※2017年ぶし受けwebアンソロ寄稿文再掲
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自明の理
この世に偶然なんて無くて、全ては必然だとか話していたのは、一体誰であっただろうか。
審神者と呼ばれる人間から肉体を与えられ暫く経つと、人の身の不便さも不満も出てくるものだ。
秋晴れのする晴天そのものだった空が突拍子もなく黒雲へ変化し、凌ぐ間もなく豪雨を浴び全身ずぶ濡れとなった同田貫正国は、苛立ちを隠さず廊下を歩いていた。久々の出陣も大雨に阻まれ撤退となり、更には午後からの演練も端末の不具合により中止とくれば、道場もすぐに暇を持て余した男士達で埋まってしまった。戦の高揚を無理矢理ザアと押し流されてしまえば、残ったのは冷水で張り付く重たい髪と、装束は大層動き難く容易に不快指数を上昇させるのみ。
足音荒く進む道程には水溜りが点々と出来、その間にも奪われてゆく体温に寒気を感じ大きくくしゃみを一つ。どこへともなく足を向ける先は自室であり、とどのつまり彼は嫌いな「休暇」を図らずも獲得してしまったのだ。戦で駆り出されるとあれば重畳だ、内番も当番であれば請け負おう、しかし休暇と言われたところですることは特別なく。
「――っぶえっくしょい! アーくっそ……」
降りしきる雨足は弱まることなく、大粒のしずくが屋根や踏石を叩き、立ち込める湿気は霧のように遠景を滲ませている。池の鯉達も、橋桁の下へ避難していることだろう。しゃわーみたいだと、短刀らとはしゃいだ審神者が風邪を引き初期刀が大激怒して以来、この本丸で雨は大層恐れられていた。
「早く止まねぇかな」
雨音に被さる形で呟かれた声も、恐らく唯一恵雨だと喜ぶ秋桜の花達にしか聞き取れなかった筈だ。分厚い雲に遮られ薄暗い本丸に見えるところ人影はなく、矢継ぎ早に通り過ぎる部屋の障子から漏れる光は心許ない。
「――む?」
視界を半分以上覆う黒髪の向こう、不意に現れた足を始点に目線を上げれば、見下ろす双眸と視線が交わる。それも一瞬で、怪訝そうに声を顰め小声で名を呼ばれた。
「同田貫、まるで濡れ鼠のようではないか。それに午後は出陣の予定だろう」
「ご覧の通り雨だよ雨。出陣はナシだ」
「待てどこへゆく」
こらこらと肩を掴まれ、静止させられ舌打ちするも、山伏国広は腰を曲げ覗き込んできた。屈んだことで影が落ちた貌が、彫りの深く端正だと気付かされる。いつもの笑みが無いだけで大分に受ける印象が異なり、揃う目線上で意思の強い眼が眇られた。
「風邪を引くぞ」
「うっせぇな、放っとけ」
「そうはいかぬ。みすみす見逃して風病でも患われてみろ、良心の呵責に耐えかねる」
大袈裟に嘆息すると山伏は同田貫の腕を掴み、今し方来た方向へと躰ごと引き摺りだす。体格差もあり力で適わずに、口を尖らせ不満を訴えかけたが、薄く笑みを寄越されただけで気付けば湯殿へと連れ込まれてしまった。
「さあ脱げ」
「嫌だ面倒臭ぇ」
脱衣場の入り口側へと仁王立つ山伏は腕を組み、意地でも風呂に入れるつもりらしい。本丸の風呂は二十四時間湧いており、各々が好きな時間に湯浴みが出来るのだが、生憎先客はおらず貸切の状態だった。
「体調を崩し、果ては出陣を止められても良いのか?」
「ちっ……ヤだよ。つうかあんた、関係無ェだろ」
それに、と水を吸い重たい襟巻きを背へ回しながら荒く息を吐き出す。張り付く装束は体温と交じり生温くて気持ち悪く、それ以上に半端な高揚感が、先程から熱っては躰中をのたうった。抑えようと呼吸しようが意味を為さず、やがて股座の中心へと集束し脈打つのが解ると、より一層胸の燻りは募ってゆく。
「お節介なんだよ……」
奥歯をぎりと歯軋り乱暴に吐き捨てた同田貫にも動じず、山伏は装束に手をかけどうしても脱がすつもりのようだった。暫しの無言、後睨み付けたが見上げる相貌は至って涼し気で、身を捩ろうが力を入れようがびくともしない。そうなってしまえばこちらも半ば意固地で、大きく舌打ち一つ。対して下駄を脱いでなお頭一つ分差のある相手には身長も力でも敵わずに、攻防の末遂にはやや浅黒い肌が晒される。
「離せよ――っ」
「……!」
咄嗟に掴んだ山伏の腕が、表情が強張った。同田貫の剥ぎ取られた上着の影から勃ち上がった昂りが露わになり、見開かれた眼が釘付けになっているのが嫌でも分かる。何とも気まずい空気の中、唾を呑み込む音がやけに大きく響いた気がした。
「――……同田貫」
戸惑いがちに呟かれた声は常の快活さの欠片もなく、褌を押し上げ主張する屹立へ注がれる視線に、カッと全身が熱くなる。見られている事実に、逃げ場のない焦熱が脳髄まで浸食する気すらした。あんなに肌寒かった筈なのに今は釜に湯通しされた気分で、汗が吹き出しては冷えた床へ滴る。
「み、見るなよ!」
「ッすまぬ……その、そ、れは……」
「し、仕方ねぇだろうが、久しく戦に出陣られなかったってのに。……あんただって偶にこんくらいなンだろ」
「うむ……そ、そうか。……拙僧は、経験がないのでな」
山伏の声は上擦っていた。数度素早く瞬くと唇を湿らせて、やや勿体ぶった間の取り方をしている。らしくない言い方に違和感を覚えたものの、俗物と無縁そうなこの男のことだ、嘘とは思えない。
「まじかよ……修験者サマはすげぇな。こうなっちまうと寝付きも悪ぃから、鍛錬したりするんだ」
「……それは些か不便であろうな。では同田貫、その……拙僧が鎮めてやろうか……?」
「は……? な、何言ってンだ」
「おぬしは案外……外を知らぬのだな」
言葉の意味を汲み取ることに難儀した。相手の行動に予測がつかない。返答を待たずして山伏は、あろうことか掴まれた腕をそのままに、もう片方の腕を股間へと伸ばしてきた。
「お、おい触るなよッ! つうかな、何するつもりだよ……!」
「……苦しい、のであろう?」
膝を付きこちらを仰ぐ男の表情は真剣で、まるで懇願しているかのように思えた。普段なら絶対に有り得ない状況に、逃げ出したい衝動に駆られる。
だから、この可笑しな状況で頭までおかしくなったのかもしれないと、意味もなく言い訳を胸中に呑み込む。震える指先を拒めずに、迫る手を許した。
「っ……く、ぅ……」
「はっ……ぁ、」
恒ならば彼の本性を携える大きな掌が、血管の浮かび上がる陽物へと添えられる。柔いとも硬いともつかない指の腹が数度行き来し、はたと何か気付いた山伏は手甲の紐を解きながら、口で手甲を外し始めた。片手を外せばまた片方をと、急いでは稚拙な動きには余裕のなさを感じるが、下穿きもずり下ろされいよいよ露出した陰茎を、己以外が扱く状況をうまく飲み込めていない。
いつの間にか完全に勃ち上がった昂りを、眼下の男は恍惚と見つめたように見えた。思えばもう、この時点で既に自分も呑まれていたのかもしれない。
「いっ、たくはないか」
「……大丈夫だ、がっ……」
赤く熱を持った鉄の楔が、硬さを帯び始めた陰嚢が緩く弄ばれている。慎重過ぎるほどに優しく、控え目に擦りながら時折こちらを窺う視線から、この異常な事態でなお全く萎える素振りも見せない股間から目を逸らす。
「どっ、どうだ……?」
「……ああ……っ」
もどかしい、というのが正直な感想だった。上下する動きは単調で且つ刺激が少なく、筋張った指先は微妙な速度と強さで同田貫自身を扱いている。焦れったさに上から握り込んで擦りたいのを我慢する手が宙を彷徨い、咳で誤魔化した。
「……同田貫」
「んあ……な、何だよ?」
「その……」
煮え切らない声はか細く、山伏は手を止めると大きく息を吐く。揺らぐ双眸が閉ざされ数瞬後、囁かれた声は微かに震えていた。
「暫し……目を瞑ってはくれぬか」
「な、何でだ」
「頼む……」
あまりにも真剣な表情に、疑問を飲み込んで大人しく言われた通り瞳を閉じる。
「……」
視覚が暗闇に閉ざされたことで、他の感覚が研ぎ澄まされてゆく。雨の日の匂い、遠くで聴こえる雨音とその何倍も大きな拍動。鋼の融けた血潮すら感じられるような触覚の鋭利さは、戦場と大差ない。
丸腰どころか文字通り丸裸で急所を晒し、いっそ滑稽であろう光景に、今更ながら羞恥が芽生えた。しかしそれも、謂わば命を託した男が小さく笑う気配に呆気なく霧散してゆくと、ただ股間の滾りにじわじわと全身を蝕まれる。心臓と紛う脈打つ自身へ、温い息が吐きかけられた。
努々開けてくれるなよと念を押す声が下方から聞こえ、少しの沈黙。空気の流動する気配もなく、男は跪いたままのようだった。
「触れるぞ」
無言のまま頷くと、ややあって陰茎に指の感触と、直後に生温い何かに亀頭を覆われ躰が強張る。何だこれは、と思わず眼を開きかけ、硬直したまま歯を食い縛り耐える。水音を迸らせる何かはねっぷりと同田貫を覆い、続いて滑りながら全体を扱き上げてきた。突然の強烈な快感に腰がガク付き、同田貫は口を大きく開け堪らず喘ぐ。
「ぐっ、ぅあ、あ……!」
「っ……!」
まるで吸い上げる動きは裏筋の浮き出た血管を優しく押しては、柔らかく尚且つ芯を持った別の何かが亀頭を擦り、敏感な刃先を磨くように愛撫する。何より凄まじいのは、絶妙な軟らかさで包み込む感触とその温もりの心地良さだ。同田貫はあっという間に上り詰めると、息も絶え絶えに吐精を訴えた。
「っんだこれ、くっ……でっ射精るッ……!」
「ッ!」
それは偶然だった。同田貫は昂る反動のまま手を動かし、軽い布のような何かを掴んだ。対して山伏がくぐもった声を上げ、反射的に刮眼した金色の瞳が捉えた光景は、脳裏に強く焼き付いた。
「んぅっ……!」
どく、と脈打ったのは果たしてどちらか、同田貫には判らない。胡座に顔を寄せ、肉の刀を口いっぱいに咥えた山伏が、迸る白濁を瞑目したまま受け止める様を、唖然として見下ろしていた。この男は何をしているのか、己は今何をされているのか、沸いた頭では処理が追い付かない。ただ促されるままに濃い白濁を吐き出し続け、そういえば暫く抜いていなかったなとぼんやり思考する。
「っう……っ」
口淫という言葉と知識はあったものの、見るのもされるのも初めてだった。射精後の心地良い気怠さと未だうねり舐る舌の熱さに、半ば放心したまま瞼を閉じる。悦い感触の正体が判明した以上、名残惜しげにちゅうと啜り、唇を窄め丹念に、残滓すらこそぎ取るような舌の動きも判る。と同時に再びの疑問が首を擡げた。何故、この太刀は己にここまでするのか。混乱に呑まれ思考したところで、相手にとっての妙味が浮かんでこない。分からない。
「……ん……」
打って変わって淫靡さを湛える水音を最後に、堪らない肉感は離れていった。外気の冷ややかさに萎えた逸物が震えたと同時に、濃密な悦楽に名残惜しさを感じてしまう。
最後にゴクリと喉を鳴らし、恐らく白濁を嚥下した音が耳元でしたような錯覚に再び目を見開く。
「……っお、い」
「っ……どうだ……? 治まった、か?」
「う……お、ぉう……」
呑み込みきれなかったのだろう白濁を耳に掛けていた布で拭い、そのまま山伏は赤く染まった顔を白布で隠した。逸らされた視線は僅かに濡れ、覗き込む前に立ち上がった男はもういつもの溌剌とした表情で、あっという間に見下ろされるカタチに戻ってしまう。
「さぁ、さっさと風呂に入れ」
「おう……」
呆気ないほどに足早に脱衣所から去る山伏の背を、同田貫は儘呆然と見つめた。
カラリと晴れた薄藍の空は秋も深まり、飛び交うとんぼがそっと彩りを添えている。山や本丸の木々達は未だ青の葉を茂らせ、しかし吹き抜ける風は乾いて冷たさを帯びていた。
本格的な秋の到来は同時に、既に次季の足音を忍ばせて、間もなく夜の訪れに影を伸ばす。秋の日は釣瓶落としとはよく言ったものだと、栗や柿を籠に背負い畑を後にする。後ろから赤々と照る夕焼けを受け、足元に視線を下ろし歩く同田貫は己を呼ぶ声に顔を上げた。
「同田貫くん、随分遅かったね」
「……おう、悪い、明日の分の準備もしたんだ」
それはご苦労だったね、やあ今日も豊作だと綻ぶ初期刀の隣に並び立つ影は随分と高い。茜色に曝され黒みがかった髪と、臙脂色の内番着の太刀は表情が分からなかった。二、三言葉を交わすと山伏は踵を返し、同田貫は慌てて後を追う。
「……おい、おい山伏……」
広く稜とした背へ声を掛け、数畳先で立ち止まった男は振り向かずに何用か問うてきた。
先日口淫を施されて以来、二振りの間には密約が出来ていた。人知れず逢瀬を重ねる理由は至って世俗的である。即ち同田貫の性処理の為の誘いを、山伏は甘んじて受けてくれていた。なし崩しの関係に、未だ意図を推し量りかねないでいる。
「今夜……いいか」
「……相、分かった」
用はそれだけかと立ち去ろうとする背に、声を荒らげ静止させる。今度こそ振り返る貌は訝しげに近付く同田貫を見下ろし、掲げた手に握られていた物と交互に見比べた。
「今日採れたんだけどよ、あんたにやる」
「……何ゆえ」
「いや、理由はねぇけど……美味そうだろ、あんた思い出して――」
「……そうか」
ではと真っ赤に熟れた林檎を受け取ると、山伏は苦笑した。同田貫自身、咄嗟に呼び止めたものの誤魔化しもぎこちなく、怪しく思われただろうかとちらと窺う。
「……ああ、これは美味そうだ」
山伏は眼を細めあんぐりと大口を開けると、艶やかに夕陽を照り返す林檎を、ゆっくりと頬張った。尖った犬歯が、柔らかな実へじゅぶりと食い込んだ。
「は、ん……」
少気味良い音を立てながら咀嚼するその唇が、白い歯が、赤い赤い舌が、秘められし夜の濃厚な高揚を蘇らせた。今にも半身を咥えられる錯覚に身震いし、滴る蜜を啜る喉が上下する様に、ただ心を奪われる。
嗚呼、やはり、似ている。
「……ん……おぬしも、喰らうか?」
「いや――俺は」
知らず口内に溢れた唾液を飲み込めば、手に持つ林檎を顔に寄せられる。歯形の付いた表面を裏返し、山伏は小首を傾げた。どうやら腹が減ったと思われたらしい。
「――……!」
程近くで、視線が交わる。そしてその時初めて同田貫正国は、この男の瞳の赫灼を、紅き眼を知った。
全身が粟立ち、視覚以外の五感が遠退きいっそ時すら静止したようで、世界が鮮烈な赤に支配された。瞬くのも忘れ魅入っては、何故か泣きそうに歪む眼をじいと見上げ続ける。
胸に沸々と滲み出す感情の正体をーー未だ知らぬまま。
「――い、いや、俺はいい。……じゃあ、よ」
「……ああ」
早口で言うと素早く踵を返し歩き出す。思い出したように心臓が早鐘を打ち、顔が熱くなっていた。
明くる日、貼り出された書面に己を見付けた。厨番から稽古場での手合わせへ変更するという文章と共に、他にも数振りが担当の配置替えを行うらしい。珍しい訳ではないが、誰からの通達もなく危うく見逃すところだったと慌てて道場へ足を向けかけ。
「おう同田貫正国、丁度良い所に」
「主か」
背後から審神者の声を受け振り返る。小脇に本を数冊抱えている所を見ると、これから事務作業でもするのだろうか。たまに近侍を充てられると一緒に政府への提出書類を書かされるが、自分のような刀よりも文系と称する初期刀だとかの方が得意だろうに。そういやあいつも、良く作業を手伝っていると最近気付いた。全くあの男はお人好しが過ぎる。脳裏でぼんやり考えていると、眼前で手を振られた。
「聞いてるか?」
「っと、すまねぇ……何だ」
「うむ……率直に訊くがお前、山伏国広に何かしたか?」
唐突に思い浮かべていた相手の名を告げられ、一瞬心臓が跳ね上がると心拍数が上がるのが分かった。思い当たる節があり過ぎる。昨晩も夜着一枚の山伏に跪かれ、慇懃に慰められた光景は記憶に新しい。『誓約』など疾うに破られたことを、彼の太刀は知らない。
「……なんの話だ」
「そうか、ならいいんだが」
身構えた同田貫にもあっさりと引き下がった主人は、忘れてくれとカラリと言い放った。寧ろ却って余計に気になり始めるも、おもむろに古書を差し出され面食らう。
「これ、返しておいてくれないか」
「はぁ? ンで俺が……つか、どこにだよ」
「山伏に」
再び聞く名前に、それどころかもはや質問への返答ですらない回答に疑問符が浮かぶ。どうにか山伏からの借り物だったことは理解したが、「さっき声掛けても返事なくてさ」とこちらに言われたところでどうしろと。昨日の今日だから顔を合わせるのも気まずさが残ると思いながらも、元来真面目な同田貫は歩を進める。
表題だけでも小難しそうな内容と分かる古書を眺め、襖の前で唸る。昨晩ぶりの往路では他者とすれ違うことなく、当たり前かと既に高く登った太陽を見上げる。夏より柔らかな光は低めで、疎らな雲に晴天を感じさせた。
「……山伏、起きてるか?」
審神者の言う通り、居住棟の各部屋に取り付けられている吊り灯篭は眼前のものだけ点灯しており、山伏の在室を示していた。小声で声を掛けるもやはり返答はない。寝ているのだろうか、朝寝坊など、珍しいこともあったものだ。耳を欹てると僅かに呼吸音が聞こえ、恐らく寝坊の原因の一端だろう昨夜を思い浮かべてしまう。
夜を重ねるごとに口淫も手淫も上達する山伏だが、目的が己の性処理なのだから当然、射精するのは自分だけだ。ひょっとすると修験者サマもああ言いつつ溜まるものは溜まるのかもしれないと、邪推に近い気遣いにより部屋の前に古書をそっと置きかけたその時。
「……」
障子戸の向こうから衣擦れの音と混じり、微かに己を呼ぶ声が聞こえた気がした。膝と両手を付き、暗い磨り硝子に目を凝らすと何かもぞもぞと動いている。
同田貫はその時、余計な気を利かせると同時に好奇心を湧かせた。静かに戸を開け本を滑り込ませると、室内へ視線を走らせそして、男の姿を捉えると同時に躰が硬直した。
「っ……ぁ」
瞠目した瞳を逸らせない。全身がカッと熱くなるのが分かる。重く響く心臓の鼓動が、本丸中に聞こえてしまいそうだった。
「ん……っん、ぅ」
敷きっぱなしの布団の上に寝そべる山伏の夜着は乱れ殆どが肌蹴ており、服の意味を成していない。くの字に曲げた躰に汗を浮かばせ、荒々しく息を吐きながら全身の筋肉を強張らせては喘ぐ、その手には山伏自身が握られていた。覗き込む襖からは表情まで確認は出来ないが、ビク付く足の指先が込み上げる快感を如実に伝えている。
「はっ……ん、んっ、ぐ」
これは主人への返事もままなるまいと冷静な考は、熱くなる躰とはあまりにもちぐはぐだ。山伏に悪いと思う一方で、普段決して見られない官能に抗えず息を殺す。風呂でちらりと見かけたことのある陽物は萎えていてなお大きかったが、遠目でも大層立派だった。しかし添えられ扱く手は片手で、不思議に思い影になる右腕を視線で追った同田貫は、更なる驚愕に息を呑んだ。
「っふ、く……んっ!」
淫靡な水音を溢れさせ、山伏の指を呑み込む菊座がハッキリと見える。見間違いでもなく、軽々と二本指を受け容れる尻穴は解されて真っ赤に色付いている。三本目が挿し入れられ激しく動くと、長い脚がピンと張った。一瞬であった筈だが、酷く長い間に感じる。丸まっていた背が強くしなり、腰が浮いた。
「っ同、田貫……ッア……あ、ぁっあっ!」
絞り出すような声は掠れていた。ややあって陰茎から白濁が吐き出されると、山伏は全身を一気に弛緩させる。浅く速い呼吸に合わせて、菊門も収縮を繰り返していた。
「はっ、は……はぁっ」
「――!」
緩やかに落ち着く呼吸にハッと我に帰った同田貫は、素早く戸を閉めると足早にその場を去った。
気が付けば自室に居り、無我夢中でどうやって帰ってきたか覚えがない。窮屈さに視線を下へ向けると、勃起した自身が存在を主張しており、大きく嘆息する。――山伏国広の自慰を目撃した。しかも後孔を使い、己の名を呼んでいてそして、自分は今とても興奮している。あれは直接自分に呼びかけられたのではないと理解し、先程の痴態を思い出しながら己の陰茎へと手を伸ばす。きっと彼と同じように、秘めやかな行為を脳裏に蘇らせながら。同田貫はその日、久しぶりに己を慰めた。
山々の目にも鮮やかな紅葉は見事で、日に日に風は冷たく昼が短くなってゆく。流れる時は随分と駆け足で、霜が降ったと騒いだ日もあった。鍛錬終わりの水がキンと凍え、地面と池を赤く染める落葉にいよいよ冬が近付くのを実感する。
山伏の秘密を覗き見て二週間あまりが経過した。後ろめたさから誘うことを控え、相手も何か感じ取ったかあからさまにこちらを避け始めている。表面上は普通でも、山伏は近くに寄ってはこないし必要以上の会話もしない。機微に聡い一部しか分り得ない程度ではあったが、次は審神者に呼び出しでもくらうのはごめん被りたい。だが彼の太刀に会うと、どうしても思い出してしまう。光る汗すら鮮明に、燻る焦熱までありありと。
触れてみたいと思う。一方で同時にそれはいけないのだとも分かっている。心に芽生えた欲求を、抑える術を知らない。
「……山伏……」
やり場もなく持て余した熱情は群青の高い空へと立ち上り、程なくして黒雲が立ち込めた。
怪しい雲行きを見て慌てて洗濯物を取り込み始めた連中に声を掛けられ敷布を竿から外しながら、同田貫は臙脂色の背を見かけた。作業の傍ら覗き見た山伏は普段と変わらず、全てが夢だったかのような感覚に見舞われる。だが間違いなく躰は覚えている。芯から膨れ上がるような、あの灼熱を。
「うわっ降ってきた」
誰かの声に釣られ空を見上げた。ポツポツと小さな雨粒が降り始めると、たちまち大粒の激しいものへ変わってゆく。最後の洗濯物を抱え軒下へ駆け込もうと振り返り、こちらを向き立ち尽くす太刀を視た。
「山伏さん、風邪引くよ」
「……!」
「えっ、ちょっと!」
山伏は何も言わず踵を返すと走り去ってしまう。同田貫は揉みくちゃの敷布を脇差に渡し追いかけた。冷たい雨を浴びながら、芯は火を灯したように熱を持ち始めていた。
「…………」
在室を示す灯篭の灯りに照らされ、廊下を点々と伝う水は山伏の自室へと続いていた。室内は薄暗く、磨り硝子一枚隔てただけで何も分からなくなってしまう。
「……なぁ、おい、風邪引いちまうぞ」
居るんだろと障子越しに声をかけ、名を呼ぶ。返事はないが気配は有り、こちらを窺っている様子だ。
「山伏……開けてくれよ」
「……厭だ」
「あんたに風邪引かれちゃ困るんだ」
くしゃみが出た。そういや自分も結構なずぶ濡れだったと鼻を啜る。刀も風邪を引くのだろうか。健康優良児が大半の本丸では、怪我はしょっちゅうでも疾病は審神者くらいしか患わないものだが。
「……」
ソロリと戸が開き、手拭いを被った山伏が顔を出してきた。視線は下を向き沈んだ表情で、何だかまるで捨てられた子犬のようないじらしさにたじろぐ。こちらが悪いことをしている気分にさせられるが、今更引き下がるわけにはいかない。
「なぁ、入れてくれよ。寒いんだ」
「だっ駄目、だ、入るな……!」
慌てて閉められる戸を遮るために膝を割り込ませる。嫌々と首を振り拒み、山伏が声を震わせ叫んだ。
「駄目だ! もう、手伝えない。それに、もう必要ないのであろう……?」
「はっ?」
何を手伝わせるんだと逡巡し、解へと至る。己を自室へと招き入れることは即ち。否定をするも巧い言葉が咄嗟に出てこない。こういったこまごましたものはどうにも苦手だ。素直に表せないせいで、誤解や衝突を招く。今だってこうして。
「ち、違う! いや違わねぇが、いや、そうじゃねぇ」
「何が違うと? 帰ってくれ、拙僧は――」
「山伏、聞いてく――へくしゅっ」
同時に息を詰めると、くしゃみが出る。ぐし、と乱暴に鼻を拭っていると、山伏が一泊置いて釣られるように続いた。
「――っくちっ」
「!」
ただそれが大層可愛らしいというか、大柄な体躯に似合わぬ控えめなくしゃみで、みるみるうちに顔を赤くさせた山伏をポカンと見上げた。
「う……っか、帰れ!」
「イヤだ!」
まるで童子の意地の張り合いだ。幼稚な押し問答に痺れを切らし、大きく息を吸い込み顔を近付ける。
「俺はまどろっこしいのは嫌ェだ。……こっちから頼んでおいてなんだが、俺だけがスッキリしてはいおしまい、なんてのはもう気分が良くねぇんだ」
「は……?」
心のままに言葉を、感情を吐露する。ずっと交わらなかった視線が結ばれ、見開かれた深い赤の双眸を真っ直ぐ見上げる。
「こないだ主に貸してた本、持ってったの俺なんだ。でその、見ちまって、あんたが……」
言い淀んだことで、全てを察したらしい山伏は青ざめて後退った。悲痛に歪む貌を見たいわけではないのに、違うんだ、そんなことが言いたかったんじゃない。
「ッすまぬ……もう、近付かない、から」
「違う、そうじゃないんだ」
震える手が戸を離れ、勢いのまま障子が開いた。しかし山伏は濡れた躰のまま横をすり抜け、そのまま立ち去るつもりのようだった。
反射的に躰が動いた。今引き留めなければもう二度と会えない気すらした。キツく握り込んだ拳へ手を伸ばし、そういや己が触れるのは初めてだと思い至る。――触れてしまえば、きっともう戻れない。その先を望んでしまう。今までの関係にも、「何もなかった」二振りにも戻れないだろう。それでも、いいと思った。あの時とは逆だ。何もかもが。
「――待て、よ」
「っ!」
冷え切った腕を掴む。弾かれたように振り返った山伏の瞳は、戸惑いと期待に揺れていた。
「……男同士でどうヤるか、知ってるか……?」
行燈の光もない中、褥へ横たわる。濡れて貼り付く服は山伏の自室へ入ってすぐ脱ぎ捨て、晒と下穿きのみという恰好だ。部屋の主は箪笥から何か取り出し足下へ膝を着くと、深く息を吐く。
「……もう一度問うが、良いのだな?」
「ああ。頼む」
「…………分かった……」
頷いて勢いよく上着を肌蹴ると、薄暗い中でも腕や背を覆う焔の彫物がよく見えた。伝う汗が、鍛え上げられ隆起した胸を濡れ光らせている。知らない内に勃ち上がった股座とゴクリと鳴る喉を見て、山伏は笑った。
「触るぞ」
慣れた手付きで下穿きを解かれると、褌を押し上げる屹立は既に硬さを帯びていた。滲んだ先走りの横から、無骨な指が繊細に入り込む。取り出された昂りは、快感への期待に小さく脈打つと暖かい掌にすっぽりと覆われてしまう。そのまま根元へ移動した指先が陰嚢を揉み、一定の感覚で竿を上下に扱いてゆく。
「やはり大きいな」
「よく……分からねぇ」
「おぬしはそれで良い。そのままで」
いつもは見えない表情もよく見える。口惜しくも見上げる側だが、慈しむような笑みに不思議と安心し、何もかも委ねようという気分になれた。
「手首……痛くねぇか」
彫物の陰だが、先程強く掴みすぎたのか赤く痕になっていると指摘し、腕を伸ばす。扱く指は次第に強く速く忙しないが、触れる手は拒まれなかった。先走りで滑りの増した手淫は、水音と強い匂いを漂わせている。
「……衆道では、尻を用いる」
一旦立ち上がった山伏は服を脱ぎ去り無垢を晒す。そのまま同田貫もされるがまま裸に脱がされると、仰向けに寝かされる。臙脂の上着から取り出した丁字油を指へ塗り付けると、腿の上を跨いで膝立ちの姿勢を取った。
「あまり見てくれるなよ」
「……こないだ、穿ってんの見ちまった。それに、俺のを咥えんのも知ってる」
「え、っ」
隠しても仕方がないと正直に告げれば、カアッと頬を染め恥じらう姿も好ましく思う。胸中を占める暖かさは心地よく、剥き出しの肌が触れ合っては汗でしっとりと合わさった。
「あ、あんたは、そっちでいいのかよ」
「……その。恥ずかしい話だが、尻の方が具合が良いのだ。主殿から――い、いや、何でもない」
「……?」
こちらの訝しむ視線から目を逸らし、山伏が口篭った。もしやあの男、何か入れ知恵をしたのだろうか。しかし疑念は掻き消される。片手を腿へ置いたまま再度大きく息を吐くと、油で滑る指を後孔へゆっくりと挿し入れた。内腿の震えが直に伝わる。
「っつ……ぅ」
背をしならせ瞑目する山伏は気付かない。見上げる形を取っているために、こちらからは蠢く指も色付く菊座も丸見えだということに。
「ぅん……ぁ、んっ」
黙っておこう、と同田貫は決めた。夜目がこんな所でも役に立つとは。
控え目な水音がくちくちと漏れ聞こえ、中を解す指も増やされてゆく。浅く呼吸し小さく喘ぐ山伏は、薄く眼を開くと眦を下げる。互いの勃ち上がった自身が触れ合う、それだけで強い刺激となって爪先まで電流のように駆け抜けた。
どちらかへの一方的に与えられる快感とは、明らかに感覚の鋭さが違う。充足感すらもう、一振りでは味わえないと思考の片隅で耽った。
「……はっ、あ」
やがて粘液に塗れた指を引き抜き、山伏は同田貫の下腹部へ乗り上げてくる。改めて凄い眺めだった。意思の強い眼差しはトロンと蕩け、うっそりと艶んでは腰を浮かせた。淫靡さとは最もかけ離れていると思っていた男は、あられもない姿を晒し躰を震わせている。
「も、いいのか」
「十分慣らしてある……挿れる、ぞ」
山伏が上体を反らし、片手を同田貫の陽物へ、片手を膝へ伸ばす。重心を後ろへ移動し、先走りで滑る亀頭を菊蕾に押し付けた。充血した蕾は敏感な切先にちゅうと吸い付き、勝手に腰が跳ねそうになる。数回扱かれた後、泥濘んだ菊座を押し拡げ呑み込まれる自身をただ見つめた。
「んぐっ……んう」
「うぁ……凄ェ、あったけぇ……ッ」
入口は狭く、山伏の自重により割り拓くようにゆっくりと喰われる。肉襞にうねりながら搾られ、磨かれては硬度を増してゆく。ぴったりと腰が合わさり、自身が全て埋められたことに気付いた。
「っは、ぅ……ふっ」
「息、吐けっ、苦しい、だろ」
両膝に置いた手が震えていた。息を詰まらせ、山伏は額に脂汗を浮かべている。ひたすら耐えるように動かない山伏を、無性に抱き締めたい衝動に駆られた。しかし今同田貫が動けば負担になろうと、熱気と生臭い匂いで溢れる部屋は暫し、互いの息づかいが聴こえるだけとなる。
「っ……は、はっ、んっあぁ……っ!」
「くっ……ぐぅっ!」
呼吸を落ち着けると、山伏が突如腰を前後に揺すった。内壁が陰茎を擦り上げ、烈しい刺激に熱が一気に脳天まで駆け上がる。待ち望んだ快感は想像を遥かに凌駕し、呆気なく頂きを臨むことになる。咄嗟に陰茎を抜いた途端、白濁が噴き出した。
「う……っ!」
「あっ!」
絞り出される精液は勢いが良く、同田貫の腹だけに留まらず山伏の胸板を白く汚す。大きく上下する胸から垂れ、割れた腹筋を伝う白濁は下生えまで達した。
「はぁっ、はっ……」
「ぁう……っは、やい、な」
足りない。箍が外れた思考は本能のまま、享楽に忠実に。山伏を想うまま、貪欲に求めた。
「ひゃ、なに……わっ!」
素早く身を起こし胡座を掻くと、上に山伏を乗せるような姿勢を取る。抜けた自身が擦れ、一瞬身を強張らせたが力の入らないのかぺたんと座り込み体重を預けてきた。汗ばんだ肌がより密着し、相手の心音が温もりとともに伝わってくる。
「山伏……!」
「や、あっ! ふぁあ……ッ!」
尻たぶを掴み、膝を割り開くと再び菊座を穿つ。先程より近付いたからか、大きく戦慄く唇の震えも、紅潮した顔も、しっとりと濡れた睫毛もより鮮明に視えた。肉茎をすんなりと迎え入れた内壁は、今度は離さないと締め付けては蠢いて、誘われるままにどんどんと奥を暴いてゆく。
「ぐぅッ……!」
「ぁ、い、やっ、あ! 動っいあっ!」
反れる背へ腕を回し、強く抱き締めた。躰を揺さぶられ、もがき悶える山伏を抱えながら律動を速めてゆく。陰茎を幾重にも連なる襞で舐め回されるような愛撫に、負けじと角度を変え勢い良く腰を打ち付けた。柔らかい肉襞の一部硬い凝りを掠めた途端、陽物を喰い千切らんばかりに締まる。
「ひぁあっ……!」
甲高い声は直接股間へ響く。息も絶え絶えに待てと喘ぐが、こちらも止められる程の余裕など疾うに失せてしまった。しがみ付く山伏は甘い香りを纏わせて、胸をずくずくと疼かせる。
「んっ……こんなっ、こんなのっ!」
ガクンと後ろへ反る躰を慌てて支える。半開きの口端から涎を垂らし、山伏の目は真っ赤に腫れてしまっていた。熟れ切った夕陽色が蜜に濡れそぼり、眉根をぎゅうと寄せ弱々しく首を振る。
加減を誤っただろうかと焦り、淫猥な姿に見惚れ動きが止まった。力の入っていない躰を抱き起こし顔を寄せ、吐息の触れ合う程近くで双眸を覗き込んだ。鮮烈な紅は限りなく深く甘く、同田貫を捕えて離さない。
「辛いか?」
「っが、違ぅ……っ」
一旦抜こうかと太腿へ手を添えると、汗ばんだ大きな掌に包み込まれる。
「違……ヨすぎてッ……も、我慢、出来なく……ッ」
どこまで煽るつもりなのだろうかと勘繰ってしまうが、はくはくと呼吸の浅い山伏に無理もさせられないと落ち着くのを待つ。力なく首へ回る腕を支え、静かに抱き合う。耳元で囁く声は、微かに震えていた。
「ずっとっ、待っていた……この身が折れるまで、打ち明けることなどないと思っていたのに……未だ、夢を見ているようだ……」
おぬしを好いていると。心根から迫り上がったであろう想いは遂には綻び出でて、数音の言葉は同田貫の魂鋼へ浸透した。まるで初めから知っていたようにすとんと拡がって、胸を充たす感情の正体を識る。嗚呼、そうか。
「俺も、あんたが好きだ」
「っ……ぅ嘘だ、そんなっ」
「嫌いならこんなことしねぇ。だろ?」
温かい胸板へ顔を埋め、な?と上目遣いに見上げる。山伏は耳まで真っ赤にしながら、口唇を戦かせ声にならない叫び声を上げると、肩口へ額を押し付けた。呻く声は消え入るように小さくなり、恐る恐るこちらを見上げる。
「もっとあんたの色んな顔、見せてくれ。これからはもっと近くでさ」
「や、ぃやだっ……うぅう」
今更恥ずかしがるのは、些か遅いんじゃないか。首に縋る腕を手繰り寄せ、唇で圧せば息を詰まらせる。そのまま唇を滑らせ、焔を辿り手の甲に音を立て口付けた。手首を返し、大きな掌を同じように吸い上げる。山伏ははふと熱を吐き、同田貫へ身を委ねされるがままだ。
「厭だ……そんな、や」
「そんなにヤか?」
言葉だけでは、何をそんなに嫌がっているのか分からない。現に無意識なのか小刻みに腰を揺らし、内壁はこちらに目いっぱい吸い付いてすっぽりと包み込んでいる。ただ正直、そろそろ動きたいとも思ったが、それよりも山伏の言葉が聞きたかった。
「違ぅ……拙僧はこんなにも、我儘だったかと……このままではっ際限なく強請ってしまいそうで……」
たっぷりの沈黙の後、困ったように眉根を下げ告げられる。何だ、そんなことか。思わず笑えば、何がおかしいと拗ねられた。あんなにも細やかに導いてくれた相手が、本当はこんなにも情愛を募らせ、己を渇望していたなんて。
「あんたはどうしてほしいんだ」
「……っ」
「なぁ、俺は丸っと、あんたのもんだ」
泣きそうに歪んだ表情は次の瞬間、くしゃりと破顔した。赤い鼻を啜る姿はどうにも滑稽なのに、どうしようもないくらい気分が高揚する。
「おぬしが……ほしい」
願望は至極小声で呟かれ、抱き合わせた互いの心音が高鳴り掻き消されそうになる。同じだ。今己と山伏は、限りなく一つなのだと本能がそう告げていた。
「あっ……」
「倒すぞ」
後頭部と膝裏を抱え、繋がったまま褥へ横たえる。向かい合わせた躰は再び、情欲の色を湛えては上気した。
後はもう、激情のまま腰を打ち付け肌をぶつけあい、山伏の奥深くまで穿ち暴いてゆく。焼き切れた理性はもはや意味を成さず、山伏は戦慄く唇から嬌声を迸らせ、両腕も内壁もこちらをキツく抱き締めてくる。
「ふぅッ……は、くっ」
「うあぁっ! んあっ、んッ、ンン……ぁあッんぁああ!」
甘い香りを鼻腔いっぱいに吸い込む。太腿に尻たぶを引き上げ、上から突き刺すように勢いよく抉ると、一層中の締め付けは増して山伏は泣きそうにヨガった。
「やぁあッそれっそれぇえッ! 奥ッぉく届いッてぇ……」
「ふっ、ぐぅッ!」
「ッと……もっとッ、もっと、ぉ!」
身を捩る山伏の両膝を折り合わせるように押し込み、体重をかけ伸し掛る。切先を啄む最奥も、竿を扱く肉鞘の蠕動も火傷しそうに熱い。泡立つ先走りが熟れた孔から溢れ、股座から脳天へ、爪先へとびりびりと凄まじい性感が連続で駆け抜ける。
「やぁっ、だめっ駄っ目だ、もぉ……ッえぁっ、あっんォアァッ!」
痙攣する腹筋へ汗が落ち、掴んだ内腿が震えた。空を掻く手を腕ごと引き寄せ、ぴとりと肌を寄せれば山伏は脚を交差させてしがみ付いてきた。陶然と蕩けた双眸と視線を絡ませ合い、陰嚢をビクつかせ限界を訴える魔羅を引き抜きかけた時、一際甘い声が下から発せられる。
「んぁ、だめ……抜かないで、くれ」
「っだ、が……」
「同田貫ぃ……ッ奥、疼いてッ止まらない、のだ……」
咥え込む肉鞘はぐずぐずで、優しく奥へと誘う。婀娜めいた囁きは甘美に掠れて、こちらへ頬を擦り寄せそっと唇を食んだ。
何もかもが甘く蕩けそうな山伏を、喰らい尽くしてしまいたかった。しかしそれは、この腕の中の男を穢してしまうことになるのではないか。狂おしい程の愉悦を掻き抱いたまま、同田貫は終の声を聴いた。
「おぬしで……染め、てっくれ、ぇ」
「ッ山伏……――!」
「んあっあっ、同田貫ッだめだイくッイクぅっ!」
頭が真っ白になり、宙に浮くような心地だった。温かな微睡みの中己を呼んだのは――。
濃密な匂いと熱気に苛まれながら、深い絶頂に痙攣する山伏の躰を抱き留める。二振りの腹を汚した薄い粘液が、皺の寄った布団へ滲んだ。浅い呼吸は未だ内で滾る焦熱をゆっくりと冷却し、腰を揺すって密路を充たす白濁で掻き混ぜる。
「んっ……ふぁ、んん……」
余韻に啼いて焦点をこちらへ合わせた山伏が、婉然と笑う。
「す、凄かった……」
「ん、ああ……そうだな」
余裕ぶっているようにも見えたが、顔を赤くしているところを見るに、若干の落ち着きとともに理性と羞恥が戻ってきたのだろう。己としても恥ずかしい台詞やら、がっついてしまったのだから大差ない。
「……な、もっかい」
その上、人間の若い肉体というものは加減も限界も知らないのか。何度貪り尽くしても足りない。きっとこの男は骨の先まで甘いのだろうと、沸いた思考は正常さを欠いているようだ。
「カカ……いいぞ、おいで」
「っ……そういうの、他のやつにやるなよ」
両手を広げ誘う山伏にこちらまで頬が熱くなってくる。
「そういうの、とは……?」
「わっ分かれよ……!」
ああもう、この男の無意識の煽情が恐ろしい。仕返しに喉元へ吸い付けば、ヒクリと痙攣が伝わる。急所に歯を立てられ笑う、その心積りなどもう、分かりきっているのに。
「あんた、相当だな」
甘ったるい言葉や関係に浸る気も、甲斐性も互いに皆無だろう。明日どちらかが、もしくは両方が折れるとも分からない場所だ。「しあわせ」は望まない。ただ。
「まぁ、俺も大概か」
じっと双眸を覗き込む。眦の滲んだ紅が縁を彩り、見上げる深紅が蕩けてゆく。
もっとこの男の表情が見たい。何を考え、何が好物で、まだ見ぬ景色に何を思うのか。出来るのならばこの先限りなくずっと、誰よりも傍らに在りたいとそっと願う。
この感情を抱くのは、必ず陽が登るのと同じ程の――。