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​※現パロ

水面の月

 

 出来上がった料理を並べるためにクロスを敷く。河原に咲いていた秋桜を数本拝借してきたのでそれもシンプルな花瓶に生ける。エメラルドグリーンはあいつの好きな色だ。モノトーンばかりの俺の部屋は、あいつが来てから随分とカラフルになった。
 無機質だった白の壁には知り合いらしい画家の個展で買った夕陽の海のオレンジ。休みのたび借りてきては映画を見ながら寝てしまう黒のソファにはピンクや黄色、水色といったパステルカラーのマカロンクッションが転がり、ステンドグラスランプからは光を通し淡い翠や薄藍が仄かに照らしている。
 蓮の花を模した香を炊きキャンドル灯せば準備は完了だ。丁度待ち合わせた様にチャイムが鳴り、エプロンを解くと玄関のドアを開いた。
「ただいま、同田貫」
「おう」
 にぱりとその八重歯を見せ幼く笑うのは俺の同居人、山伏だ。一応フリーライターなんてもんをやって、マイナー雑誌のコラムやらブロマガを執筆している俺は、まぁ色々あってこのでっけぇ犬みてーな男を拾って一緒に暮らしてる。
「牛乳買ってきたぞ」
「あー、サンキュな。買い出し行ったのに忘れちまってな」
「珍しいこともあるのだなぁ」
「うっせ。早く着替えて来いよ、腹減っただろ」
「うむ」
 山伏は俗に言うスタントマンってやつだ。何食って育ったかマンションのドアを屈まないと通れないくらいの図体だが、しっかりと筋肉のついた分厚い躰でも結構身軽で、流石普段から鍛えてる奴は違う。俺もジムには入ってるが、生業にする様な相手には敵わない。
「ん……お前随分肩凝ってんな」
「む? そうであろうか?」
「後で肩揉んでやるよ。つーかお前な、いつも言ってるだろうが、スタントやってんなら自分の躰の調子に気を遣えっての」
「うぐ……仕方あるまい、これが仕事である」
 それはそうだ。こいつの仕事場は一度だけ付いて行ったことがあるが、常に危険と隣り合わせ、油断すれば怪我だけではすまない事にもなる。それに己の身一つでスタッフからの指示に答える訳だから、相当気を張ってる筈だ。眉を八の字に下げ笑う山伏はどこか気の抜けて頼りなく、危なっかしい。
「今日はリクエストの鮭のムニエルだ」
「おおおお! 美味そうであるな!」
 キラキラと眼を輝かせ、チーズを炙って乗せたムニエルと魚介のスープ、シーザーサラダと十年物の白ワインをテーブルへ次々乗せてゆく。両手にナイフとフォークを持ち涎を垂らしそうな山伏の向かいに座りながら、本当にこいつは俺より年上かと考える。
「店も開けそうであるなぁ」
「やだよ面倒くせぇ、自分とお前に作るだけでいいんだよ」
 残念であるなぁとぼやきながら注がれるワインを見つめていた山伏が俺を見る。近くで見ないと気付かない赤褐色の瞳がすう、と僅かに、ほんの僅かに細められる。
「だが、おぬしの料理を独り占めできるのも、悪くはないな」
 テーブルへ付いた手を大きな手が包み込む。どきりと心臓が跳ねた気がし、急に顔が熱くなってくる。顔色が赤くなったのは笑いを堪え切れていない山伏を見れば一目瞭然で、悔しくて「さっさと食おうぜ、冷めちまう」と言った俺の声は無愛想であったと思う。
「うむ、美味いな!」
「そいつはどうも」
「味付けも良く素材の味も楽しめる、そこらの外食よりも美味いぞ!」
「それ褒めてんのかよ……」
 むぐむぐと頬を膨らませて頬張り、蕩けそうに顔を緩ませて食べる山伏はまさに幸せそうで、見てるこっちも幸せだと感じる様なそんな顔だ。作った本人としてはやはり嬉しくて、頬杖を付き眺める。大口を開ける山伏は一口がでかいが、食べ散らかすということもなくむぐむぐとよく噛み締め、パァッと顔を綻ばせるのを繰り返す。見ていて飽きない奴だ。食材としてもこんなに美味そうに食ってくれる奴なら幸せなのかもな、と変なことを考えた。
「お前は本当、花より団子だよな。ああ、今日は月より団子か」
「む、失礼な」
「ほれ、弁当こさえてんぞ」
 口元に付いた食べかすを摘み、見てみろと目の前に突きつける。すると何を思ったか山伏は無言で顔を近付け、そのまま俺の指ごとぱく、と咥えた。生温い口内は熱く滑って、分厚い舌が指先を舐っては八重歯が爪にやんわりと当てられる。
「ッーー」
 突然のことに思考が停止し固まった俺を上目で見上げ、山伏もはたと気付くと慌てて口を離した。茹で上がった顔で口元を押さえぷるぷると震えており、まるで俺が悪いみたいじゃねぇか。
「つ、つい……ッ」
 ついって何だよ、ついって。まさか他でもやっているんじゃないだろうな。しかし恥じらい身が縮こまる山伏に何だか俺の方まで恥ずかしくなってしまい、互いにまるで初デートのカップルみたくもじもじまごまご、正直滑稽だろう。
 そのままなんとなく会話も無く食事を終え、未だ顔は熱いし視線を合わせない山伏も顔が赤かった。しかし山伏はそうだ、と顔を輝かせ立ち上がると、パタパタと台所へ消えてしまう。程なくして、袋を掲げてニンマリ。
「今日は十五夜、中秋の名月というやつであろう?」
 袋から日本酒を取り出すと山伏が悪めいて笑う。先程いそいそと冷蔵庫にしまい込んでいたのは酒だったかと、良いねぇと笑い返す。俺も山伏も相当の酒豪ってやつで、早速部屋の電気を消しベランダを開け放つ。
「あっ、曇ってら」
「何と……」
「でも開けちまったし、飲もうぜ」
「カカカ、応」
 ソファに並んで座り、猪口へ注ぎ合う。部屋はキャンドルの温かなオレンジの灯りだけで、暫く無言のまま、星の少ない暗い空を見上げる。遠くでたまに聞こえる車のエンジン音以外は何も聞こえない。先日仕舞ってしまった風鈴が残っていれば、疑似的に秋虫の様に演出出来たかもしれない。
「静かであるな」
「……そうだな」
 ちびちびと猪口を傾ける俺と違い、山伏は最初に一気に仰いでからはゆらめく水面を遊ばせるだけ。
「しんみりしちまうなぁ。そうだ、明日は映画行くんだろ、覚えてるよな?」
「無論、明日は休みを頂いておる。勧められた映画があってな、カップルで行くといいと聞く」
 ぶっと吐き出してしまいそうになり、山伏が慌てて背を摩る。体温が高い山伏の手が触れた部分が温かく段々と落ち着いてきた。危なくフローリングを汚すところだ。
「カップルってーーまさかお前、」
「男とは言っておらぬぞ」
「いやそういう問題じゃねぇよ! 第一、俺はお前が出てる奴が良いんだよ」
「そんなものレンタルで見れば十分であろう」
「いやいや何言ってんだお前、今度のは自分でもいいアクション出来たって言ったろ。見たいんだよ、お前のカッコイイとこ」
 ぎょっとして背を撫でていた手を離し、山伏は顔を背ける。山伏は俺に自分のスタントシーンを見られるのが苦手らしく、特に一緒に見るのが駄目らしい。出会った時、当時人気だし俺も好きだった特撮のスタントを担当していると知り相当興奮したものだが。
「格好良いなど、そんな……」
「顔を見せないのが勿体無いっていつも思うよ、お前はこんな男前なのに」
「よ、よせ、やめてくれ……」
「もっと見せてくれよ、お前を」
 耳まで真っ赤になる山伏の手を取り、指先を絡めた。ひく、と肩が震え、あ、とかう、とか、戸惑う声を無視してソファに躰を押し付ける。山伏は大柄なので、わざと乗り上げる様に擦り寄れば長い脚を折り畳み逃げ腰になる。男二人じゃあどうやっても狭いソファが軋み、端へ追い込まれた山伏が、少し潤んだ瞳で俺を見上げた。
「あっ、ま、さくに……」
 視線を逸らさず、敏感な指先へ口を寄せた。指の腹で摩り、扱く様に擦り合わせる。唇を指の付け根に移動し、舌で舐め上げた。
「あっ……ふ、っ」
 山伏は弱々しく震え、口元を押さえ熱い息を零す。赤い瞳は物欲しそうに揺れ、俺を煽っていた。かくつく腰も無意識だろう、猪口はどちらもテーブルへ置かれ、既に酒を飲む空気ではない。
「あすっは……映画にッ」
「午後から出ればいい」
「せ、せめてシャワーをっ……」
「一週間ぶりなんだ、これ以上お預けは御免だね」
「うぅ……ッ」
「お前から誘ったんだぜ。知ってるか? 満月はヒトを狂わせる、ってな……」
 俺はこの男の高潔でどこまでも高く理想を追い求めようと取り組む所が好きだ。現状に満足せず、修験者の様に己に厳しく真っ直ぐと、それは仕事でも、私生活でも変わらない。傍で支えてやりたいと思ってる。
 だが俺はそれ以上に、こいつに夢中だ。手を離れてどこか行ってしまいそうで、俺はそれがどうしても嫌で。
「はっ……あ、っ」
「国広」
 膝を割り脚の付け根へ指を這わせる。スラックス越しに分かる緩く立ち上がる欲望に、常に禁欲的である山伏とのギャップに頭がクラクラした。こいつも欲情している。そうさせたのが己だという事実に、堪らず笑みを零す。
「ふぁ、ん……ッ」
 色付いた唇が物欲しげに薄く開き、いざなわれるまま顔を寄せる。蕩けた蜜色の中に俺の眼が反射して、まるで水面の満月の様だった。

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