心臓に一番悪い相手
驚いたと己の胸に手を当て、太刀は瞳をまん丸にし隣に立つ男を見やる。驚かせたがりなどこぞの白装束の太刀ではなく、巨躯をものともせず戦場で身軽に法衣を翻す大薙刀は、尖った歯を見せながら口角をあげた。
「その顔だと気に入ってもらえたようだな」
「山籠もりで何度も訪れていたが、まさかこのような場所があるとはなぁ」
太刀の心底感心した呟きは上擦っており辺りに響いた。足場も悪く修行に向かないと避けていた滝の裏の洞窟の奥深く、途中屈んでやっと通れる狭い洞を抜け、開けた深層部に並んで立っている。
「今剣らと遊んでおった折見つけたのだ」
岩融が大きく伸びをする。何せ二振りとも大柄で、頼り無い松明の照らす狭い道を辿って来ていたため、内番服が泥だらけだ。黒曜石に似た色をした聳え立つ岩が炎を反射し長く影を造る。静寂が心地良く冷たくも澄んだ空気を吸い込むと、微かな清流の音を捉える。
「成る程、山の水源はこの洞窟なのかもしれぬな」
「分かるだろう山伏よ、ここは清廉な澄み切った空気に満ちている」
茜色の目を細め、岩融が綻ぶ。邪気など一切無く、清流が全てを洗い流す様に、清浄な気配が全身を覆っていた。
「うむ……実に心地良い」
岩融へと顔を向け、静かに微笑みを向けた山伏がしみじみと呟く。揺らめく暖色に照らされるその表情は穏やかで、落ち着いた低音が紡がれる。
「ありがとう、岩融殿」
静謐さを湛えたまま笑いかける太刀が身を寄せ、互いに手甲と手袋を外していたために直に手が触れ合う。指を絡ませ、暫く見つめ合っていたが先に岩融が顔を背ける。僅かに頬を染め肌寒いなどと腕を回し飛び退けば、勢い余って立てかけていた松明を蹴り飛ばしてしまう。
「ぬあっ!」
しまったと思ってももう遅い。濡れた岩肌を転がった松明の火は消えてしまい、辺りには暗闇が覆い尽くしてしまうかに思われたが。
「……!」
「これは……」
ぼうと浮かび上がる、青白い光。幾つもの星の煌めきに似た、仄かで柔らかく洞窟一杯に広がる不可思議な光が二振りを照らした。
「石の成分が光っているのか……?」
「何とも面妖であるなぁ……」
足下に目をやれば同じように青く光り、水面に反射して幻想的な光景が広がっている。
「知らなかったのか?」
「うむ、暗闇でのみ光る成分を含んでいるのやもしれん。俺が来たときは明かりがあったからな……」
「害はなさそうだが……む、?」
「山伏……」
気付けば、山伏は岩融の腕の中にいた。肩口に唇が当たり、いつも付けている香が薫る。豪快に笑う顔が形を潜め、神妙に囁かれる。触れ合う肌はしっとりと暖かく、そのまま身を委ね大人しく背に腕を回した。
「嬉しいぞ、山伏。そなたと、この様な光景を拝めたことを」
「……何だ、怖いのであるか?」
「そんなわけ無かろうが」
悪戯に微笑めば抱き締める力が強まる。山伏は内心、心音が伝わらないか冷や汗をかいていた。先程から、と言うよりは、ことあるごとにまるで子供のように抱きついてくる恋仲の男を愛しく想い、応えてはいたが正直恥ずかしいのだ。煩く鳴り響く胸の内が痛む気すらする。力強い腕を、幼くも見え凛々しくも見える顔を、心底慕う己を認めてしまうのはまだ恥ずかしく。まったく仕方ないな、と余裕綽々なふりをしつつ誤魔化し続けるのもいつまで持つか。
「震えているが寒いのか」
「……ああ、暖めてはくれぬか」
顔から火が出そうな程熱いと悟られぬよう、顔を押しつけた。一層香と抱き締められる強さが増し、じんわりと胸中に広がる充足感に浸る。くっつけた躯越しに笑い声が響いた。
「拙僧も……おぬしと同じ景色を共有できて嬉しい」
紛れもない本心を、素直に告げる。手を伸ばせば触れられそうな光へ伸ばしかけた手を、愛しい男の背へと再び回した。静かに見下ろす光は、二振りを祝福するようにいつまでも輝いていた。