top of page

 この本丸には、あまり喫煙者がいない。

 

 雨の気配には独特の匂いのようなものを感じる。雲行きは穏やかであったのが数刻前、のどかな晴天はあっという間に黒く翳っては、雨粒は大きく激しく頭上から降り注いだ。
 申し訳程度に手で傘を象りながら目的地へ小走りに急ぐ。片腕は湿気が大敵な煙草の包みを死守するように胸元へ。郷に入っては郷に従え、二十三世紀の司法とて一度は途絶えた分煙を掲げ、喫煙者は肩身が狭いと壮年の現主人が嘆いたのも記憶に新しい。
 自分を含め、殆どが税金の至高の嗜好物をたしなむ者達の楽園ーー雨に掻き消されない独特の燻したような香りが鼻腔を擽り、胸が踊る。
 男士とて好みは千差万別。食事の好物も異なるように、煙草の好みも選り取りみどり、とは大袈裟だが。煙管に葉巻、はたまたハッパから自作する変人や水煙草一式を揃えた猛者まで、煙を嗜むとはよく言ったものだ。己はといえば、いつかの元主人の一人が好んでいた銘柄だったと記憶している。取り立てて高級でもない、タールも匂いもキツい安っぽい味ではあるが、一息肺へ入れた瞬間から分かるいかにもな煙草感が結構気に入りだ。とはいえ最初は咳き込んでばかりでまともに吸えた訳ではなかったが。傍で笑っていた奴が吸い方のコツを教えてくれたのを憶えている。
 有り合わせの材料で拵えた喫煙所は、雨風の防げるだけ立派な殆ど廃屋で、扉とは名ばかりの板へ手を掛ければ軋む嫌な音がする。先客がゆっくりとこちらを見た。黒雲に曇る遠景に滲む青空色が、暗褐色の双眸が白黒の視界に鮮やかに映える。
「よぉ」
「……」
 組んでいた腕を解き、山伏がかすかに笑う。顔全体、躰全部を使うようないつもの笑い方ではなく、眼を細め口角を僅かに上げるだけの、往年のモノクロ映画の俳優得意のニヒル、という具合だ。山伏は気怠げに白煙を吐き出すと正面へ顔を向け、雨音の激しくなる一方の外を眺める。隣へ並び立ち早速懐を探るが、マッチが見当たらず咥え煙草のままジャージのポケットを漁り出すと、大柄な躰を傾げ視線で訊ねられた。
「悪ぃ、火貸してくんねぇか」
 徐ろに瞬きひとつ、屈んだ男は相貌をこちらへ近付けてくる。伏せた双眸は色濃く影が落ち、眦の紅は一層鮮やかで、物憂げな表情はなんとも言えない色香を纏う儘に眼前でぼやけてゆく。近過ぎる距離に思考も止まり息を呑んだ。
 咥えた煙草同士が触れ合い、灯が移る。今更のように跳ねた心臓は離れてゆく相手に聞こえていやしないか。
「……?」
 ぽろ、と折角着いた煙草が地面へ落下した。山伏は怪訝な表情で見下ろすが、こちらはそれどころじゃない。色気が紫煙を燻らす様を見せ付けられて、元気にならない情人が居ようか。無事な方の煙草を奪い、追う視線を絡め取り唇を塞ぐ。見開かれた赫灼に射られて、容易く情欲に火を灯される。
「んっ……ぁ、っ」
 逃さないと後頭部を手で押さえ、角度を変えながら舌を捩じ込む。迎え入れた口腔は苦味が強く、舌先から痺れる刺激が堪らない。一際強く水音を響かせ、追いやりかけた理性が辛うじて戻ってきた。よろめいた躰を支えてやり、ほんのりと赤く染まった顔を見上げる。
「っ……」
 蕩け熟れた双眸が足りないと訴える。官能の誘惑からやっとの事で目を逸らし、奪った煙草を咥えたままその場を立ち去った。最早味も分からなかったが、僅かに舌先に残る甘さが脳髄まで広がる心地だった。


 婀娜めいて、淫らに濡れた紅蓮が強請るように揺れる。更ける夜を縫い留め堪らない媚肉を貪れば、甘やかな官能は咽び啼いてもっととせがむ。煩悩すら灼き尽くす焔が蠢いて誘い、縋る肉鞘へ注いだ白濁は壺から溢れ伝った。
「っ……あ゛、っ」
 幾度目かの吐精後、頽れる躰から自身を抜くと、絶頂の余韻に耽りながら腕の中の男は狂おしく震える。山伏は大きく息を吐いて、未だに治まらない聳え立つ肉刀へ躰を引き摺って近寄ると、今度は口へ銜えた。後孔と同じくらい熱く滾る粘液に抱擁され、断続的に襲う悦びの高波に浚われる。ややあって吐き出された粘液を、恍惚と注がれた太刀はゴクリと腹へ収めた。
「……苦い」
「別に飲み込まなくたって」
 一転顔を顰め唸る情人の頭を撫ぜる。上目に見上げて擦り寄ってくる様子は大型の獣を思わせ、口端を汚した飛沫を拭ってやる。
「……お前の子種であると思えば……まぁ良いかと」
 萎びた牡茎をやんわりと擦られ、陶然と呟く声色はどこか浮ついて、甘美に鼓膜を揺さぶった。
「生命を育む種であるものを、拙僧が食らうことは……何の意味も為さぬ」
 一抹の寂しさを窺わせる愁い顔は、ともすれば慈愛に満ち溢れ、たっぷりと熱液を蓄える下腹を愛おしそうに撫でながら眦をうっとりと細めた。
「であれば……どれだけ肚がくちくとも……疼きは止まらぬ」
 ちゅ、と口を窄め猛る雄幹を舐り、山伏は丹念に棹を愛撫する。滲む欲汁を啜ってはとめどなく、艶めく笑みに彩られて、励まされた象徴は天を向く。
「口寂しさに煙草やこうして……これを咥えたりしておる」
 倒錯していると感じる。二振りの関係そのものが無意味で、不毛な交歓行為であると。肩口を吸い上げ痕を遺し、覆い被さって口吸いを施す。
 苦く甘い、綯い交ぜの味に血潮が沸き立ち、チリチリと思考の端が焦げてゆく。胸中を満たす快感が総身を駆け、貪欲な己が責め立てる。
「んっ、ん゛、ぅ、ふあ」
「っ……はぁ、はっ」
 蕩け切った焔は妖しく色を湛え、形を覚えた楔に貫かれ随喜に打ち震える。深い愉悦に、掠れた嬌声がくぐもって零れた。
「まだ入るか」
 嵩張りが泥濘を突けばぐちゅん、と淫靡に応え、締め付ける襞はうねりながら奥の洞へ手繰る。
「……では、もう少し」
 笑みを含ませる口ごと塞ぎ、虚を埋めるように腰を合わせる。手足を、指を絡め合い、房事は夜の白むまで続いた。

bottom of page