濡れる
長く滞っていた梅雨がやっと明け、からりと晴れた夏の雲が天に昇る様を木々の間から見上げた。額を生温い汗が伝い、不快感に瞳を顰める。生い茂る森の緑は影を作るが、刺す様な日差しは容赦なく隙間から降り注ぎじわじわと体力を奪っていく。時折頬を撫でる風に、熱を孕んだ息を吐く。
「アイツ……何処に居やがるんだ」
暑さで思考も溶けそうだ。今朝の歌仙の鬼の様な顔が脳裏にありありと浮かぶ。食事当番である歌仙は朝の鍛錬を終えた同田貫に告げた。
「山伏くんはまた山籠りかい? 僕一人で本丸の男士全員分の食事なんて作れるわけないだろう、今日中に連れ帰って来てくれよ」
盛大に溜息を吐きながら、整った貌を歪めて本丸の近侍が愚痴っていた。山伏は時折審神者から山籠りの許可を得ては一週間近く戻って来ない事もざらである。それを連れ戻すのは彼の兄弟か同田貫の役目になりつつある。修行と言っては山へ登り、いつであったか二月程帰還しなかった時は流石に審神者も謹慎処分と言い数日内番を言い付けたが。
垂れる汗を拭い、ひたすら脚を動かしやがて開けた場所に出た。轟々とした滝の音が耳に入る。視線を向けると飛沫に打たれる人陰が見え、探していた男を見つけ立ち止まる。
「おい山伏!」
しきりに動いていた口が閉じ、反対に開かれた双眸が声を掛けた男を捉え、山伏が立ち上がる。そのまま川に入ると濡れて張り付いた青碧が陽光を照り返し艶めいていた。
「応、如何した、同田貫殿!」
呵々と笑い声を響かせながら、滝の音に負けない快活な声が届く。白装束が水面に揺れ光を反射して煌めいていた。
「今日お前飯当番らしいじゃねぇか、お前を連れ帰らないと俺が晩飯食いっぱぐれちまう」
「む、忘れておったな……迎えに来てくれたか、感謝致そう」
気の抜けた笑みを向けられる。引かれた目弾きが薄っすら落ち、色鮮やかな青碧からも水が滴り落ち肌に張り付く白装束からは素肌と躰に刻まれた焔が透けていて、見てはいけないものを見た気がして同田貫は顔を背けた。
「この暑さだ、おぬしも還る前に水でも浴びぬか?」
「俺はいい」
「汗だくではないか、冷たくて心地良いぞ」
「だからいいっつって……!?」
眩い笑みに見惚れて、濡れた足場に脚を取られ視界が揺れる。次いで全身を川に浸し、驚愕の貌で固まる山伏を見た。
「……! 大事ないか?!」
「……ハァ」
帰りもまた同じ道を通り炎天下にさらされるからと断って結局ずぶ濡れだ。
「同田貫殿?」
「たまにはお前の修行に付き合ってやるか」
濡れた髪を掻き上げ、はにかんだ笑みを見た山伏が再び固まった。
「ン? どうしたよ」
「む、いや、その」
「山伏?」
「おぬしのその髪型は見慣れぬのでな、うむ、少々面食らった」
何処か弱々しく笑い、顔を赤くした山伏が手を伸ばす。耳に触れた指先は熱く、こちらを見下ろす双眸には色が含まれている気がした。