順調に男士の増えた本丸では、馬当番等の内番の他にも、洗濯や炊事の当番制を図っていた。
中庭から厨が見える。山姥切は見知った花浅葱を見つけ、俄かに立ち止まる。
兄弟と呼ぶ己の兄刀の事を、写しと呼ばず己の向こうの本科を窺う事無く己自身を真っ直ぐ見てくれた刀の事を好いていた。本丸でも、共に戦場を駆けていても、兄を見付けては山姥切は無自覚に頬を綻ばせていた。
「今日の夕餉は兄弟が担当か」
ポツリと呟くと、ゆっくりと厨へと足を向ける。と、目当ての人物の隣に人影を見付け、再び足が止まる。深い紫の衣、黄丹の短髪。山伏と同日に顕現した大薙刀。月の様な目をした男。兄が親しげに男を見上げ、快活に笑っていた。使われていない部屋に飛び込み、顔だけを出し盗み見る。
山姥切は岩融とも同部隊であり、豪胆な岩融と気が合うのか山伏も良く共に手合わせをしているのを見ていた。要するに、山姥切にとって岩融は兄を狙う不届きな輩の一人なのである。みしり、と掴んだ柱が僅か軋む。談笑する声に耳を欹てる。
「して、夕餉は何だ?」
以前は修行に赴く山伏に付いて行く約束等をしていて戦慄したが、今日は違うらしい。
「今日は山菜のてんぷらとまあぼお豆腐である!」
顔を綻ばせる兄の頬が何故か赤い。
「ほう! そいつは美味そうだのう」
「……」
山姥切は小さく息を吐く。考え過ぎていたのかも知れない。岩融は豪放でいて其の実思慮も深く、事実山姥切も信用を寄せていた。もうこんな隠れていないで、堂々と兄に会いに行こう。
「……してまーぼーとやらは美味いのか?」
「甘辛いあんかけであるな」
しかし山姥切は兄刀へ声を掛けようとした正にその瞬間、三度躰を静止させた。
やおら山伏が赤みの強いあんを匙で掬い上げた。呵々と笑う。
「何なら味見なさるか?」
岩融殿、と呼びかけた山伏が動きを止めた。匙を持つ手を掴み、岩融が顔を寄せる。空気が止まった気がした。山姥切の立つ位置からは、まるで兄に口吸いした様にしか見えなかった。
数瞬後、あっさりと山伏から離れた岩融はにぱ、と笑う。
「うむ! 美味いのう!」
夕餉が楽しみだと笑い、岩融は山姥切に気付いているのか否か、其の儘厨を出て行った。
残された山伏は数秒間たっぷり固まり、中身の失せた匙を取り落とし、差された目弾きの霞む程顔を赤く染め上げ、呆然と立ち尽くしていた。
その後ろで兄に気付かれる事無く、山姥切は軋む程歯を喰い縛り、地の底から響く様な低音で吼えた。
「岩融ィィイ!」
―――
後日。午後の修練を終え、持て余した時間を昼寝にでも使うかと廊下を歩く同田貫は、微かな音と、旨そうな匂いを捉えた。
すん、と鼻を鳴らす。厨からだろうか。今日の晩飯は何だろうと、気紛れに足を向ける。油撥ねの音に混じり聴こえるのは、鼻唄、だろうか。空より濃い色の髪が見えた。
「よぉ」
同田貫は慇懃に鼻唄の主に声をかける。
「揚げもんか?」
「同田貫殿!」
然りと何時もの如く呵々と笑った山伏を、厨の柱に凭れた儘見やる。宝冠を脱いだ深い青が揺れ、普段は高下駄の分見上げる位置である赤い双眸が同田貫を見上げていた。
「唐揚げであるぞ」
「美味そうじゃねぇか。一つ貰うぜ」
ころころとした黄金の衣を一つ、口に放る。
「あっ」
「熱゛ィッ!?」
じゅわ、と広がる肉汁に、咄嗟に甲を口に押し付ける。美味そうに湯気が上がっていたが、とんでもねぇ熱くて味も分かりゃしなかった。
「揚げたてであるからなぁ」
「……」
摘み食いに怒るわけでもなく、山伏は苦笑を浮かべていた。痛み痺れる舌を指で引っ張り出す。
「暫し待たれい!」
何か閃いたのか、山伏が菜箸で唐揚げを一つ摘む。
「う゛?」
同田貫は見てしまった。頬をふくりと膨らませ、顔を赤くさせながら唐揚げを冷ます山伏を。ふうふうと、口を窄め、目元こそ唐揚げに向いてはいたが、口は呆然と見詰める同田貫へと向けられていたのだ。
「口を開けられよ同田貫殿、先程は味も分からなかったであろう?」
ほら、と、にぱり、と随分とあどけなく微笑み、菜箸を突き出した。
「あーん」
大きく口が開き、犬歯が覗く。見上げる赤い眼から、赤い舌から眼が離せない。
ごくり、と、喉が鳴る。
「あ……あ゛ー……ん゛」
「どうだ?」
ゆっくりと咀嚼する。からりと揚がった衣が、あっさりと味付けされた鶏肉が、口内を通り鼻腔に先程嗅いだ匂いが届く。
「……美味ェ」
「其れは重畳!」
再び呵々と笑い、今度は双眸を柔らかく細め、同田貫を愛おしげに見上げる。
「拙僧の自信作故! まあ味見はして居らぬが」
「味見してねぇのかよ!?」
「カカカ、拙僧猫舌故」
「……おいアンタ、俺以外にさっきのあれ、やるなよ」
「? あれとは」
「お、俺にやった事だよ!」
「?? 相分かった……?」
同田貫は顔を赤くし、がしがしと頭を掻く。そして突然の物凄い殺気にがばりと後ろを振り向き。目深に被った襤褸の奥から鬼の様な形相で睨み付ける眼と合った。
「タヌキィィイ……!!」
「!?」
そして同田貫は、山伏の最大にして最強のセ◯ムの標的となった事を知った。