない熱を孕み浮ついて、却って指先の冷たさが奇妙でならない。それとも、熱を持つのは未熟な己自身か。名残惜しむ手が腰を撫で上げる。ただそれだけ、それだけで灯された卑しい焔は、いつまでも消えることなく燻った。
開放されなお薫りは強く甘く、鳴り止まない鼓動は早鐘を打つ。これは「誘い」だ。己と同じ香を纏わせたいと、驚くほど真剣に彼が告げた晩を厭でも思い出してしまう。
「……う、む」
気恥ずかしさに、山伏は逃げるように部屋を出ると、よろめきながら歩き出す。火照った顔にも木枯らしは容赦なく吹きつけ、数歩進んではたと立ち止まると、蔵と逆方向へ歩き出していたと踵を返した。
彼にかかれば、いとも容易く心乱される己が情けない。触れられた箇所から、波紋の如く全身へ熱が浸透する錯覚すら起こした。冷たい彼の指先に、まるで火傷させられたように、不可思議な熱に身を灼く。
「……っ」
白む吐息はすぐに冷気に浚われ色を消す。視界に人影はなく、赤らむ顔を見られる心配もないと知りながら早足で駆け抜けたい気分だった。一つは恥ずかしさで、もう一つは。
「今宵……か」
もとめられることは、嬉しい。
季節を問わずひやりと凍える彼の指先が熱を持つと知ったのは、一体いつであったのか。
「く、ぅ……ん、ぁ……ッ」
人払いを済ませた離れ座敷は、元々物置と化していたこともあり、今では数珠丸との房事で使用されることが多かった。一つだけ敷かれた布団の上で四つん這いにさせられ、湯浴みの際慣らした後孔へと、彼が後ろから覆い被さりながら穿つ。
「分かりますか、私の指へ吸い付いてきます」
「ひィッ……わ、っらな……」
よく解された菊門は厭らしく水音を上げ、勝手知ったる指先は弱点をしきりに責め立てる。執拗に陰道を愛撫しては、与えられる快楽に跳ねる腰を押さえ込んで、彼が深く陶酔するように囁いた。
「誘うように喰い付いて離れません」
甘い香は彼のだろうか。それとも塗り付けられた沈香のものか、熱に浮かされた頭では正常に判断のつかぬまま、敷布をぎゅうと掴み熱を逃がすため息を吐き出す。
「美味しそうに呑み込んで、ひくひくしてますよ」
「ひっん、ぁう……!」
身を捩るが固定された腰は動かせずに、粘液で溢れた内壁でバラバラに指を動かされ肩が震えた。そのまま絶頂へ達し、詰めていた息を吐き出しながら躰を弛緩させる。既に数回吐精させられた陰茎からは薄い白濁が滴るが、後孔は彼の指を咥えたまま萎える素振りもなく、自身とを同時に愛撫する動きは止まない。
「も、っ……数珠っ丸、どの……」
「もっとですか」
「違あっぁ! やぁっそこ、ぉっ……!」
先程まで散々弄られた乳首を摘まれる。衝撃に跳ねた腰を抑え込まれ、赤く濡れ光る粒を爪弾かれれば、全身が痺れるような感覚が広がってゆく。
「ちがぅうっ……も、もぅっ、やぁ……」
服も脱がされ汗に塗れる己とは反対に、数珠丸は寝衣を纏ったまま息一つ乱していない。振り仰いだ顔は涼しげで、吐息だけが熱を持つ矛盾は奇妙だった。匂い立つ薫りが一層強さを増し、甘く思考を融かしてゆく。
「……どうしてほしいのか、言ってご覧なさい」
「うぅ……ぃ、っれ……っれて、くれっえ……」
殆ど無意識的に腰を揺すり、視線だけで縋る。辛うじて残る理性ごと、彼の熱に浚ってほしかった。真綿で締められるように、狂おしい愉悦は断続的に襲ってくる。
いっそおかしくなるほどに、意識を飛ばすほどの快感を。
「……分かりました」
声を抑え頷いた彼は素早く指を引き抜くと、寝衣を寛げた。露になった屹立は彼の腕くらいあろうか、余りに狂暴な見た目は異様で、繊細な指に扱かれ脈打つ光景から目を背ける。
「ぁっ……」
「山伏殿――」
而して、待ち望んだ質量にゆっくりと楔を穿たれ、山伏は身を震わせ悦んだ。
「ッぅあぁ……!」
己の何もかもが彼を悦ばせるため存在している、そんな錯覚が、充足感とともに胸中から脳天へ――爪先から再び胸へ集束しそして、魂までもを強烈に揺さぶってゆく。
菊蕾は皺のひとつまで広げられ咥えて離さず、肉襞は摩擦され丹念に舐っては、奥路を侵す太い竿を愛撫した。暴力的な蹂躙を受け容れ慣れた躰はすぐに順応し、快感を拾い始めている。限界まで埋め込まれうねる密道の袋小路をごつ、と叩かれ鈍く電流が疾った。
「あァッ! ぁあっあっ……!」
「熱くて……溶けてしまいそうです……っ」
彼の形を覚え込まされた内壁が、彼自身と擦れ歓喜の泪を垂らした。深く咬合しぶつかる肌は汗ばんで上気し、恍惚とした吐息は震えて熱く、彼も余裕がないと知る。
「じゅずっ、殿ぉ……っ!」
腕を取られ引かれる反動で背がしなった。引き抜く際から最奥へ突き刺し強く抉っては、削り取ろうとするような陽物の動きに堪えられず、山伏は続けざまに絶頂した。押し出された粘液は白濁と混ざり敷布を汚す。
「ぉっ……ぅあっ、いっ……んああっ、あっ!」
獣欲のまま、本能のままに与えられ続ける刺激に、忘我の状態で甘い喘ぎ声が溢れた。引き攣れた淫猥な声は自分が発していると思えず、ぐずぐずの菊座を掻き混ぜられるように、思考も何もかもが綯い交ぜになって融ける錯覚に溺れた。
「――拙僧だけが快いのは厭だ」
極彩色の享楽に耽る。気持ちはそのままどうして口を吐いたらしく、ぼんやりとした浮遊感に、温かな低音がどこからか響いては鼓膜を擽った。
「そんなこと……私はこんなにも――」
「――っふあっ?」
前後不覚の状態から一転、唐突に意識も景色も鮮明化する。途端に臨界を疾うに超えていた絶頂感が一気に訪れ、びりびりと電流のように走り抜けた。
「あぁっ! ぅああ! やっァアああぁ!」
「ッ山伏殿……!」
己の意志と関係なく躰が激しく痙攣し、頭が真っ白になる。反対に視界が黒く染まり、意識が遠退くのを感じた。
「ぁ、ぁあ……――」
霧散せんという意識の中聞こえた声はどこか朧気で、はっきりしない現実と夢の狭間で、いつまでも歪に響いていた――。
「嗚呼……私の――マ……」
翌朝、というには冬の太陽は大分高く昇ってしまっており、山伏は鈍く痛む腰を擦りながら嘆息した。数珠丸の姿はなく、清められた躰に昨夜の睦事の名残は疼痛だけで、それを残念だと思ってしまう自分がいる。
「……修行不足だ」
呟きは情けなく掠れ、水差しから乾き切った喉を潤すと再び溜め息を吐いた。彼との目交いに耽溺し、あまつさえ思い出しただけで肉慾を募らせるなど。
これでは如何と、山伏は立ち上がった。禊の後その足で審神者へ嘆願し、数日間の山篭り許可を得、身一つで修行へと赴いた。
「――……」
数刻もしないうちに、短い秋のままの時空へ――黄赤で彩られた山の中腹へ至る。紅落を踏み締めて、一時の陽だまりに身を寄せる鹿や、冬籠りへ向けて忙しない栗鼠や野兎を眺め和んだりした。巡る四季に寄り添い、生命の息吹と流転とを肌や匂いの五感いっぱいで感じる。自然と一体になるように、流れる風へ身を委ねれば、己を見つめ直せ淫らな煩悩も治められることだろう。
結跏趺坐の姿勢を取り、岩肌に飛沫を浴びせる滝の轟音を聞きながら瞑想を行う。清廉な空気は澄み切って、内から浄化されるような心地すらした。
朝霧に湿った土の匂い、降り注ぐ燦々たる太陽の温かさ、遠くで清流を尾で叩く小魚の鱗が反射し――次第に心が、精神が穏やかな凪へ、優しい闇へ沈んでゆく。深層での思考へ耽り、俗世の煩わしさや悩みや、葛藤を削ぎ落とされた剥き出しの己は、なんとちっぽけだと思い知る。
瞑想の深みは恐ろしくもあり、鏡面に浮かぶ己の愚かさと向き合う魂がざわついては、やがて静寂へ。無心のまま、流されるまま。ふと、耳元へ誰かが囁いた。
「――」
嗚呼。安寧の凪が、瞬く間に掻き乱されてゆく。心のあわいへ差し込まれた「彼」は、灼けるように熱い。熱い。
「……っ!」
爆ぜる。無限に広がる宇宙の片隅で、一つの星が爆ぜたように。小さな衝撃に、全身が容易く焦熱を昂らせてゆく。――狂おしいほどの絶頂はとめどなく、繰り返し襲った。
「……ぁ……っ、ぁ」
指先一つ動かせず、何もかも曝け出したままに、爆ぜるごとに熱は積み重ねられてゆく。躰を駆け巡る血潮とともに、甘やかな劣情に塗れ、世界が白く染まった。彼が、愛おしい彼が微笑んで――限りなく澄んだ慕情ごと、淡い桃色に染まってそして。
「っ……!……っ、っ」
酷く永く感じた絶頂感は、山伏が頽れると同時に終わりを迎える。勝手に痙攣する躰中からどっと汗が溢れ、反して自身はあれほど達した感覚があったのに勃起すらしていないようだった。疲弊した躰では起き上がることすら困難で、山伏は独り蹲って喘いだ。やっと立ち上がる頃には、太陽は今やすっかり西へ傾いてしまっていた。
「数珠丸殿……」
無意識とは斯くも恐ろしいものか。呟いた情人の名は燻る響きをもって、黄昏の空へ吸い込まれていった。
ぱちぱちと火花を踊らせる焚き火をぼんやりと眺める。情けないことに、瞑想にも集中出来ず、水垢離も滝行も、雑念を――彼との交接を思い出してしまい早三日、満足に修行も出来ていない。
「……」
刻限は今日の日暮れまでだったかと、呆れた様子の審神者を思い浮かべる。兄弟らは怒るだろうな、暫く当番はないはずだから、きのこでも採って詫びとしようか。なんだかんだ上手くやっていることだろう同胞らへ、心中でそっと謝った。
そして山伏は更に四日、一人山で修行に勤しんだ。滝の勢いが無理矢理流したのか、冷えた肌は彼の人の名残は薄れ、邪な色も治まっている。今や精神は押し並べて静謐に凪いでおり、気分は晴れやかであった。
「――……よし」
最初こそどうなることかと思ったが、此度の修行もとても有意義なものとなったと頷き、厳かなる山へ礼をすると里へ下る。
雄大な自然は大らかに、時に厳しく受け容れてくれる。何人も拒まず力強く抱擁してくれる。頭巾の端や袖を、風や枝葉が柔く引き止めて、麓近くに泉やきのこを見つけ、改めて御山へ頭を下げた。じきに雪で閉ざされるだろう銀の景色を思い浮かべながら、そっと根を落葉で囲ってやる。
「戻ろう……還るべき場所へ」
そして山伏国広は、本来の時間へ、冬の本丸へと帰陣した。
踏み固める雪の感触は実に一週間ぶりかと、キンと凍える空気を肺いっぱいに吸い込む。深呼吸するごとに思考は冴え冴えと晴れ渡り、爽やかな朝日が差し込む庭を進んだ。
「――兄弟!」
丁度洗濯を終えたらしい堀川と山姥切の兄弟が、籠を抱えたまま駆け寄ってくる。大所帯の本丸では日に数度洗濯が行われるが、今朝一番の当番だったらしい二人はそれぞれ呆れと顰めっ面を浮かべていた。
「まったくもう、二、三日だって話だったのに」
「……遅いぞ」
「カカカ! すまぬな兄弟、今戻った」
どの時代、どこへ赴こうと、この異次元に於いては同じ時間だけ経過するのだという。そのせいで以前は修行を望んでも断られてしまったが、数日のみの「ぷち修行」なら偶に許されることもあるのだ。こちらとしては数ヶ月じっくり行いたいものだが、そうも言っていられまい。我らは戦場へ身を置く立場だ。
「……兄弟、おかえりなさい」
「おかえり」
「――ああ、ただいま」
禊を行う中で、剣の稽古も一日たりとて怠ることはなかった。太刀筋は鋭く、切っ先は揺るがない。守るべきもののため、信条は変わらず胸に在る。綻ぶ笑顔へ、山伏もまた笑みを返した。
審神者は連絡くらいしてくれとぶすくれる。しかしそれも一瞬で、すぐに人好きのする懐こい笑い顔へ戻った青年は、今日位はゆっくり休めるよう取り計らってくれた。冗談めかして「明日からみっちり働いてもらうからな」と言われ、大仰に驚けば同時に噴き出し笑い合う。
主の部屋を後に、修行の疲れも取れる湯殿で寛ぐと、変わらない本丸の濡れ縁から中庭を眺める。ふと遠くから――芳しい甘い香りが鼻腔へ入り込んできた。
「……!」
廊下の向こうを、彼が歩んでいる。こちらに気付いた様子はなく、長く艶やかな髪を靡かせてどこか部屋へ入っていった。だが、彼の塗香は纒わり付いたまま消えずに漂っている。冴え渡る五感の全てが、彼を思い出してしまった。――嗚呼、これでは意味が無い。
静謐な長髪が、欲にまみれ褥へ広がる様を。
繊細な指先が、白磁の肌がほとぼりを帯びる様を。
深みのある低い声が、熱を孕み囁く様を。
躰の中心を穿つ質量が――ぬめる密道を蹂躙し塗り付けながら進む様を。
馥郁とくゆらせる彼の香が、まるで、甘い毒のように蝕んでゆく――秘められるべき夜を、容易く思い出させる。逃れられない、抗えない、なんと馨しく恐ろしい毒だろうか。
「ッ……」
頬がカッと上気するのを、芯に焔を灯され火照り始めるのを、研ぎ澄ませた感覚すべてにまざまざと実感させられ山伏は独り躰を震わせた。
その日一日、山伏は苦悶のまま、燻る躰を恥じるように稽古に打ち込んで過ごした。彼の姿は朝一度見かけたきりで、夕餉を知らせる鐘が響く赤い空を見上げながら、熱い息を吐き出す。今更ながら、出立前に一言もなかったことに彼は怒っていやしないだろうかと不安になった。己の未熟ゆえに距離を置くような形になってしまったが、いま会えばみっともなく縋ってしまう。彼を求めてしまう。無様な自分を見せるのが怖くて、見放され棄てられるのが怖くて、広間へは向かわず自室へ足が向いていた。
「……?」
違和感を覚えた刹那、胸元が苦しいほど熱くなる。甘い香だ。己の部屋は「彼」の匂いで満ちていた。障子戸を勢いに任せ開け放ち、裸足のまま庭へ駆け出した。脳裏にこびり付いたように匂いが追ってくる。離れない。離れがたい。逢いたい。あいたい。
「――数珠丸、どの」
気付けば離れ座敷の前に立ち竦んでいた。底冷えのする夜風が、絹のように流れる藍色の髪を揺らした。
彼は一人、暗い部屋の中横たわっている。限りなく無音に近い冬の夜に、煌めく星の光の瞬きが聴こえる気がした。
夜空を溶かした藍色を梳く。根雪の下に眠るように、人知れず死んでしまったように見えて酷く焦燥したと告げたら、彼は笑うだろうか。寝ているのか、規則正しい呼吸に安堵する。畳とはいえ固かろうとそっと頭を抱え、膝へ乗せた。温もりは確かで、僅かに朱が差す頬は透き通って暖かい。
焦がれるあまりに遠ざけた己が心底愚かしい。彼は何も変わらずここに在るし、憧憬は今も募っては、溢れんばかりに心を満たしているのに。
鎖された瞼へと、唇で触れる。
「お慕い申し上げる、数珠丸恒次――」
いつかと同じ台詞が転び出た。時はゆっくりと流れ、心音はしっかりと二人分刻まれる。ふいに景色がぐるりと回転し、背中に畳の感触と、頬をくすぐるさざれの髪と、手首へ触れる唇の温かさを感じた。吐息は恍惚と熱く、澱みなく囁かれる低音は染み込んでは広がってゆく。
「嗚呼、私のパドマ……狂おしい程に愛しき花よ」
闇夜に煌めく蝶のような人だと思う。見惚れる相貌は脆く果敢なく――どうしようもなく美しい。
性急な愛撫を受けながら、呆けた頭で彼を見上げる。高められた躰はどこもかしこも熱を持ち、言葉数少なく暴く彼を受け容れては、しとどに濡れそぼって誘った。日を空けた筈の菊座は熟れ切って、彼の魔羅を咥え込んで離さない。
「ぁ……ぁ、ん」
出来うる限り、彼を悦ばせたいと呼吸に意識を傾け絶頂を抑え込んだ。功を奏したか昂る心地はそのままに、大した疲労感もなく一度も達していない。ただそれは彼も同じで、時折婀娜めいて息吐く様が辛そうでもあり、山伏も控えめに縋り付いて腰を揺らした。埋め込まれた怒張は灼けた鉄のように滾って、内壁を擦り嬲った。
「……何か憚りでも?」
整った細い眉を顰め、彼が囁く。引き攣る下腹を撫でられ、同時に奥を穿たれ卑しい声が漏れてしまう。
「ぉ、っ……ん、んっ」
「障りがあれば、終わらせますが――」
辛いだろうに、気遣ってくれる彼が酷く憐れで愛おしい。返事の代わりに胎内を締め付け、甘く啼いては強請った。
「じゅず、っる、ぉの……」
甘ったるい声だ。それでも彼が悦ぶのなら、なんだってしようと思えた。耐え切ろうと思った。焼き切れた理性を、情欲に流されそうになるぎりぎりで繋ぎ止める。
「乱れる貴方は美しい。もっと私を求めてください……淫らに誘ってみせてください」
熱に浮かされたような彼の声がこだました。次第にじんわりと背中から全身へ、「何か」が広がってゆく。蕩けた思考は浮遊感とともに、景色はぼやけ彼以外が朧気に霞んで、爪先から甘い痺れが感覚を支配していった。
「ぁ……ぁっ、ぁ」
限界であろうことは理解するも、抑え込んでいたままの絶頂はいつまでも訪れない。このままずっと、多幸感と彼だけを感じていたい。
「――山伏殿……ッ」
「っじゅず、ま……――っぁ、っ?」
こわい。脳裏に浮かんだ恐怖は快感へ塗り替えられた。駄目だ。もっと。こわい。戻れなくなる。厭だ。もっと――嗚呼。世界が震えた。
「ぁあ、あ、ああ……ッ!」
山伏の腰が抱えられ浮いた。ガクガクと震える躰を押さえ付けられ、最奥とばかり思っていた更に先を侵される。己でも知らない場所だーー知らない場所、だった。今まで感じたことのないほどの。
「――ッ!」
堰を切ったように、堪え切れない愉楽が雪崩ては襲う。凄まじい絶頂感に打ち拉がれ、山伏は泣き叫んだ。もはや抗えない官能の波に浚われて、何もかも快感へ置き換わってゆく。
「ひぁ、ンあっ! おぅンッ、ンオッ……えあぁ、ッいぁあぁ!」
桃色にちらつく視界の向こうに、愛しい男の相貌を捉えた。
「山伏殿……!」
「んはぁ、あっぁん、んあんっぁあぁ――……」
腹の底へマグマが叩き付けるように注がれる。そのまま、山伏は悦びに抱かれながら緩やかに意識を飛ばした。
「……」
目玉が裏返り、唐突に景色が開けた。覚醒しすぐ視界が、次いで他の感覚が正常に認識される。時間にして数秒足らずだったろうか、見上げる彼は顔を上気させ大きく息を吐いていた。
「っま、どの……」
胎内を満たす昂りはまだ足りないようだった。細く長い指が髪を梳き、心地よさに眼を閉じる。緩やかに再開された律動に合わせ、腰を揺すった。深まった宵は、明けるにはまだ早い。
溺れるほどに求め、求められて、ともに堕ちてもいいとすら思う。愚かしき紅蓮の花は、焦がれた青い蝶の甘い毒で、ゆっくりと紫へ傾いてゆくのだろう。
我が胡蝶よ。ひとときでも構わない、あなたの糧となれるなら。