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※2019年3月たぬぶしプチ無配​

Aphrodisiac incense.

 きっかけは些細であったと記憶している。瞑想の際、写経を行う時は、山伏は審神者へ希った香を炊く。それは他の男士、例えば数珠丸恒次といった者と共用しており、より手軽で携えている塗香も同じだ。だが同室で番う刀は、己のものだけ違うと言った。それが妙に引っかかっている。
「同じだと思いますが」
 はらはらと散る薄紅の花弁がよく似合う太刀は、湯呑を置き呟く。所作はゆったりとして丁寧、心地良い低音が、春先に相応しい桜の景趣の濡れ縁で、山伏は江雪左文字らに呼び止められ、不意に思い出したことを尋ねた。思っていた返答にやはりな、と唸る。
「……彼は鋭いですから、もしかしたら違いがあるのかもしれませんね」
 薄く笑う江雪へ、山伏も笑みを返す。人の身は汗を掻くし、洗濯や洗髪の匂いにもこだわりがあったり共用であったり、確かに本丸のどこも等しく同じではない。畑の土の匂い、花木に厨、風呂だって入浴剤が異なれば違う。何より天候や四季折々、様々な香りに溢れているのだ。
「そうやもしれぬ。拙僧も、彼奴はよく甘い香がすると思っておった」
「おや。それは私も気が付きませんでした……」
 緩く眼を瞠り、山伏は首を傾げる。各々語り合っていた周りからも「そうか?」と疑問の声と、「香りといえば」と別の話題を繰り出す者が出始めた。
「こないだ万屋で香水が売ってたよ」
「あ、それぼくも見ました! お花の匂いがして」
 あれは薔薇、鈴蘭もあったと、賑々しい会話へそっと耳を傾けながら茶を啜る。そして話は転々とし、その内の一つに強く惹かれた。欹てる山伏にも二振は気付かない。「異性を誘う香があるそうだ」
「花や香木なんかから抽出した油を使って気分を和らげたり、痛みを緩和したりする。より身近になってからは身に付けたり按摩に使われるし、調合次第で様々」
 支給された端末を操作して、植物の効用の項をなぞる様子を覗う。
 会話し、思考する以外にも、見たり触れることで人は様々な感情を得る。事実彼と共にいると安らぎや幸せを感じるのだ。嗅覚もまた同じなのだろう。
「……ふむ」
 ほんの思い付きだった。意識して香を変えてみて、同田貫は気付くだろうか。彼を試すというと聞こえが悪いが、己も彼の纏う香をより感じられるかもしれない、皆が気付かない違いの正体を探れるやも。山伏は茶の礼を言うと、自室へ向かった。
 まずは端末で知識を収集する。あけすけな催淫香という名前に、恋人との熱い一夜を過ごすための方策だとか、精力剤なんてものまで出て来た。
 ひとまず万屋へ赴いてみれば、名の通り精油と簡単な調合の道具一式をあっさり揃えられてしまう。さて、いきなり試してみるのも、と取り敢えず安眠効果のある配合でひと晩。元々寝付きはいいが、すっきりとした心地で目覚められ驚いた。確かに効きそうだ。
 他にも防虫剤に消臭と有用なものが続き、同田貫が長期遠征から帰還する晩、山伏は実行を決めた。
 
 和紙を折り作った花へ、希釈した香を吸い上げさせる。さらに枕元には同じ香油を灯し、自らにも吹き掛けて、禊ぎ待つ。
 結果から言えば、特に得られるものはなし。帰ったぜ、疲れたからもう寝るわと、無情にも火を消され、布団へ入れば一分も立たず寝息が聞こえ、山伏は項垂れた。
 数日の間試すものの、短期ではあるが夜間の遠征で就寝時間がずれ込んでしまい閨へ誘うのすら気が引けた。七日目の晩、満月に夜桜散る幻想的な美しさに見惚れながら、今宵で最後と残り少ない配合油を吹き掛けた。行燈は室を照らしながら、彼を誘う香を燻らせて揺らめく。
 夜半、昨晩よりも深い宵の刻。冷たいだろう廊下を近付く足音が止まり、襖が開かれる。遠征は明日はないと、欠伸を漏らしながら同田貫が告げた。
「……風呂に入ったか? 今日は洞窟にある湯らしいぞ」
 場所は失念したが、変わり種温泉しりーずといったか。内番着のまま、明朝湯浴みするつもりだろう情人を見上げ、態とらしく風呂上がりだと念を押す。繰り返す遠征に疲れ果て連日朝風呂というのも知っていたので、山伏はもう「なんか変わったか?」程度の指摘でも終了でいいかと考えていた。本丸にいる間は髪も伸びないし、年がら年中繕っては新調するのでおろしたての流行りの服でもないけれど。
「……」
「同田貫?」
 ここ数日すぐ逸らされるばかりの視線が注がれていると気付き、山伏は無意識に背筋を伸ばす。見られている。沈黙、後微かな衣擦れの音と、肩へ触れる掌の熱を感じた次の瞬間、布団の背を受け止める布団の柔らかさに胸が高鳴った。気付いてくれたろうか。こちらを見下ろす恋人は、煌めく金の瞳をゆっくりと細める。
「……っ!」
 近付く気配に眼を閉じれば、唇に鋭い痛みが走った。驚愕に瞠った両の目が、間近の弧月に囚われる。月の男は、血の滲む山伏の唇へ再び顔を寄せると、痛みに眉を顰めるほど強く吸い上げた。訳のわからぬまま、深紅を舐め取る情人を見上げる。
「……は。やっぱりな」
「っ……?」
「お前最近、匂い変えたろ?」
 何故噛まれたかは分からないが、気付いたことは純粋に嬉しかった。曖昧に返事をすれば、打って変わって甘やかな口吸いに、疑問符を浮かべつつ舌を絡ませる。一気に距離の縮まった分、今更のように同田貫の甘い匂いが鼻腔へ広がってゆく。首筋を優しくくすぐるような愛撫に、組み敷く相手へ身を委ねた。
「ん……っどう、であろうか……?」
「ああ。お前はやっぱ、素直じゃねえなってな」
「え、っ?」
「気付かない筈ないだろ」
 初日から勘付かれていたのだろうか。知らぬ振りをしていたのか。冷たい掌に胸を弄られ、刺激を欲する頂を擦られ肩が跳ねる。
「ッ、う」
「興奮させる匂いとかって、さり気なく誘ってやがったんだろうがな……国広、」
 鉄臭い口吸いと、押し付けられる股座の硬さと熱。甘い香は、鋭い光を放つ双眸を細める刀自身から漂ってきていた。そうだ、この匂いだ。甘党で、ぶっきらぼうながらも優しい彼の愛撫のように、夜毎囁く言の葉のように。
「だがな国広、俺にとっちゃ、お前の血の匂いが一番のフェロモンだよ」
「……?……」
「〝あだっぽさ〟ってやつ」
 雄々しく強い色香を放ちながら、吐息を耳へ吹かれ背筋を確かな快感が抜けてゆく。
 同田貫は額に汗を浮かべ、昂奮し掠れた声で嫣然と囁いた。
「煽った責任、取ってくれんだろ?」
「っぁ……!」
 酷く甘い匂い。思考を支配する催淫香を放つ番を、山伏は恍惚と見上げた……。
 
 
 

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