top of page

#11月24日はいいたぬぶしの日

これまでも、これからも


 良く晴れた日だった。鮮やかな美味い秋もあっという間に過ぎ去り、吹く風が躰を震えさせる冬の始め。色の無い空が地上の色を覆い隠してしまう前の、暫しの休息日といった風の小春日和。赤よりは黄色のお天道様が柔らかに日差しを寄越している。
 山伏国広が太刀は堀川派自室の襖を開け放つ。人影はなく、我が兄弟は偶の非番も新撰組の集いへ堀川に引っ張り出されて参加らしく、既に畳まれた布団が二組。本丸の最古参は刀剣らにも頼りにされており、主不在には近侍として本丸を立派に纏められるのだから、もっと自信を持って欲しいものだと考えてしまうのは兄の過保護というやつだろうか。
 朝餉当番の片付けを手伝ったとはいえ、また随分と早い開始だなと思いながら詰めが甘く隠し切れない隅の丸まった寝巻きを洗濯へと三人分抱える。昇る陽はまだ低く、この天気だと洗濯物は山になって二人当番では足りないかもしれぬと、脳裏に浮かんだ男の部屋へ自然と足が向いた。あの仏頂面は嫌がるだろうが、今日は出陣も遠征も無い筈だ。水を吸い重くなった洗濯物は鍛錬にもなろう、と鼻歌交じりに縁側を大股で歩む。
「……獅子王殿、おぬし一人か?」
「おー、山伏」
 襖へ手を掛け覗き込むも寝転んだままの獅子王がひら、と手を振るのみ。大小の体格差の連れ合い二振りの姿は無く、読んでいた漫画本を腹に乗せ欠伸しながらよっ、と起き上がる。器用に漫画は元の頁のまま視線がこちらへ向けられた。
「たぬきなら居ないぜ?」
「そのようだな」
「おかしいな、山伏に用があるって言ってたんだけど」
「入れ違いになったのやもしれぬな」
 人好きのする笑みを浮かべ獅子王が「用事あるなら伝えとくぜ」と提案した。同田貫。名の音感から最初こそたぬきとからかわれては彼の刀は訂正していたが、今では方々から好きなように呼ばれている。山伏はこれを彼の諦めだとか興味の失せたのではなく、受け入れたと密かに見ている。呆れつつも柔和な笑みを思い出し、居ないなら諦めるつもりだったというのに余計会いたいと己の物分りの良くない部分が主張する。
「わざわざ煩わせる程の用ではないのでな、邪魔をしたな」
「おう、気にすんなって!」
 礼を告げると手を振り返し部屋を後にする。実を言うと現在獅子王は髭切らと相部屋であったりするのだが、勝手知ったる元の自室でありああして漫画を読むために立ち寄っている。獅子王だけではなく、割と本丸ではどの部屋関係なく見かける光景だった。自分らとて堀川はよく和泉守と寝ているし、山伏も同田貫と共寝する。そう。件の仏頂面とは『そういう仲』であり、今では大体の周知の事実となっていた。
 縁側のご隠居らに、といっても練度的にはまだまだ現役なのだが軽く声を掛けていれば、遠くから名を呼ばれた。
「山伏ぃ!」
「陸奥守殿か、」
「たぬきちを見かけちゅうか?」
「ふむ、先程から探しておるのだが、残念ながら未だ見かけやせなんだ」
 陸奥守が立っていたのは自分達の部屋の前だ。加えて五虎退の虎を一匹抱えており元気に跳ねる髪を小さい足が玩んでいる。五虎退や鳴狐の連れている獣はもふもふふかふかと愛好家も多い。山伏や同田貫とて例外ではなく、世話を請負うこともあった。
「あやつに何か用事か?」
「おん、おんしも知らんちゅうと、当てが外れちゅうのう」
 己の抱える小虎とは関係ないらしく、笑いながら撫でくり撫でくりじゃれ合う陸奥守を微笑ましいと見下ろしながら、さて本格的にどこを探そうか思考し顎に手を当てる。多少隔たりはあるが廊下は一本道であり、となると稽古場や厨だろうか。しかし相手もこちらを探しているとあれば迂闊に動き回れば入れ違うばかりだろう。
 堂々巡りとなった山伏は一先ず洗濯物を届けねばと陸奥守と別れ、裏庭へと脚を伸ばした。陽は大分登り久しく空気は暖かで、カラリと晴れた日差しは眩しい。
「やぁ山伏くん、随分と遅かったね」
「済まなんだ、もしや終わってしもうたか?」
「まだまだ。久方ぶりの洗濯日和だからね、腕が鳴るよ」
 畑や厩番に比べれば心底楽しそうに山積みの洗濯物を泡立てながら歌仙が声を掛けてきた。他にも粟田口が数振り、洗い終わった洗濯物を竿に干しては笑い合っている。当然探す影は見当たらず、手掛かりもなく途方に暮れかけたその時声が己を呼ぶ。そうそう山伏くん。
「同田貫くんが君を探していたよ」
「ここに居たのか?」
「少し前までね。畑の方に向かったよ」
「そうか、助かる! ……手伝いは要るか?」
 思わず駆け出してしまいそうな脚を踏み留まれば笑われてしまう。どうやら我々のことはお見通しらしい。
「君こそ彼に用事があるんだろう? 僕はそれが汲めない程野蛮ではないつもりだけど」
「……ありがとう、歌仙殿」
「お礼は今度畑当番の時にでも頂くよ」
 そもそも洗濯の手伝いに誘う用事だが、いつの間にかすれ違うばかりの相手に会うことが目的になってしまった。乾いた地面を蹴りながら歩けば、やがて視界が開け広大な畑が眼前に広がる。四季の旬を短期間で収穫出来る奇妙な畑には食べ盛りの男士達の腹を満たす米と色とりどりの野菜とが整然と植えられており、先日とある本丸で見たという一人でも畑を耕せる絡繰が欲しいと主と会計担当とで揉めていたりしたが、残念ながら予算の都合で無理となったようだ。金色の稲穂の中心に背の高い槍を捉え、山伏が叫ぶ。
「御手杵殿ォ!」
「ん、山伏か?」
 帽子と軍手を外し、天下三槍が一振りは破顔した。ひょこと稲を避けながら山伏の側へ駆け寄ると、頬に泥を付けたままどした、と尋ねられる。
「済まぬ、作業の邪魔をしたな。同田貫がこちらに来なかったか?」
「んあ、来てねぇけど? あんたんとこ行くって言ってたけど会ってないのか?」
「こちらも探しているのだがすれ違うばかりでな……」
「はは、あんたらでもそんなこともあるんだな」
 汗を拭いながら朗らかに笑う御手杵と反対に、山伏は笑みを潜め嘆息した。もどかしい。広い本丸で毎日顔を合わせていても、彼がどこにいるか検討もつかないとは。
「あんたはあんたで探してるのか。じゃあ、あいつはあんたが行きそうなところ探してるんだろうぜ」
「……?」
「部屋に戻ってみればいいんじゃないか?」
 片目を瞑り御手杵が離れを指差す。山伏は言われた言葉を反芻し、俄に頬を染めた。近過ぎる距離感で気付かずに同じような足跡を辿っていたと、よもや自らで思い至れぬとは。
「……相わかった、戻るとしよう」
「恥ずかしがることはないさ、あいつ多分気付いてないよ」
「うぬ……」
 しっかりなと背を叩かれ勢いに噎せれば御手杵は笑っていた。


「……どこ行ってたんだ」
「おまえこそ……」
 特に約束があった訳でもない。やっと巡り逢えたなんて御伽噺のような甘い雰囲気は我らには似合わない。障子の隙間から差し込む陽が、座り込んだ男の黒い装束を白っぽく照らしている。
「本丸中で互いに探し合ってるって噂になってっぞ」
「特にこれといった用事もなかったのだが……」
「……まぁ、それは俺もおんなじだがよ……」
 仏頂面は頭をがしがしと掻き、空いた手が隣をぽんと叩く。促されるまま隣へと座ると、頰杖を付きながら見上げられる。
「……今日は天気が良いだろう?」
「そうだな」
「きっと洗濯物は山のようで、手伝いにでも誘うつもりであった」
「俺が行った時はもう藤四郎達が大勢いたぜ」
「うむ、要らぬ心配だったな」
 ポツポツと積もる話でもなかったが、奇妙なすれ違いの顛末を言い合う。微妙な距離感のまま、視線は交わされることはない。
「……俺もな、天気が良いからって、お前誘って昼寝とかしてぇな、って思ってたんだが」
「まだ昼前だぞ?」
「……最初は鍛練でもしてぇなって思ったんだ」
「うむ」
「……でもほら、お天道さんがよう、ぽかぽかしてんだよな」
「……だな」
「それに何でか知らねぇがお前には会えねぇし」
「そうだな」
 突然手を取られ引き倒される。畳に転がりながら、山伏はそこで初めて同田貫の顔が赤いと気付いた。
「正国殿?」
「ったくどいつもこいつも変なやつばかりだぜ。口揃えて今度何をしようだとかどこにいこうだとか、俺達はなぁ、いくさをしてんだよ」
「……然り」
「明日折れるかもしれねぇんだ」
「うむ」
「……なぁ、俺、馬鹿になっちまったのかな」
「……なぜ?」
 ぎゅうとキツく握られる指先からは、確かに愛おしい男の体温が伝わってくる。
「戦場が俺達の生きる場所だ。それは変わってねぇ。明日が来る保証なんてないだろうが」
「うむ」
「でもさ、こうしてお前と居ると、あいつらと居るとさ、明日が楽しみになってるんだよな。明日は一緒に何をしようかなんて」
「……」
「俺が俺じゃなくなる気がしてさ」
「拙僧も、」
 円な琥珀色の双眸がこちらを向く。肩口へ額を寄せ、繋いだ手を己の心臓へ宛てがう。規則的な拍動は、若干早い。
「拙僧も、どういった形であれ避けられない終わりが、本当はずっと怖かった」
「そうか」
「戦場に赴く以上、主に従い刃を交える以上、刀である以上は傷付く者と対峙するのは避けられぬ。ずっとどこかで恐れていた」
「……おう」
「でも、おまえが居るから。斃れる時は独りでも、おまえが傍らに居てくれるから、拙僧はただ前を向いていられる。おまえの背を追いかけられる」
「縁起でもねぇこと言うなよな……」
 どこかで鳥の囀りが聞こえる。互いに抱き合い、ぼやけた視界の向こうではにかむ同田貫へ、山伏も笑みを返した。
「俺は折れねぇしお前も、誰も折れさせやしねぇ。俺はお前のために、誰より強くなってみせらぁ」
「拙僧も誓おう、共に毎日を過ごし、明日を描くと」
「……なんか変な誓い合いしちまったなぁ、このまま昼寝してその後は稽古でもつけようぜ」
 そうだなと頷くと、山伏は半身へ身を寄せる。背を優しく叩く温もりが何より愛おしく、今度主へ頼んで温泉にでも行きたいと告げる間もなく、緩やかな眠りに落ちていた。
 戦場で共に背を預け合う我らの関係はとても奇妙で、だからこそ何ものにも代え難く、侵されることはないのだと、今なら理解できる。例え戦場で散る魂も、無へと還るだけではないのだ。
 意識が沈む中、これからもよろしくな、と囁かれたのは、果たして気のせいか否か。
 

bottom of page