星の瞬き
遠征の部隊長の脇差が、細腕いっぱいに資源を抱えて振り返る。
「ねぇ、あっちの方が賑わってるよ」
「お! なんか祭りでもあるのか?!」
「いってみましょう!」
玉鋼を頭に乗せる真似をしていた短刀達が笑いながら走り出す。江戸時代、戦場とは離れた丘からは何処か城下町を見下ろす事が出来、普段より明るい提灯の灯りと、遠い喧騒を聞き、木炭を包んだ藁包みを抱え直す。
「おいお前ら、ガキみてーにはしゃぐなよ」
「ガキって言うな!」
「ぼくらおこさまでーす!」
「はぐれないようにだけ気を付けてね、ホラ同田貫さんも早く!」
ったく。どいつもこいつも、己よりずっと早く打たれた癖に、祭りなどで暢気にはしゃぐとは。
「綺麗な飾りだね、何だろう?」
「七夕の飾りじゃねぇか」
「たなばたとはなんです?」
夏の夕暮れ後の、熱気の抜けない風に笹が揺れる。五色の短冊が家々から釣られ、店の前にも同じ様に色紙で鮮やかな飾りがぶらさがっている。
「芸事やら詩歌やら、習い事の上達を願うんだったか」
「へー! たぬきは物知りだな!」
「えらいですねたぬき!」
「たぬきじゃねえ!」
歯を剥き出し吼えるが、愛染と今剣は楽しげに笑うし同田貫自身もさして怒りはしていない。堀川を見れば、黙って縹色の眼を閉じていた。
「どうしたよ?」
「うん、僕ももっと、強くならなきゃなって思ったからね」
「俺も願うぞー! 国行が居なくたって平気だ」
「ぼくも岩融をまもれるおのこになります!」
習い事とは言ったが、やはり皆根の奥は武器であるのかと、あどけない笑顔を見下ろし思う。しかし人の身を受け初めて、守りたいと思えたのもまた事実だ。本丸で待つ情人の顔が脳裏に浮かぶ。
「後世にゃ、願い事すりゃ叶えてくれるっつー行事になっちまったらしいがな」
「なんでもかなえてくれるのですか? ならぼくは、だんごがたべたいです!」
「俺はラムネがいい! 堀川はなんか食いたいのあるか?」
「食べ物限定なの……? 僕はそうだなぁ、兼さんの寝相が良くなります様に、かな?」
ああ、そういや、あの太刀は以前襖を無傷で抜け中庭で寝転がっていたりしていたが。それは改善されるべきではある。
六つの円らな瞳が、一斉に同田貫を見上げる。期待の篭った眼だ。
「……言わねーぞ、こういうのはな……言うと叶わねんだな、コレが」
意地の悪い笑みを浮かべ囁く。一様に残念そうにしょぼくれた頭を乱暴に撫でてやる。
「しゃーねーな、街まで来たついでだ、土産買うぞ」
「おっしゃあ!!」
「やったぁ!」
一目散に甘味処へ駆ける姿は童そのものだ。放った資源を抱え、後へ続く同田貫の隣で堀川が、琥珀の双眸を見上げる。
「当ててあげようか。兄さんの事じゃない?」
「! なんの話だ」
「あはは、分かるよ、兄さんもきっと同じだから。僕も、山姥切もね」
揃いの縦縞の装束を見下ろす。この兄弟は似てない様で、実際兄弟に相違ないと思っている。髪や眼の色一つとっても似てないが。たとえばそう、眼。見た目では無く、その眼で見えるものが似ているのだろうと、同田貫は見上げる縹から視線を外し考えた。
「それにしても、遠征の日取りと本丸の暦が重なるなんて、偶然だよね」
「……ん? ちょっと待て、堀川、今日って」
「文月七日。本丸での“旧暦”はまだ先だけど」
「七夕か」
「偶然だよね!」
どうしたの、と堀川が首をかしげる。突然雑踏の中足を止めた男を仰ぎ、おうい、と手を振った。
「しまった……約束があった!」
そうだ。一月前に、交わした約束。今の今まで忘れていた。七夕の夜、共に星を見ると。
「堀川、走れ! 愛染と今剣は、甘味処か……さっさと土産買って帰還だ!」
「え、えっ?! もう帰るの?」
待って、と声を上げた脇差の資源も抱え込み、同田貫が走り出した。本丸との時空は奇妙に繋がる場合があり、こちらでの半刻があちらでは一刻の場合があるのだ。うかうかしてると夜が更ける。
「待ってろよ……」
提灯で照らされた繁華街から見上げる空は暗く曇り、星は見えなかった。
本丸の屋敷から見える景色は全て同軸に存在し、異次元は限りなく広がっている。審神者は広大な田畑と竹林、丘に川など、様々に作り上げていた。未来では一部を除き、こういった自然は消えてしまったのだと言う。嘆かわしい事だ。人も命も、自然と共に在るというのに。山伏は独り、朱塗りの橋の袂に腰掛けていた。縦縞の詰襟では無く、青藍の浴衣を纏っている。
「……遅い」
山伏は現在、待ち惚けを食らっていた。待ち合わせ場所は違っていない。とすれば、相手が遅れているのだ。夕暮れ時にはもう到着し瞑想等をしたが、半分程の月がもうあんなに高く登ってしまっていた。
「あやつはいつも遅れるな」
常の笑顔を削ぎ落とし、流石の修験者も眉間に皺を寄せた。あちらから誘っておいてこれである。
「喜んで早々と参った拙僧が莫迦の様ではないか……」
こんな時でも欠かさぬ目弾きの下、傷痕をかり、と引っ掻く。頬が熱い。いっそもう帰ってしまおうか。
「遠征とは言え、もう帰還しても良い頃合いであるぞ……」
欄干に高下駄が当たり、甲高い音が響く。そろそろ本当に帰ろうと思い出した頃、足音が聞こえた。
「……国広!」
息を切らし、肩を上下させながら、待ち合わせの相手が姿を現した。
「遅かったな、同田貫殿」
「ウッ……悪かった、忘れていた」
「おぬしからの誘いであった筈だが」
「遠征先も七夕の祭りだったんだ、混んでたし土産に戸惑った」
このまっすぐな刀身の通りの太刀は、遠征では必ずと言っていい程、土産を持ち帰る。菓子であったり、押し花を埋めたすき紙であったりと、土産などいらぬと言っても、離れてもお前の事を考えたいからだと、はにかむ様に笑って言う。そんな顔をされては、怒りも鎮まってしまう。
「星を模した髪飾りだ」
小ぶりだが丁寧な装飾の、檜の簪だ。螺鈿で星と天の川を流し込んで、きらきらと輝く。まとめ髪でなくとも飾れる様、耳へ掛ける細工になっている。
「綺麗だな」
「今日のお前に似合う。少しかがんでくれ、付けてやる」
「自分で出来ようものを……」
「いいから、ほれ」
「……相わかった」
傷だらけのがさついた指が、短く整った青碧を優しく梳いた。指先がふいに耳へ触れ、熱を感じた。
「思った通り、よく似合うぜ」
「……そうか」
おう、と笑う、普段より幼く見える男の、走ったためか肌蹴た甚平から覗く素肌から目を背け、星空を見上げた。よく晴れた夜空に雲は無く、星の帯が瞬きながら川を作り上げている。
「灯りも無い故、星がよく見える」
「山で修行してたらこんなもんじゃねぇだろ?」
「おぬしと見るから、こんなにも心を揺するのだ」
自然と乗せられた手の持ち主を見ずに、極小さな声で囁く。聞こえたからか否か、返事は無い。
「ああ、綺麗だな」
腰掛けている分近い差が、ふいに縮まる。頬へ寄せられる唇が、吐息が山伏の睫毛を震わせた。暗闇でも鮮やかな対の月が、傍らにあった。
「国広」
「……何であろうか、正国」
「俺とお前が、たとえ一年に一度の逢瀬であろうと、どんなに距離を隔てようと、俺はお前を忘れないだろう」
熱を持つ指が、唇を撫でる。柔らかな琥珀に射られ、視線を絡めたまま、どちらとも無く口吸いをした。星々は優しく瞬き、遠い先の光を帯び輝いていた。